第37話 結果報告
乃愛が前髪を切ってから初めて登校した日。
俺はというと、バイトで夜遅くまで働いていた。
見送りをした時は元気そうだったが、トラブルは起きなかっただろうか。
そんな不安を抱きながら体を動かしていると、あっという間に時間が過ぎた。
杠家の扉を開け、中に入る。
「ただいま、乃愛」
「おかえりなさい、瀬凪さん」
ぱたぱたと駆け寄ってきた乃愛の嬉しそうな笑顔に、バイトの疲れが癒される。
だが、今日は俺の疲れなどどうでもいい。
相変わらず美しい、蒼と黄金の瞳を覗き込む。
「今日は大丈夫だったか? 嫌な事はされてないか?」
「はい、大丈夫でしたよ。話したい事はありますが、まずはお風呂をどうぞ」
「……分かったよ」
今日の出来事を玄関で話す必要はない。時間はたっぷりとある。
急ぎ過ぎだと乃愛に言外に指摘され、羞恥が頬へと昇ってきた。
誤魔化すように脱衣所へ行き、風呂に入る。
汗を流して上がると、晩飯が出来ていた。
「「いただきます」」
きちんと食材に感謝し、箸を動かす。
もう夏本番と言っていいからか、今日は素麵だ。しっかりと薬味も用意してある。
それらを腹に入れつつ、乃愛へと視線を向けた。
「改めてだけど、今日は大丈夫だったか?」
「はい。クラスメイトには『学校外に好きな人が居る』って宣言してきました。これでよっぽどの事が無い限り、恋愛関係で目の敵にされる事はないでしょう」
「そっか。よく頑張ったな」
頭を撫でて励ましたいが届かないので、短いながらも労いの言葉を掛けた。
すると乃愛は甘さを帯びた笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます。私を根暗って馬鹿にしていた人達にも面と向かって言い返せました。瀬凪さんのお陰です」
「俺は何もしてない。それは乃愛の努力だよ」
乃愛に告白されてから今日まで。彼女を一人の女性として扱った以外、本当に何もしていない。
自分の情けなさに苦笑を落とすと「いえ」とはっきりとした声が耳に届いた。
「瀬凪さんに近付きたいと思ったからこそ、まずは瞳を堂々と周りに見せられるようになりたいと言ったでしょう?」
「ああ」
誰の為でもない、自分の為に。そして、俺が気に病まないように。
昨日の乃愛の覚悟は決して忘れない。
「瀬凪さんを好きにならなければ、私は根暗と馬鹿にされたままでしたよ。だから、本当にありがとうございます」
「……なら、良いんだ」
本当に自分の弱さを克服したのだろう。乃愛の見せてくれた笑顔はこれまで以上に美しかった。
だからこそ俺も胸に宿る恐怖を克服しなければ、彼女の隣に胸を張って立てない。
乃愛よりも六年以上長く生きる人として。もう大人と判断される大学生として。
そして、乃愛を想う一人の男として。どうにかしたいと、強く想った。
「あ、でもトラブルと言えばトラブルがありました」
「大丈夫って言ってはいたけど、やっぱりあったんだな」
「はい。私を馬鹿にしてた人達に言い返したら、女子に囲まれました。可愛いとか、かっこよかったとか、色々言われて頭が一杯になりましたよ」
「あー、そういうパターンか。結局有名になったんだな」
喜びと戸惑いが混ざった笑みからすると、女子に囲まれて素直に喜べなかったのだろう。
今まで居ない者として扱っていたのに、髪を切った途端に群がられたのだから。
「私としては、今まで通り放っておいて欲しかったです」
「だよな。因みにだけど、乃愛を利用しようとする人は居たのか?」
「全員じゃないですけど居ました。その人達には丁重に仲良くするのをお断りしましたよ。ま、学校で友達を作りたいとか思ってませんし、嫌われても別にいいです」
今まで人目を気にしていたからこそ、擦り寄って来るような人は気付けるようだ。
それはそれとして、乃愛のクラスメイトへの態度は心配になるのだが。
「髪を切ったから調子に乗ってるとか、言われてないか?」
「私を馬鹿にしてた人達に言われそうになったのと、近寄って来る人を断った時にボソッと言われましたよ。ホント、人気とかどうでもいいんですけどねぇ」
呆れたと言わんばかりに乃愛が肩を竦める。
この様子だと、心無い言葉を受けて傷付いては無さそうだ。
「でも、そんな私とも話してくれる人が居ました。その人達とは、そこそこ仲良くしていこうと思います」
「良かったな、乃愛」
「良かったんでしょうかね? 結局私が髪を切ったのが切っ掛けですから、喜んでいいのか悩みどころですよ」
「そこはまあ、これからに期待じゃないか?」
色違いの瞳を周囲に見せた事によって、友好関係が広がったのは間違いない。それは喜ばしい事だ。
乃愛に話し掛けた女子達と本当の意味で仲良くなれるのかは、今後の乃愛達次第だろう。
仮に仲が拗れても、先程言ったように乃愛は気にしないだろうが。
「はい。……瀬凪さんの事を根掘り葉掘り聞かれそうになったので、早速距離を取るべきか考えましたけども」
「げ、聞かれそうになったのか。どこまで話した?」
乃愛には付き合っていないと周囲に説明してもらったが、大学生と中学生の色恋なのだ。
俺達の年齢差を他人が知れば、邪推する人が出て来るだろう。
思わず頬を引き
「相手は年上で私の学校には居ない。凄く仲が良いけど、私の事は女性として見てくれないので片想い中。このくらいですよ」
「根掘り葉掘り聞かれた割には、話したのはほんの少しだけなんだな」
「世間的には私達ってかなりヤバいですし、かといって詳細を言わなかったら『好きな人とか嘘でしょ』とか言われると思います。なので、建前だけに留めました」
「ありがたいけど、嘘とか言われるのは面倒臭過ぎるな……」
「そうなんですよねぇ。もし私と瀬凪さんが外でクラスメイトと出くわしても、ベタベタしてるのが怪しまれないように話したってのもありますけど」
「……そこまで計算してたのか」
あくまでも年上の男性にアピールしているだけ。相手は子供扱いしてくるので、外でくっついても問題ない。
事前に詳細という名の建前を伝えて外堀を埋めておく手際の良さに、背筋がぶるりと震えた。
「取り敢えずはこれで問題ないはずです。それでも告白してくる人は容赦なく玉砕させます」
「……ありがとう、乃愛」
俺以外の男など眼中にないと言葉で示され、唇が弧を描く。
「お礼なんて必要ありませんが、どうしてもと言うなら今日はいつもと逆で膝枕して下さい」
悪戯っぽく笑んでのおねだりは、偶にしている事だった。
バイトの日におねだりしてくるのは珍しいが、それだけ疲れてるのだろう。
「りょーかい。たっぷり甘やかすよ」
「ふふ、楽しみです」
その後は宣言通り、晩飯の片付けを終えてから膝枕し、乃愛の頭を撫でてたっぷり甘やかすのだった。
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