第10話 勉強の合間に

 一度家に帰って下着を交換し、レポート用の筆記用具等を持って杠家へと帰る。

 玄関のすぐ傍に風呂場があるので、そこから聞こえてくる水音に気まずい思いをしながらリビングに辿り着いた。

 ジッとしていられずレポートを書いていると、乃愛ちゃんが風呂場からやってくる。

 昨日と同じピンク色のパジャマが、相変わらず可愛らしい。


「ごめんね、先に始めてるよ」

「ふふ、お気になさらず。というか、パジャマに着替えなかったんですね」

「流石にそれはくつろぎすぎかなって思ってね」


 家と家の間の移動は数十秒なので、パジャマ姿で外に出るのは構わない。

 けれど、乃愛ちゃんに家での油断しきった格好を見られるのが気恥ずかしかったのだ。

 苦笑と共に告げれば、同じ笑みが返ってくる。


「そんな事気にしないで、遠慮なく着てきてくださいよ」

「えぇ……。俺のパジャマ姿、嫌じゃない?」

「全然。というかどんなものだろうってちょっと期待してました」


 母子家庭なので、男性のパジャマ姿がどのようなものか気になるのだろう。

 いまいち分からない感覚だと肩を竦める。


「期待するようなものじゃないと思うよ」

「そうでしょうか? まあ、瀬凪さんに寛いで欲しいという事でひとつ」

「了解」


 ここまで言うのなら、風呂上りの際はパジャマに着替えてもいいかもしれない。

 乃愛ちゃんが俺の言葉に顔を綻ばせ、事前に用意していた勉強道具をテーブルに広げる。

 その際に鍵を返し、お互いに集中する時間が始まった。


「「……」」


 リビングにお互いの吐息とペンを動かす音、そして時々俺がスマホで調べ物をする音だけが響く。

 やはりというか、乃愛ちゃんはかなり真面目に勉強するらしい。

 それから特に会話もなく一時間が過ぎ、一段落したのでペンを置いて一息つく。


「ふぅ……」

「あ、休憩ですか?」

「そうだね。というか急いでないから、いつ終わってもいいんだけど。乃愛ちゃんは?」

「私はあともう少しですね。流石に私もちょっと休憩ですけど」

「なら休憩が終わったら、乃愛ちゃんに付き合うよ。その方が後の俺が楽になるし」

「真面目なんですね」

「真面目というか、後に回すと面倒くさいって分かってるだけだよ」


 元々の性格もあり、俺は課題があれば先にこなすタイプだ。

 後に回すと辛い事になるのは、数少ない友人が証明している。


「大学のコマ割りもそうだね。今は取れるだけ取ってるよ」

「……コマ割り?」


 きょとん、と首を傾げる仕草が無垢で可愛らしい。

 僅かに頬を緩ませつつ口を開く。


「前にちょっと言ったかもしれないけど、大学って進級に必要な単位さえ取れば一日中居なくてもいいんだよ」

「という事は遅く家を出たり、早く帰る事も出来るんですね」

「そうそう。でも油断してると後が怖いから、俺は今の時期から出来るだけ単位を取ろうとしてるだけ。後は講義について行きやすいし」

「はぇ~。じゃあ私とあんまり変わんない感じですかね?」

「どうだろう。朝はちょっと遅く出て、夕方は早いかな? 空いた時間はバイトとか、サークルーー部活みたいなのをやってる人が多いよ」

「瀬凪さんはバイトをしてると聞きましたけど、サークルには入ってないんですね?」

「それは――」


 乃愛ちゃんからすれば、単に頭に浮かんだ疑問を口にしただけなのだろう。

 けれど彼女の質問に、上京してきて周囲に上手く馴染めず、その結果サークルに入りそびれた元恋人と仲良くなった、苦い思い出が頭に浮かんだ。

 ずくりと痛みを訴える胸に手を当てそうになるが、必死に動きを止める。くよくよするのは辞めると誓ったのだから。


「? どうかしましたか?」

