第40話 恋人になったからこそ

 乃愛が告白を受け入れてくれてから、暫く彼女を抱き締めていた。

 しかしずっとベランダに居る訳にもいかないので、リビングへと戻る。

 ソファに座ると、すぐに肩へと重みが加わった。


「ふふー。瀬凪さん」

「ん? どうした?」

「何でもありませんよー。せーなさん」

「はいはい。俺だよ」


 どうやら、単に俺の名前を呼びたくなったらしい。

 恋人となった少女のご機嫌な姿に笑みを零し、艶やかな黒髪を撫でた。


「夢みたいです。目が覚めたら全部夢だったとか無いですよね?」

「情けないけど頑張って告白したんだぞ。無しになってたまるか」


 女子中学生に先に告白され、それを保留にしていたのだ。

 酷い大学生だと改めて自覚して苦笑すれば、俺の頬を細い指が突いた。


「現実なのは嬉しいですけど、瀬凪さんは情けなくなんかないです」

「……乃愛がそう言うなら、そう思う事にするよ」


 敵わないなと肩を竦め、お礼にもう一度黒髪を撫でる。

 すると、気持ち良さそうな声が小さな唇から漏れた。


「きちんと恋人になった今だからこそ、瀬凪さんに聞きたい事があるんです」


 暫く無言の時間が続いたが、乃愛のそんな言葉がリビングに響いた。

 妙に畏まった態度に、何故か不吉なものを感じる。


「答えられるかは内容によるからな」

「ふむ、まあ大丈夫でしょう。これからの私達にとって凄く大切な事ですし」

「そんなに言う程、聞きたい事があるのか」

「はい。……その、体が小さくておっぱいがそこそこ大きい女子は、瀬凪さんにとって手を出せる対象ですか?」

「ごふっ!?」


 どうやら、俺の勘は当たっていたらしい。

 穏やかだった空気を一発で台無しにする発言に、心臓が跳ねるどころかむせてしまった。

 頬を炙る熱を自覚しながら隣を見ると、乃愛も頬を真っ赤にしながら俺を見上げている。

 潤んだ蒼と黄金の瞳には、火傷しそうな程の熱が期待として秘められている気がした。


「い、いきなり何だよ!?」

「だって、私達って恋人でしょう? となればると思うんですよ」

「…………まあ、そうだな」


 嘘を吐けば良かったのかもしれないが、それはそれで乃愛を手を出せる対象として見ていない事になる。

 相手が中学生だとしても、恋人にそんな発言は出来なかった。

 目を逸らしながら答えれば、乃愛が嬉しそうにはにかむ。


「手を出せる対象ではあるんですね。因みにすぐしてくれますか?」

「……流石にそれはノーコメントとさせて下さい」


 中学生に手を出す大学生。翼との会話でいかに俺の立場が危ういか分かったからこそ、明確な言葉に出来なかった。

 それが不満だったようで、乃愛がぷくりと頬を膨らませる。


「私としては、いつでも手を出しておっけーなんですけど」

「乃愛からそんな言葉が出るとは思わなかったなぁ……」

「女子中学生を舐めないで下さい。そういう興味がある年頃です」

「よく理解したよ」


 まさか告白後一時間も経たないうちに、乃愛とこんな会話をするとは思わなかった。

 翼のアドバイスをもっと受けるべきだったと後悔するが、もう遅い。

 思い切り溜息をつくと、乃愛がぴったりと身を寄せてきた。

 蜂蜜を溶かしたような甘い匂いが、俺の頭を溶かす。


「それで、どうでしょうか?」

「今すぐ手を出すかどうかは、まだ応えられないです。勘弁して下さい」

「むぅ……。分かりました。代わりに、私の体が瀬凪さんにとって魅力的かどうかを答えて欲しいです」

「いや、何で?」


 答えると犯罪になってしまう質問から逃げたはずなのに、何故かもう一度捕まってしまった。

 乃愛と付き合ってる時点で犯罪なのだが、それは考えないようにする。

 思わず突っ込みを入れると、可愛らしい顔が不安に彩られた。


