第30話 テスト明けの予定
乃愛に告白されてから数日が経った。
俺達はというと以前よりも距離が近付きはしたが、それ以外はあまり進展していない。
乃愛の想いに応えられてないのは申し訳ないが、悩み続けると彼女にバレて気を遣わせてしまう。
焦らなくていいと言われたのもあり、今は現状に甘えさせてもらっていた。
それはそれとして、もう少しで乃愛の中学校でテストが始まるので、彼女は最後の追い込みをしている。
「……」
テーブルの上に勉強道具を広げ、黙々と手を動かす乃愛。
普段は甘さを帯びた笑顔を浮かべているが、今は真剣そのものだ。
それに付き合ってレポート等の課題をこなしているので、俺の方は順調だった。
「はふー」
「お疲れ様。調子はどうだ?」
「ばっちりです。瀬凪さんと一緒に過ごせるのが嬉しくて勉強を疎かにしたら、お母さんにも瀬凪さんにも申し訳ありません。だから手は抜きませんよ」
「そんなに気負う必要なんてないぞ?」
「私が気にするんですよ。それに、瀬凪さんに近付く為に出来る事はしたいので」
「……勉強が出来ないからって乃愛を嫌いにはならないからな」
俺と乃愛の間には六歳もの歳の差がある。
中学生だからと乃愛を子供扱いしないようにはしているが、それはそれとして彼女なりに頑張りたいのだろう。
気持ちは嬉しいがフォローをすると、柔らかな微笑が返ってきた。
「瀬凪さんならそう言うと思ってました。まあ、意地のようなものですので気にしないでください」
「そっか。本当に無理はするなよ」
「はい」
乃愛は必死で今自分に出来る事をやろうとしている。なら、俺に出来る事は無いのか。
口先だけで告白の返事をしても意味は無いし、乃愛を傷付けるだけだろう。
どうしたものかと考えていると、ふと一つの案が浮かんだ。
「テストが終わったら、乃愛のお願いを一つ叶えるよ」
「え、突然どうしたんですか?」
「俺も、乃愛のように頑張りたいなって。まあ、頑張るのとは違うけど俺の方はテストが無いし、なら乃愛にご褒美を上げようと思ったんだ。どうだ?」
流石にこんなものは頑張りにはならないだろう。
乃愛に断られたら素直に引こうと思ったのだが、彼女は顎に手を当てて考え始める。
顔を俯けているので、どんな表情をしているのか分からないのが不安だ。
「…………ご褒美、ですか。因みに、どの程度なら許されますか?」
ちらりと俺の方を向いた蒼と黄金の瞳は、ゾッとする程に澄んでいた。
テスト勉強をしている時以上の真剣な表情と透明な声が合わさり、恐怖すら感じる。
「お、俺が実現出来る範囲でなら許せるぞ」
「そうですか。ならデートしてください」
「分かった、デートだな。……うん? デート?」
つい頷いてしまったが、インドア派の乃愛の口から出たとは思えない単語に目を瞬かせた。
どうやら聞き間違いじゃないらしく、彼女が大きく頷く。
「はい、デートです。男女が一緒にお出掛けするアレですね」
「分かった、デートだな。行きたい場所とか、行きたくない場所はあるか?」
想いを寄せてくれる人を労うのだ。デートを断る理由などない。
それに乃愛には本当に申し訳ないが、べたべたとくっつかなければ周囲からは変に思われないだろう。
乃愛の容姿は整い過ぎているしオッドアイだが、外出時は瞳を前髪で隠しているので何とかなるはずだ。
「今のところ行きたい場所とかは考えてませんが、本当にいいんですか?」
「いいよ。こんな方法でしか頑張れなくてごめんな」
「私にとっては最高のご褒美なんですから、謝らないでください」
「……ありがとう、乃愛」
ふわりと花が綻ぶような笑みからすると、本当に喜んでくれているのが分かる。
安堵に胸を撫で下ろす俺とは反対に、乃愛がへにゃりと眉を下げて俺を見る。
「あの、それで、デートに関してなんですが、他の人にアドバイスを貰ってもいいでしょうか?」
「他の人?」
「はい。莉緒さんに協力して貰おうと思いまして」
「ああ、成程。乃愛と莉緒は友達なんだし、二人の間でのやりとりに俺の許可なんていらないって」
同じ年上の男性を想う女性として、デートの知恵を貸して欲しいようだ。
そこまでしてくれるのは嬉しいが、莉緒が変な事を吹き込まないかは正直なところ心配だ。
けれど、俺にそれを止める権利などない。
好きにすればいいと肩を竦めて態度で示すと、乃愛が表情に歓喜を宿した。
