第14話 杠乃愛の一日
「ぅ……。ん……」
部屋に響く電子音を止め、重い
ほぼ動いていない頭を機械的に動かして洗面所へ。
歯磨きをしつつ洗面台の鏡を見れば、黒髪で目元を隠した小柄な女の子が居る。
「……」
陰気な姿だなと思うが、同時に自らが望んだ姿だ。そして、情けない自分自身の内心を現す姿でもある。
見続けても良い気持ちにはならないので、歯磨きを終えて顔を洗う。その次は髪の手入れだ。
前髪は仕方ないとして、せめて女性らしくしたい一心で腰まで伸ばした黒髪。
自慢ではあるものの、現在では学校での私の印象を悪化させる要因になっている。
とはいえ、別にそれで構わないのだが。
「よし終わり、ご飯作ろっと」
キッチンで目玉焼きとウインナーを一纏めにして焼く。
他に人が居れば別々に料理したかもしれないが、どうせ私しか食べないのだ。見た目は気にしなくていい。
あっという間に料理は完成し、それをお腹に入れて栄養補給は完了だ。
自室に戻って制服に着替え、身だしなみを軽くチェックして玄関に向かう。
「行ってきまーす」
誰に聞かせる訳でもない声を発して家を出た。
隣の家の扉まで歩いた所で、瀬凪さんの顔が浮かぶ。
「瀬凪さんに朝会った事って無かったっけ」
私は電車に乗らないといけないので、それなりに朝が早い。しかし大学生は家を出る時間が少し遅いようだ。
もしかすると瀬凪さんは寝ているのかもしれない。
今、瀬凪さんの家に入れたら寝顔を見れるのだろうか。寝顔どころか、一緒に朝ご飯を摂れたら最高だろうな。
そんな事を考えつつマンションを出て駅に向かう。
通学時間なので駅には人が多く、それは電車内もだ。
私が小柄なのもあり、電車に乗る時はいつも潰される形になってしまう。
「うぅ……」
こんな満員電車で私の事を気にする人など誰も居ない。
そもそも気にされた所で人見知りを発揮するだろうから、気にしないで欲しい。
憂鬱な気分で電車に揺られ続け、ようやく
残念ながら、気分は晴れないままだが。
「おはよー」
「おはよー!」
学校に近付いてくると、仲の良さそうな女子達が挨拶しているのが目に入った。
元気なものだと内心で独り言ち、校内で上履きに履き替えて自分のクラスへ。
なるべく音を立てないように、けれど怪しまれない程度に素早く扉を開けて教室の中に入った。
「……」
当然ながらクラスメイトへの挨拶は無いし、挨拶される事も無い。
話をするような友人など居ないのだから。
このままひっそりと教室の中を歩き、自分の机で本を読み始めるまでが私の朝の流れだ。
「昨日、駅前の――」
「マジ!? 私も今度行こー!」
「お前眠そうだなー。さてはゲームし過ぎたな?」
「おう……。ドハマりしてな……」
食べ物やファッションで盛り上がる女子。スポーツやゲームで盛り上がる男子。
どれも、私とは遠い世界での会話のように思える。
実際、私がどこかのグループに混ざって会話する事は無いだろう。
居ても居なくても変わらない存在。それでいい。
(あぁ……。早く学校終わんないかなぁ……)
学校は勉学に励む場所だ。同時に、人間関係を学ぶ場所でもある。
だからこそ授業は真面目に受けるし、サボったりなどしない。
問題は人間関係だ。その構築に失敗した私が学んだ事は、私は窓際でひっそりと過ごすのに相応しいという事実だった。
何の面白味もない教室は息苦しく、早く帰りたいという気持ちになるのも仕方がない。
溜息をついて、本を流し読みするのだった。
「これでHRは終わります。日直は日誌を書いて持って来るように」
退屈な学校が終わり、さあ帰ろうという所で担任の教師が無情な言葉を発した。
出来る事なら聞かなかったフリをしたいのだが、日直なのにサボったら怒られるのは目に見えている。
とはいえ、別に日直の仕事が面倒なのではない。
男女でペアになって日誌を書くという、心底どうでもいい理由で男子と会話しなければならないのが面倒なのだ。
ましてや、私のペアはクラスでも有名な男子。確か、バスケ部のエースと誰かが話していた気がする。
関わり合いになりたくなくて、日誌を男子へと渡す。
「……あの、日誌の提出と教室の戸締りは私がするので、先に書いてください」