「恋人だからお情けで手を出してくれる、みたいなのは嫌なんです。瀬凪さんには、満足して欲しいですから」

「なるほどぉ……。そう、だなぁ……」


 揶揄からかいや単なる興味ではない。恋人になったからこその真剣な悩み。

 それを先程のように後回しにしたり誤魔化すのは、恋人として失格だ。

 覚悟を決めて口を開く。


「ぶっちゃけると、乃愛は凄く魅力的だぞ」

「背が小っちゃくてもですか?」

「ああ。というかそれはそれで乃愛の個性だろ。背が小さいからってそういう対象から外したりしない」

「おっぱいはどうでしょうか?」

「……意外とあって、いいな、と思ってる」


 キャミソールを着るようになったからハッキリと分かる、小柄な外見に不相応な大きさのそれ。

 正直なところ、最近では目の保養にも毒にもなっていた。

 恥ずかし過ぎるが何とか感想を口にし、顔を両手で覆う。


「もういいだろ……?」

「駄目です。確認しますが、瀬凪さんはロリコンじゃないですよね?」

「…………虐めか? 虐めなのか? 虐めだろ、これ」


 乃愛の発した言葉が鋭い刃となって、俺の胸に刺さった。

 大学生の威厳をぶん投げて、乃愛とは反対の方に体を向ける。

 流石にやり過ぎたと思ったのか、乃愛が励ますように背中を軽く叩いた。


「ご、ごめんなさい! 他の中学生に目移りしたら嫌だなって思っただけなんです!」

「あのなぁ……。付き合ったばっかりの乃愛に言う事じゃないけど、元カノは一般的な身長だったんだからな。俺は断じてロリコンじゃない」


 容赦なく心を抉られたのだ。元恋人の容姿を引き合いに出す程度は許して欲しい。

 そもそも、乃愛の容姿も内面も好みだから付き合ったのであって、他の中学生など眼中に無い。

 きっぱりと断言すると、背中から安堵の溜息が聞こえてきた。


「そうだったんですね。良かったぁ」

「乃愛だから付き合ったんだ。それを忘れないでくれ。……はい質問タイム終わり!」


 強引に話を纏め、乃愛の方に向き直る。

 パンと両手から乾いた音を響かせ、空気を入れ替えた。


「満足しました。ありがとうございます」

「ならいいんだ。というか、乃愛と付き合ったんだから彩乃さんに報告しないとだな」

「あ、そうですね。楽しみです」

「楽しみなのか? 大事な一人娘と、その様子を見て欲しいってお願いしてた大学生が付き合うんだ。下手したら怒られると思うんだが」


 ある意味、俺は彩乃さんの信頼を裏切った形になるのかもしれない。

 どんな怒られ方をされるか分からなくて背筋を震わせるが、乃愛はきょとんと首を傾げていた。


「怒られないと思いますよ? お母さんが私達が付き合う可能性を考えてないとは思えませんし」

「俺達が付き合うかもしれないって思った上で、俺に乃愛の様子を見させたのか?」

「はい。実際は聞いてみないと分かりませんけど」

「……まあ、確かにな」


 仮に俺達が付き合う事まで考えていても、流石に手を出す事までは考えていないだろう。

 となればやはり怒られるかもしれないし、もう少し待ってからにしてくれと言われるかもしれない。

 その時は彩乃さんの言う事に従おう。乃愛も母親に言われたら納得してくれるはずだ。

 そう割り切り、気持ちを入れ替える。


「じゃあ次に彩乃さんが帰ってきたら報告するか。電話越しは不誠実だしな」

「ですね。という訳で、今はくっつかせてくださいな♪」


 乃愛が俺にもたれ掛かり、ずるずると体を滑らせる。

 最終的に俺の膝に頭を乗せて、寛ぎ始めた。


「何が『という訳』なんだか、こいつめ」

「ごめんなさーい」


 悪態をつく俺と、謝罪をした乃愛。

 俺達の顔は、笑顔で彩られていた。

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