「いや、何でもないよ。大学生なんだからある程度は自分で生活出来るようにしないとなって思ってね。だからバイトをして親に頼らないようにしてるんだ」


 純粋な質問に怒るつもりもないし、こんな情けなく弱い心を悟られたくもない。

 未だに完全には立ち直れていない自分自身に、内心で苦笑を落とす。

 同時に、俺の言葉が途切れて頭に疑問符を浮かべている乃愛ちゃんに軽く家庭事情を告げた。


「なるほど。……もしかして、家族の仲が悪かったりするんですか?」

「そういう訳じゃないよ。やりたいようにやらせてもらってるだけ。ま、バイトは良い社会勉強になるしね」

「瀬凪さん、凄いです」


 尊敬の眼差しで見つめられたが、そんな目で見つめられると罪悪感が沸き上がる。

 乃愛ちゃんのお陰で晩飯は美味しい物を食べられて、睡眠時間を削ってでもレポートを書く必要が無くなっているのだから。


「そんなに凄い事はしてないんだけどなぁ。前と違って、バイト漬けでもないし」

「バイト漬け、だったんですか?」

「そうだよ。というか、乃愛ちゃんこそ凄いよね。ちゃんと勉強してるし」


 微妙に突っ込まれたくない話題だったので、少々強引に変えさせてもらった。

 俺の心境を何となく察したのだろう。乃愛ちゃんがいぶかしみつつも頷く。


「結構好き勝手にさせてもらってますからね。その代わりに勉強はサボらないようにしてます」

「乃愛ちゃんこそ真面目だねぇ」

「別に真面目なんかじゃ……。アニメとか漫画とか、結構見たり読んだりしてますから」

「それくらい普通じゃない? アニメは俺も偶に見るよ」


 乃愛ちゃんはどう見てもアウトドア系じゃないし、友人関係も含めたら外に出る訳がない。

 となると、サブカルチャーに詳しくなるのは必然だ。

 実際、俺だって時間が出来てからそっち系に微妙に詳しくなっているのだから。

 話題に乗っかったからか、乃愛ちゃんが蒼と黄金の瞳を輝かせた。


「どんなジャンルを見るんですか?」

「俺は異世界モノが多いかな。王道だからこそ楽しいね。乃愛ちゃんは?」

「私も異世界モノは見ますけど、恋愛モノの方が多いですね……」


 恥ずかしいのか僅かに頬を赤らめ、上目遣いで俺の様子を見る乃愛ちゃんは、頭を撫でたくなる程に可愛らしい。

 いかにも思春期の女子中学生らしい好みと合わせて、勝手に頬が緩んでしまうのも仕方がない。

 

(でも、恋愛モノかぁ。アレがあったから避けてたんだよなぁ……)


 そういうジャンルのアニメを嫌悪してはいないが、かといって積極的に見ようとは思わなかった。

 しかし、いつまで経っても避けていては元恋人を引き摺っているのと変わらないだろう。


「恋愛モノもいいと思うよ。面白いアニメがあったら見てみようかな」

「で、でしたら今週の日曜日とか、どうですか?」

「え、日曜日? バイトは――休みだね。いけるよ」


 まさか乃愛ちゃんから提案されるとは思わず、目を瞬かせつつも予定を確認した。

 タイミングが合ったからか、蒼と黄金の瞳の輝きが一層強くなる。


「じ、じゃあその日はアニメを見るって事で、いいですか?」

「勿論。よろしくね」

「はい!」


 乃愛ちゃんがぱっと花が咲くような笑みを浮かべた。

 その可愛らしい笑顔に頬を緩ませ、テーブルの筆記用具に視線を戻す。


「それじゃあ日曜日に余計な心配をしないように、ちゃんとレポートを済ませないとね」

「なら私も家で勉強しないで済むようにします!」


 意気込みを新たに、手を動かし始める。

 後の楽しみが出来たからか、今まで以上に捗った。

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