第13話 心の傷は未だに

 買い物を終えて杠家に着き、それから美味しい飯で腹を膨らませた。

 そして今はというと、乃愛ちゃんとソファに座ってアニメを見ようとしている。


「本当に恋愛モノで良かったんですか?」

「いいよ。興味があるからね」


 女子中学生と一緒に恋愛モノのアニメを見るなど、よくよく考えると普通は有り得ない状況だ。

 けれど興味があるのは間違いないし、同時に打算もあったから見ようとしている。


(乃愛ちゃんと一緒だったら、嫌な気分にならないかもしれないし)


 くよくとしないと誓ったのに、未だに元恋人の事は引きっている。

 日頃から思い出して落ち込んだりするのではなく、ふとした切っ掛けで胸が痛くなるという意味で。

 だからこそ恋愛モノは避けていたが、いいタイミングなので一度見てみるべきだ。


「じゃあこれを見ましょう!」


 手慣れた様子でテレビを操作し、乃愛ちゃんが一つのアニメを再生する。

 それは恋愛モノに疎い俺でも知っているような、少し前にかなり話題となったアニメだ。

 自分に自信の無い男子と、人気者ではあるが特別周囲と仲良くなっていない女子。

 そんな二人が、ちょっとした出来事から仲良くなっていく話だ。


「「……」」


 どうやら乃愛ちゃんはアニメの鑑賞中にあれこれと意見を言う派では無いらしい。無言でジッとテレビを見ている。

 こういう話に憧れがあるのだろう。ちらりと横目で様子を見れば、蒼と黄金の瞳が輝いていた。

 俺はというと、予想していたよりもメンタルにダメージが入る事はなかった。

 理由は勿論分かっている。どこか一線を引いた目で見てしまい、あまり感情移入が出来ないのだ。


(これぞ理想の恋愛って感じだなぁ。凄いもんだ)


