第39話 それでも前を向くと決めたから
乃愛との今の関係を終わらせると決意した日。
話そう話そうと思っていたが中々タイミングが掴めず、晩飯を摂り終えてしまった。
後はのんびりするだけなのだが、乃愛が心配そうな表情で俺の顔を覗き込む。
「瀬凪さん、今日は体調が悪かったりします?」
「うん? 体調はばっちりだぞ」
「なら悩み事とか、あったりしますか? 今日はずっと落ち込んでるような気がしたので」
「……乃愛には敵わないな」
タイミングを計っていただけなのだが、乃愛には見抜かれていたらしい。
肩を竦めて苦笑すれば、乃愛が誇らしげに笑う。
「ずっと瀬凪さんを見てきましたから。それで、どうしたんですか?」
「あー。悩みと言うか、何と言うか」
「私には言えない事だったりしますか?」
「そういう訳じゃないよ。むしろ、乃愛に言わないといけない事なんだ」
抽象的な言葉を口にすると、それだけで察したのだろう。
蒼と黄金の瞳が見開かれ、それから優し気に細まる。
「でしたら、ベランダにでも行きませんか? 私が瀬凪さんに悩みを打ち明けた場所ですし、話しやすいかもしれませんよ」
「そうだな、行こうか。煮え切らない態度でごめんな」
「そんな態度を取るくらい、私の事を真剣に考えてくれたんでしょう? すっごく嬉しいです」
乃愛がソファから立ち上がり、ベランダへと向かう。
その途中でくるりと振り返って、恥ずかしそうにはにかんだ。
「それに私が瀬凪さんに告白出来たのは、その場の勢いに任せたからですよ。比べたら駄目です」
「……あの時はびっくりしたよ」
話の流れをぶった切るような告白に、頭が真っ白になったのを覚えている。
小さく笑いながら立ち上がり、乃愛の後を追ってベランダに向かった。
夜であっても、夏のむわりとした熱気が肌を撫でる。
「ふふ、驚かせてごめんなさい。でも、後悔はしてませんから」
「乃愛が謝る必要なんかない。凄く嬉しかったんだからな」
ベランダの手すりに肘を乗せ、乃愛の方へと首を傾けた。
景色を眺めていた蒼と黄金の瞳が、全く同じタイミングでこちらを向く。
吸い込まれそうな程に美しいそれは、乃愛が告白してくれた時と同じか、それ以上に輝きを放っている。
「俺が告白を保留にしてから今まで、ずっと好意を向けてくれてありがとう、乃愛」
「お礼を言うのは私の方ですよ。瀬凪さんは、あれから私を一人の女性として扱ってくれましたから」
「それは翼達のお陰だ。最初は、妹のように見てたんだからな」
「だと思いました。まあ、私も最初はお兄ちゃんのように思ってたのでお相子です」
くすくすと楽し気に、懐かしむように笑う乃愛。
中学生として見ても小柄なのに、その笑顔は大人びて見える。
「弱さを
俺がどんなに嬉しいか。きっと、言葉を尽くしても伝えられないだろう。
「今日、元カノを大学で見たんだ。その時に苦しくなかったんだよ」
「それって――」
「ああ。ようやく完全に吹っ切れた。あいつとの事が、ただの思い出になったんだ」
あの時は苦しかったな、と笑いながら懐かしみ。盛大に振られたな、と友人達と軽い気持ちで振り返る。
それが出来るようになったのは、目の前に居る少女のお陰だ。
「だから、俺も前を向こうと思う。乃愛が前髪を切ったように」
「……でも、それって瀬凪さんの不安が消えた訳じゃないですよね」
可愛らしい顔と色違いの二つの瞳が、心配の色を宿す。
中学生とは思えない聡明さを改めて実感し、苦い笑みを落とした。
「ああ、そうだ。でもな。俺の恐怖は――親しい人が自分から離れて行くかもしれないって不安は――皆が抱いてる想いなんだ」
ずっと順風満帆な恋人達など、どこにも居ない。
誰もが心の奥底で不安を抱え、それでも一緒に居るのだろう。
乃愛のお願いの一つだった、告白の返事を待っている間、俺の一番近くに居る約束。
あれも、乃愛の心にある恐怖から出たものだ。
それを分かっていたはずなのに、俺は怯えて告白の返事をしなかった。
完全に吹っ切れた今だからこそ、あの時の俺がどれほど情けなかったのか分かってしまう。
「きっと、乃愛もずっと前から抱いてると思う。……これはその、願望だけど」
「抱いてますよ。私よりも良い人なんて沢山居るでしょうし、瀬凪さんが他の人に
勝手な期待を寄せたが、乃愛は迷いなく頷いてくれた。
彼女の想いの大きさに唇が弧を描く。
「なら、俺だけが立ち止まってる訳にはいかない。不安でも、怖くても、それでも前を向く。乃愛の隣に居られるように、これから努力し続ける」
ベランダの手すりに
乃愛も顔だけでなく体ごと俺の方を向いてくれた。
「だから、あの時の告白の返事をさせてくれ」
最初は引っ込み思案なお隣さん。
次は突然晩飯を一緒に摂る事になった少女。
その次は可愛らしい妹のような存在。
更に次は想いを寄せてくれる女性。
そして今、今度は俺からその先の関係を求める。
「好きだ、乃愛。俺と付き合って欲しい」
優しくて甘えたがり。それでいて頼もしく料理上手。
幻想的な蒼と黄金の瞳を持つ、容姿端麗な中学生。
世間的に考えれば、そんな少女との恋は絶対に実らせてはいけない。
けれど、そんなの知った事か。そう思える程に、乃愛への愛情は大きくなった。
今更ながらに想いを告げると、蒼と黄金の瞳が潤み、薄い水の膜を張る。
「いいん、ですか? 私、瀬凪さんが思ってる程、良い子じゃありませんよ?」
「最近は俺を手玉に取るようになったもんな。可愛い子だけの子じゃない事くらい分かってるよ」
「中学生ですよ? こんなに小っちゃいです。付き合ってるのが世間にバレたら、おしまいです」
「ああ。だから、バラしてもいい同年代は翼や莉緒くらいだろうな」
翼は下世話な話をしても引かなかった。それどころか、力を貸すと言ってくれたのだ。
俺と乃愛の関係が進んでも間違いなく祝ってくれるだろう。勿論、莉緒も。
彩乃さんについては心配だが、後で考えればいい。
「それに、外でくっつけない訳じゃないだろ? 前にデートした時のようにすればいいんだ。あの
「もっと、もっと甘えると思います。結構、我儘なんです」
「それは嬉しいな。いっぱい甘えて、我儘言ってくれ」
あれほどアピールしていたのに、土壇場になって怖気づく乃愛。
もしかすると、俺が思っているよりも乃愛は俺が離れて行かないか不安だったのかもしれない。
彼女の心の
開いては閉じるそれが言葉を紡げるように、もう一度願いを口にする。
「俺は、そんな乃愛と付き合いたい。恋人になってくれ」
「………………はい」
ようやく乃愛が紡いだ言葉は、夜風に紛れる程に小さかった。
彼女が体の前で手を握り、祈るように想いを
「ずっと、ずっと前から好きでした。私の方こそ、貴方の恋人にしてください」
「喜んで。これからよろしく、乃愛」
「……っ。瀬凪さん!」
感情が溢れ出したのか、乃愛が俺に抱き着いてきた。
「やっと、やっと恋人になれました! これからよろしくお願いします、瀬凪さん!」
すぐ傍から俺を見上げる濡れた蒼と黄金の瞳は、夏の夜空に浮かぶ星よりも輝いていた。
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