第32話 決意を容姿に
乃愛と一緒にマンションを出て暫く歩き、駅の近くにある美容院に着いた。
前髪はマンションを出る時に、外出用の瞳を隠す形にしている。
「到着です」
流石に店に入る時までべったりするつもりはないらしく、乃愛が俺の腕から離れた。
柔らかな感触が無くなった事を名残惜しく思ってしまい、首を振って邪念を頭から追い出す。
その仕草で俺が何を考えたのかバレたようで、乃愛が唇の端をにんまりと釣り上げた。
「髪を切り終わったらまたしますから、待っていて下さいね」
「それを喜んだら負けな気がするんだが?」
「そう言う時点で負けてるようなものですよ」
「う……」
「ふふ。私が勝手にしている事ですから、瀬凪さんも勝手に楽しんでくださいね?」
黒髪越しに見つめられ、羞恥が沸き上がる。
このままではずっと
「それで、ここはいつも来てるのか?」
「はい。細かい所はいつもここで調整してもらってるんです」
そう言って乃愛は美容室をジッと眺める。
これから行う事への決意をしているのだろう。
学校でトラブルのよりも俺を優先してくれたとはいえ、恐怖が完全に無くなるはずがないのだから。
少しでも背中を押したくて、彼女の頭に手を乗せた。
「大丈夫だ。学校で辛い事があっても俺が居る」
「その言葉だけで十分ですよ。それじゃあ、行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい」
乃愛を送り出し、美容室から少し離れる。
このまま時間を潰そうと思ったのだが、何故か乃愛が女性の店員と一緒に店から出てきた。
どうやら付き添いの人は店内で待っていいらしい。
店に入ると椅子に案内されたので、遠慮なく座って待たせてもらう。
「にしても杠さんが男の人と一緒に来るとは思いませんでした。……もしかして、もしかします?」
「えと、その……」
「あー、もうその反応だけで分かっちゃいました。年上の男の人の為に綺麗になろうとする女の子。いやー、たまらん! この仕事して良かった!」
「聞こえちゃいますから、抑えて下さい……」
「あはは、すみません」
いつも来ているからか、乃愛がしっかり会話出来る程度に店員とは仲が良いようだ。
あるいは、店員が明るい人なのでその性格で乃愛の人見知りを突破したのか。
何にせよ二人の会話はバッチリ聞こえていた。反応に困るので聞こえていないフリをする。
「それで、今日はどうしますか?」
「目が見えるように、前髪を切って下さい」
「……本当に良いんですか?」
これまで頑なに前髪を切らなかった事で、訳アリだと察していたのだろう。店員が先程までの明るさを消して乃愛に尋ねた。
しかし乃愛は迷う素振りすら見せずに頷く。
「はい。変わりたいんです、お願いします」
「了解です。私の全力で杠さんの願いに応えますね」
二人の会話が終わり、乃愛の髪が整えられていく。
それは前髪だけではないようで、全部が終わるまでそれなりに待つ事になった。
そして今、目の前にはヘアピンを使わずとも蒼と黄金の瞳がしっかりと見える美少女が居る。
「ど、どうでしょうか。大きく変わったのは前髪だけなんですけど……」
「乃愛の綺麗なオッドアイが良く見える。髪を切る前も可愛かったけど、こっちの方がいいな」
「はぅ……」
乃愛が自分の学校生活が変わるのを覚悟で髪を切ったのだ。真正面から褒める以外の選択肢はない。
しかし、どうやら渾身のストレートが直撃したようで、乃愛が一瞬で頬を朱に染めた。
両手で頬を染めて
「俺が払います」
「おぉ、甲斐性ありますねぇ!」
「年下の女の子が頑張ってくれたんです。ここで甲斐性を見せなきゃ男じゃありませんよ」
「あー! 最っ高です! ごちそうさまです! ありがとうございます!」
「あの、支払いを……」
どうやら店員にもストレートを直撃させてしまったようで、トリップしてしまった。
俺が大学生だと見られなかったのか、それとも俺が単に年上として対応したと思っているのか。
何にせよ、甲斐性を見せても店員が俺を変な目で見なかったので一安心だ。
それはそれとして、苦笑を零して支払いを催促すると、正気に戻った店員が動き出す。
きちんと支払いを終えて振り返ると、黒髪の間から見える耳すらも真っ赤にした乃愛が居た。
ほぼ間違いなく先程の店員との会話が聞こえていたのだろう。
「お、お金――」
「いいからいいから。ほら、行こうか」
「はいぃ……」
少々強引に乃愛の手を取ると、感情が振り切れたのかこくこくと頷いて握り返してくれた。
そのまま店を出ると「またのご来店をお待ちしております!」と滅茶苦茶明るい声で見送られる。
おそらく、乃愛がまたここに来る時は揶揄われまくるのだろう。
「ぁ、ぁりがとぅござぃます」
「お礼を言うのは俺の方だよ。本当にありがとう」
そう言って乃愛の未だに真っ赤な顔を覗き込む。
羞恥に満ちて潤んだ蒼と黄金の瞳はどんな宝石よりも美しい。
「乃愛への返事はまだだけど、これだけは言わせてくれ。乃愛のオッドアイ、俺は凄く好きだぞ」
「うぅ……。もう限界ですぅ!」
今は顔を見られたくないのか、乃愛が思い切り顔を背けた。
そのまま彼女は繋いだ手を離して俺の腕を抱き締め、顔を下に向けながらもぴったりと寄り添う。
暫くぶりの柔らかい感触に、心臓がどくりと跳ねた。
「このままいっぱい誘惑しちゃいますから!」
「お手柔らかにな」
どくどくと弾む心臓の鼓動を抑えつけ、軽口を叩いて歩き出す。
まだデートは始まったばかりだが、それでも俺の心は幸福感に満たされていた。
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