「分かりました。じゃあ瀬凪さんとのデートが成功するように色々と聞いておきますね」
「俺は近くでデートスポットが無いか調べておくよ」
「ふふ、ありがとうございます。よーし、それじゃあもう少しだけ頑張っちゃいます!」
「ホント、無理しないようにな」
「はい。分かってますよ」
軽い休憩を終え、乃愛が再び勉強に取り掛かる。
先程は単に真面目に勉強していただけだが、今は気力が充実しているように見える。
俺もデートの時に気掛かりにならないようにと、再びレポートに取り組むのだった。
「ありがとうございました、莉緒さん」
『気にしないで! 私達は同士なんだから!』
「ふふ、そうですね」
テスト期間が終わり、私も莉緒さんも余裕が出来た。
デートはというと瀬凪さんのバイトの都合もあり、まだ行っていない。
だからこそこうして莉緒さんにアドバイスを貰っているが、仲良くなった事で気楽に話せている。
「……でも、上の人を好きになるって大変ですね。勿論、嫌だとは思ってないですけど」
『だよねぇ。翼は――もう水樹さんもか――私達を年下扱いしないけど、それでも、どうしても壁はあるんだよね』
「そうなんですよね」
同じ時間を共有出来ない。共有出来るのは学校以外の時間。
それだけでなく、ふとした時に年齢の違いを感じるのだ。
瀬凪さんの体を洗えなかった時は勿論、あっさりとデートを許して貰った時のように。
多分、周囲に兄妹と見られると予想したから許可したのだろう。口にしなかったのは瀬凪さんが優しいからだ。
どうしても越えられない壁に、もどかしさを感じて胸が苦しくなる。
「それに、ただ近くに居るだけじゃ瀬凪さんの不安を無くせません。どうしたらいいんでしょうか……」
一番近くに居ていいという許可をくれたのだから、少なからず想ってくれているのは分かっている。
けれど、このままでいいとは思えない。同時に、今の私はアピールする事しか出来ない。
いくら言葉で想いを伝えても「絶対に離れない」と口にしても、相手の心に響かなければ意味が無いのだ。
不安に満ちた声を漏らせば、電話越しに『そうだなぁ』と迷うような声が聞こえた。
『乃愛にとって、何が一番大切?』
「瀬凪さんです。あ、勿論お母さんも大切ですよ」
『ふふ、分かってるよ。家族は大切だもんね。それで、一番大切なものの為に、自分を変える覚悟はある?』
「……それは、どういう意味ですか?」
私の家で話した時のような、凛とした声に背筋が伸びる。
瀬凪さんが自分の弱い所を話してくれた時に「変わりたい」と思ったのは本当だ。
だからこそ、莉緒さんの言葉の真意を知りたい。
『さっき話してくれたから、乃愛の学校の環境とか前髪の事は分かってる。まあ、水樹さんの悩みも理解は出来るかな。その上で聞くよ』
一度言葉を途切れさせ、電話越しに莉緒さんが息を吸い込んだ。
『クラスメイトからのやっかみを受けるのと、水樹さんの悩みを無くせない事。どっちが嫌?』
「瀬凪さんの不安を無くせない事です」
瀬凪さんと一緒に過ごすまで、ずっと嫌だった学校の環境。隠してしまった両親から受け継いだ瞳。
それらを瀬凪さんとの関係と天秤に掛けると、あっさりと片方に傾いた。
迷いなく応えた私に、莉緒さんは『そっか』と満足そうな呟きを落とす。
『その覚悟があるなら、水樹さんに見せてあげてもいいんじゃないかな。クラスメイトなんかよりも、貴方の事が大切ですって。言葉じゃなくて、姿で』
「それって――」
『これはあくまでアドバイスであって私の意見。これからの乃愛の生活が掛かってるんだから、無理強いはしないよ。勿論、今までと同じでも乃愛を嫌いになったりしない』
最後は自分で決めろと、莉緒さんは言う。
けれど、莉緒さんの案は今の私にとって一番必要なもののような気がした。
「分かりました。よく考えて、その上で行動したいと思います」
『ふふ、応援してるよ。あ、応援ついでにアドバイス。今度デートするって話だけど、乃愛の見た目と年齢を逆手に取ったらどうかな?』
「逆手に、とは?」
『つまりこういう事だよ。デートの時は――』
頼もしい友人との会話は、深夜を過ぎても続くのだった。
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