同年代であれば多少の会話は出来る。何とかそれだけを伝え、自分の席に戻った。
そんな素っ気ない態度が気に食わなかったのか、クラスカーストのトップである女子の声が聞こえてくる。
「何あの態度。流石幽霊」
「やめなよー。亮太くんに先に帰っていいって言ってるんだからー」
「あ、それもそっか。やっさしー」
馬鹿にしたような台詞に、じゃあ媚びを売れば良かったのか、と内心で悪態をつく。
その瞬間に敵になるのが分かり切っているし、媚びを売るつもりもないので無視一択だ。
また、黒髪を腰まで伸ばした結果の悪口を言われたが、その程度では何も感じない。
聞こえていないフリをして男子生徒が日誌を書き終えるのを待っていると、どんどん人が帰っていく。
その際に、先程陰口ですらない悪態をついた女子が近付いてきた。
「亮太くんと一緒だからって、調子に乗るような事すんなよ」
「…………はい」
明らかに脅すつもりの声と台詞に、小さな声だけを返した。
おそらく、彼女は日直の男子に気があるのだろう。
ぶっちゃけどうでもいいし、敵対してトラブルになりたくないので、
すると満足したのか彼女は教室を出て、教室の中には二人だけになった。
「はい、杠さん」
「ありがとうございます」
日誌を受け取り、早速書き込もうとする。
すぐに男子が帰ると思ったのだが「杠さん」という言葉に引き留められた。
さっさと帰りたいという気持ちが顔に出ないよう、無表情を取り繕う。
「何、ですか?」
「杠さんって、どうして目を隠してるの?」
「隠したいからです」
「どうして? その、凄く綺麗なのに」
「…………見たんですか?」
男子の言葉に背筋が寒くなる。他人と話すのが嫌だと思っている場合ではない。
見せるタイミングなど無かったはずなのに、何故か私の瞳の事を知っているのだから。
警戒の意思を声に込めると、男子は慌てるように手を体の前で振った。
「わざとじゃないんだ! 本を読んでる時に、一瞬だけ前髪を払った時があって……」
「そういう事ですか。分かりました」
自分で前髪を伸ばしたとはいえ、
納得の意を示して警戒を解くと、男子がホッとしたように息を吐いた。
「それで、何で綺麗なのに隠すの? 勿体ないよ?」
「私が隠したいから隠してるんです。勿体ないと言われてもそれは変わりません」
トラブルになりたくないから隠しているのだ。
何も知らない癖に、良い提案をしたという風に言わないで欲しい。
この男子は私に僅かながら好意――は流石に自意識過剰なので興味か――を抱いているのかもしれない。
しかし、私の気持ちを考えない発言をされて、同じ気持ちを返せるはずがないのだ。
(瀬凪さんとは全然違うなぁ)
瀬凪さんは、私の事情を最初から
あの時の優しい顔と声を思い浮かべるだけで、胸が温かくなる。
「日誌はきちんと書いて提出するので、もう大丈夫です」
「え、あ、そ、そう……」
態度と言葉で暗にこれ以上踏み込むなと伝えれば、男子は明らかに落ち込んだ。
これで諦めてくれるだろう。頼むから、引き
もう昔のようにトラブルの種になるのは勘弁だ。
男子が去って行くのを確認し、日誌を書いて教師に提出する。
問題なく日誌を渡し終えたら学校を出て、家に帰る途中でスーパーに寄って食材を買う。
家に帰って冷蔵庫に食材を放り込み、部屋の掃除や風呂に入ったり、晩ご飯の下ごしらえをしているとインターホンが鳴った。
誰が来たのかは分かっているので、すぐに玄関に向かう。
「こんばんは、瀬凪さん」
「こんばんは、乃愛ちゃん」
疲れは見えるが大人びた優しい笑みに、余裕のある佇まい。
大学生というのはあるだろうが、それでも瀬凪さんはかっこいい。
彼に会うだけで、放課後の出来事で
「さあ上がってください。今から晩ご飯を作りますので、瀬凪さんはお風呂をどうぞ」
「いつもありがとう。お邪魔します」
「はい、どうぞ」
私の瞳を綺麗だと思っていても、私の事を考えて何も言わないでくれる。
だからこそ、この瞳を見せられるのだ。
瀬凪さんがお風呂に行くのを見送り、晩ご飯の準備を始める。
今日も美味しいと言ってくれたら嬉しいな、と思いながら手を動かすのだった。
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