第29話 年上が年下に甘えても

 乃愛に告白された次の日。バイトを終えて夜遅くに帰ってきた。


「ただいま、乃愛」

「おかえりなさい、瀬凪さん」


 歓喜に溢れる笑顔が、昨日までよりも甘さを帯びているのは気のせいではないはずだ。

 その笑顔に元気を貰い、杠家へと上がる。

 いつも通り乃愛が晩飯の準備をしている間に風呂を終え、絶品の料理を味わった。

 片付けは意地でも譲らないので任せて、リビングで疲れを癒す。

 あっという間に片付けを終えたようで、乃愛がぽすりと隣に座った。


「さて瀬凪さん。昨日言ってた事、覚えてますか?」

「昨日? 色々あったから、どれの事だか……」


 勉強会に乃愛の告白、その後の彼女の猛アピールと、昨日はあまりにも多くの事があった。

 保留で良いと言っていたが、やっぱり返事がすぐ欲しいのかと頬を引きらせる。

 すると、乃愛が柔らかく目を細めながらも苦笑した。


「そんな不安な顔しなくても大丈夫ですよ。ほら、バイト終わりの瀬凪さんを癒すって言ったじゃないですか」

「あ、ああ、それか」


 一番心配していた事じゃないと分かり、安堵の溜息を吐き出す。

 その溜息を変な方向に勘違いしたのか、乃愛が形の良い眉を歪めた。


「何ですか。もしかして、大した事じゃないって舐めてます?」

「それは誤解だ。期待はしてるんだぞ」

「ふーん。そうですか」


 どうやら、乃愛の機嫌が斜めを向いたらしい。

 もしかすると、今日は何もしないのかもしれない。そんな考えは彼女が膝を軽く叩いた事で砕けた。


「さあ瀬凪さん。どうぞ」

「……え?」

「え、じゃないです。お膝にどうぞ」

「やりたい事は分かったけど、ホントにするのか?」

「します。私を舐めたからには、たっぷり癒されてもらいますから!」

「それは何か違うような……」


 仕返しというには可愛らしく、どこまでも俺を癒そうとしてくれる。

 嬉しさに胸が温かくなるが、中学生に膝枕される大学生は流石に駄目なのでは。

 子供扱いをしないと決めた以上は口に出せないが、素直に頭を預けられもしない。

 引いた笑顔を見せると、乃愛がぺしりと先程よりも強く膝を叩いた。


「ほら、瀬凪さん」

「分かった、分かったよ。それじゃあ失礼するぞ」


 こうなった場合の乃愛は絶対に折れない。

 諦めの境地で体を横に倒し、乃愛の膝に頭を乗せる。

 小柄で細い体の乃愛だが、パジャマ越しにも分かる程に太腿が柔らかい。

 これまで以上に距離が近いせいで、蜂蜜を溶かしたような甘い匂いが強く香った。

 女性という存在をこれでもかと叩き付けられて、一瞬で心臓の鼓動が激しくなる。


「ふふ、私の膝枕はどうですか?」


 上を見れば、先程の拗ねなど欠片も見えない甘さを帯びた笑顔が見えた。

 それが多少隠れている事に、ふと疑問を覚える。


(もしかして、結構あるのか?)


 小学生と勘違いしてしまう程に小柄な中学生。なのに、一部だけが年齢や外見には不相応。

 今まで全く気にしていなかったし、気にするのは犯罪だった。

 しかしパジャマという薄い服を着ているのと、乃愛を見上げる体勢で気付いてしまった。

 あまりにも魅力的過ぎる着瘦せに、慌てて彼女とは反対を向く。


「その、気持ち良いよ」

「なら良かったです。追加で、いつもの逆パターンもしちゃいますよー」


 どうやら俺の気付きはバレていないらしい。鈴を転がす声が耳に届いた。

 すぐに細い指先が髪を梳くように撫で始める。

 労わるような、優しい手つきが堪らない。

 あれほど煩かった心臓の鼓動が、だんだんと収まってくる。


「前に、中学生に甘える大学生が居てもいいと言ったじゃないですか。だから、こうやって瀬凪さんが膝枕されてもいいと思いませんか?」

「確かに言ってたよな。……膝枕はやり過ぎな気がするけど」

「私達以外誰も見てないんです。瀬凪さんさえ納得してくれれば、やり過ぎでも何でもないですよ」

「……」

「それに、甘えてくれると嬉しいとも言いましたよね。バイト終わりくらい、甘えてくれませんか?」

「それは狡いだろ……」


 不安の込められた言葉が俺の心を抉る。

 こんなにも癒そうとしてくれているのだ。彼女の言う通り、バイト終わりくらい甘えてもいいのでは。

 抵抗を諦めて肩の力を抜くと、くすくすと嬉しそうに笑われた。


「遠慮なく私に癒されてくださいね」

「ありがとな、乃愛。ぶっちゃけ最高だ」


 元恋人には膝枕された事も頭を撫でられた事も無かった。だからこそ、女性に頭を撫でられるのがこんなに気持ち良いとは思わなかった。

 膝枕も柔らかく良い匂いで、ずっとこうしていたくなる。


「でもなぁ……。これ、はまっちゃいそうなんだよ」

「いいじゃないですか。ぜひ嵌っちゃってください。抜け出せなくなってくださいよ。そうしたら、瀬凪さんをずっと癒せます」

「それ、俺が駄目人間になるだろうが」

「駄目人間の瀬凪さんも良いと思いますよ。それだけ私を必要としてくれてるって事ですし」


 駄目人間製造機、というよりは愛が重いのだろう。

 乃愛の新たな一面を知れて、嬉しくなると同時に背筋が寒くなる。

 毎日膝枕をされると本当に抜け出せなくなりそうなので、バイト終わりだけで本当に良かった。


「意地でも駄目人間にはならないからな。乃愛が俺を支えようとしてくれるなら、俺だって乃愛を支えたいんだ」


 一方的ではない、お互いがお互いを支える関係。

 こんな膝枕されながらでは説得力の欠片も無いが、それを目指したい。

 覚悟を口にすると細い指が一瞬だけ動きを止め、再び俺の頭を撫で始めた。


「どちらかというと、瀬凪さんが支えてくれたから、私も支えたいと思ったんですけど」

「俺は何もしてないって」

「瀬凪さんがそう思ってても、私は違うんですー」


 拗ねたような声を漏らしつつも、乃愛は決して手を止めない。


「それで、駄目人間になりたくないみたいですけど、膝枕は辞めますか?」

「……もうちょっとだけ、してもらおうかな」

「はぁい」


 歓喜をたっぷりと詰めた返事が耳に届いた。

 太腿の柔らかさに、蜂蜜を溶かしたような甘い匂いに、優しい指使い。

 この最高の環境を手放す事は出来ず、今だけは駄目人間になるのだった。

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