 話は面白いし、ヒロインも可愛いと思う。人気になるのも頷ける。

 けれど、自分がこういう立場になれるとは思えない。

 アニメの登場人物と自分自身を重ねても意味は無いのだから。


「はぅ……」


 数話終わったタイミングで、乃愛ちゃんが熱の篭った息を吐き出す。

 恋愛モノに結構な興味を持っているのは分かっていたが、女子中学生にはたまらないのだろう。


「いやぁ、面白いね」

「ですよね! 主人公はちょっと素直じゃないですけど気遣いが出来て、ヒロインがちょっとずつ甘えていくのが最高です!」

「あんな気遣いされたら、そりゃあ好きになるよね」

「ですです! ヒロインも最初はつんとしてますけど、でも優しさが隠せてなくて――」


 興奮して僅かに頬を赤らめる乃愛ちゃんと、意見を交わしていく。

 こういう姿を見るのは初めてで、思わず頬が緩んでしまう。

 そんな俺を顔を見て、盛り上がっていた乃愛ちゃんがはっと我に返った。


「す、すみません。私ばっかり話しちゃって」

「気にしないで。こうして誰かとアニメを見て、その場で意見を言い合うのは初めてだけど、楽しいし」

「あ、ありがとうございます……。その、私も、楽しい、です」


 噓偽りのない意見を述べれば、乃愛ちゃんが先程とは違った感情で顔を赤らめる。

 可愛らしい姿に再び頬を緩ませ、アニメ観賞を再開した。

 そして再び数話見たところで、先程と同じく話しながら休憩する。

 その中で突然、乃愛ちゃんが悲し気に目を伏せた。


「……ああいうヒロインって、ヒロインになるべくしてなった存在ですよね」

「というと?」

「聖人のような人、とまでは言わないですけど、魅力的な人じゃないですか。それに比べて私は……」


 しゅん、と肩を落とす乃愛ちゃん。

 誇りたい自らの瞳を隠し、虐めを受けないようひっそりと生きている現状にはずっと悩んでいるのだろう。

 そんな落ち込んだ姿を何とかしたくて、美しい黒髪に手を伸ばした。

 困ったような顔をしつつも、乃愛ちゃんは俺に撫でられるがままだ。


「……えと」

「解決なんて簡単には出来ないし、悩むのは仕方ないと思う。でも、そんなに卑下しないでいいんじゃないかな」

「そう、でしょうか?」

「そうだよ。優しい上に料理は上手、さらに両親から貰ったオッドアイを嫌ってないんだ。十分誇っていいよ。……少なくとも、俺はそんな乃愛ちゃんを嫌ったりなんかしない」


 他人から見れば簡単そうな事でも、当の本人からすれば大変な事はある。

 乃愛ちゃんが自らの瞳を誇れないように。俺が未だにこっぴどく振られた事を引き摺っているように。

 決して比べるものではないが、俺も簡単には解決出来ない悩みを抱えているからこそ、乃愛ちゃんを絶対に否定しない。

 出来る限りの穏やかな声で告げれば、乃愛ちゃんが澄んだオッドアイを見開き、それから頬を薔薇色に染めた。


「ありがとう、ございます。嬉しい、です」

「……」


 甘さを滲ませる魅力的な笑顔に、惹き付けられて言葉が出ない。

 ジッと乃愛ちゃんを見つめていると、羞恥が襲ってきたのか勢い良くテレビへと顔を向けた。

 当然ながら、彼女の頭に置いた手は離れてしまう。


「さ、さあ続きを見ましょう!」

「そ、そうだね」


 乃愛ちゃんの声に我を取り戻し、俺もテレビへと視線を向ける。

 つい見惚れてしまっていたので、彼女の提案は有り難かった。

 そのまま再び無言でアニメを見ていると、何とも言えない空気が霧散していく。

 そうしてアニメを見続けて暫く経ち、夕方になった所で肩に重みが加わった。

 隣を見れば、乃愛ちゃんが目を閉じて俺に寄り掛かっている。


「……すぅ」

「ずっとアニメを見てたもんな。しかも一回見てるみたいだし、そりゃあ眠くもなるか」


 美少女がすぐ傍で寝ているという展開に慌てはする。

 けれど先程の空気が無くなったお陰で、いつもと同じで妹を相手にするような心境になっていた。

 起こすべきか考えたものの、この後は特に予定など無いし、寝かせ続けてもいいだろう。


「ちょっとごめんね、乃愛ちゃん」


 頭と肩を支え、体をゆっくりと横に倒していく。

 申し訳ないと思いつつも、乃愛ちゃんの頭を俺の膝に乗せた。

 もし彼女が起きて嫌がったら、離れた後に全力で謝ろう。


「……ん」

「何とかなったな」


 乃愛ちゃんが少しだけむずがったが、目を開ける事はなかった。

 ホッと胸を撫で下ろし、手持ち無沙汰ぶさたなので音量を下げてアニメを再び見始める。

 山場に差し掛かった所で、胸の痛みにふっと息を吐き出した。


「凄いもんだな。ふさわしい人になれるように変わる、か」


 主人公が髪形を変えるだけでなく、性格も変えようと努力する。

 素晴らしい展開だが、俺の心にはもやがかかったままだ。

 それが主人公に対する妬みなのか、ひがみなのか、あるいは拒絶なのか、自分でもよく分からない。


「よく出来るよな。変わったものが、良い方向に行くなんて限らないのに」


 元恋人が大学で人気者になり、少しずつ距離が開いていったように。

 誰もが変わっていき、俺の傍から離れるのだろうか。


「はぁ……」


 乃愛ちゃんが寝た後も見続けたのは失敗だった。

 心に掛かる靄をどうにかしたくて、がしがしと髪を乱暴に掻く。

 顔をうつむければ、乃愛ちゃんがゆっくりと両眼を開ける所だった。


「…………せな、さん? どうか、したん、ですか?」


 寝ぼけているのか、とろみを帯びたオッドアイが俺をジッと見つめる。

 その美しい両目に内心を見透かされそうで、視線を逸らした。


「えっと――」

「だいじょうぶ、ですか? つらいん、ですか?」

「……大丈夫だよ」


 乃愛ちゃんは家庭事情や悩みを俺に話した。

 俺を家庭事情に巻き込んだからとはいえ、口にするのはきっと怖かったはずなのに。

 そんな風に中学生が恐怖を押し殺して話してくれたのに、今の俺に出来たのは誤魔化す事だけだった。

 自分の惨めさに泣きそうになるが、悩みを女子中学生に話すような人が頼られる人になれるはずがないと思いなおし、必死に表情を取り繕う。


「そう、ですか?」

「うん。というか乃愛ちゃん、ぐっすりだったね」

「ぐっ、すり? ……はえっ!? す、すみません!」


 どうやら意識は覚醒したらしい。

 乃愛ちゃんが勢い良く起き上がり、俺の膝から頭を離した。


「謝らなくていいよ。休みの日なんだし、昼寝――というよりは夕寝?――くらいしたいよね」

「でも瀬凪さんの膝を借りるなんて……。あぁぁぁ……」


 落ち込む理由などないのだが、乃愛ちゃんは顔を覆って項垂れる。

 先程の俺の様子などさっぱり忘れた姿に内心で安堵しつつ、彼女を慰めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る