第7話 色違いの瞳を持つがゆえに
「あ。やっぱり寝たんですね」
彩乃さんが寝てから暫く経って、乃愛ちゃんが風呂場から出てきた。
小柄だからか、ピンク色のパジャマがよく似合っていて可愛らしい。
「やっぱりって、酒を飲んだ後に寝るのはいつもの事なの?」
「はい。はしゃぐだけはしゃいで、いきなり電源が落ちるんですよ」
「成程なぁ……」
どうやら、俺に見せた大人びた姿は幻想だったらしい。
会話の内容的に理性の最後の欠片が現れた可能性もあるが、何にせよあの姿は乃愛ちゃんに見せていないようだ。
余計な事は口にすまいと頷くだけに留めていると、乃愛ちゃんが彩乃さんに近付いていく。
「ほらお母さん。そんな所で寝てないで、ソファに行って」
「……んぅ」
「駄々
眉を
流石にそれは勘弁して欲しかったのか、彩乃さんがのそりと起き上がってソファに向かった。
すぐに寝息を立て始めた彩乃さんを見て、乃愛ちゃんが溜息を落とす。
「本当に、やりたい放題な人なんだから……」
呆れきった言葉とは裏腹に、乃愛ちゃんの目は優しい光を帯びていた。
乃愛ちゃんが居るこの家だからこそ、彩乃さんがここまで気を抜けるのだと分かっているのだろう。
あるいは普段忙しいので、こういう時くらいはしゃいで欲しいのか。
「お母さんに変な絡みはされませんでしたか?」
「大丈夫だよ」
「なら良かったです。私の時は抱き着いて来たりしますからね」
疑ってはいなかったが、彩乃さんの「最愛の娘」というのは本当だったようだ。
過激なスキンシップだとは思うものの、乃愛ちゃんの顔に嫌悪が浮かんでいないので、彼女も何だかんだで楽しんでいるのだろう。
だからこそ、余計なお世話だとは思うが、ほんの少しだけお節介を焼きたいと思ってしまう。
「流石に俺に抱き着くのは有り得ないから。まあ、その、それだけ乃愛ちゃんの事が大切なんだよ」
「……分かってますよ。私も、お母さんの事は大切ですから」
「そっか」
嬉しさの中に悲しさを混ぜ込んだ笑みを浮かべ、乃愛ちゃんがテーブルの後片付けをしだす。
手伝おうかと思ったが、皿が少ないのもあって手伝う間もなく終わってしまった。
特段やる事もなくなったので後は帰るだけだ。
「その、ちょっとだけ、お時間いいですか?」
何となく帰ると言い出しづらくて固まっていると、乃愛ちゃんが提案してきた。
断る理由もなく、頷きを返す。
「うん、大丈夫だよ」
「ならベランダに行きましょうか。話し声でお母さんを起こしたくはないので」
「分かったよ」
乃愛ちゃんと共に、ベランダへと向かう。
手すりに肘を置いて隣を見ると、美しい黒髪が春の温かな風に流れており、一枚の絵画のようだ。
「……あんまり面白くない話ですけど、聞いてくれますか?」
「勿論。でも、俺に話していいの? 嫌なら無理しなくていいんだよ?」
これから乃愛ちゃんが話そうとしている事は、予想がついている。
けれど、いくらこれから一緒にご飯を食べるとはいえ、ほんの数回話した程度の男に打ち明けて良いものじゃないはずだ。
念の為に確認を取れば、乃愛ちゃんが眩しそうに目を細める。
「瀬凪さんはホントに優しいですね。……大丈夫ですよ。これから私に付き合わせてしまうんです。その原因は、伝えておくべきでしょうから」
「晩飯代が浮くから彩乃さんの提案を受けた訳だし、付き合わせてってのは違うんだけど、分かったよ」
気負わないで欲しいと伝えると、小さな笑みだけが返ってきた。
そのまま乃愛ちゃんは俺と同じようにベランダの手すりに両手を乗せ、ぼんやりと外を見る。
蒼と黄金の瞳が、輝きを失っている気がした。
「どこから話しましょうか……。まず、私はクオーターなんです。この瞳は、その結果ですね」
「彩乃さんと、その、乃愛ちゃんのお父さんの瞳って事か」
これまで全く話題に出て来なかった人物について触れるのは気まずい。
つっかえながらも口にすれば「はい」と肯定の声が。
「お父さんについては、私もよく知りません。お母さん曰く『お互いの為に離婚した』との事です」
「そこはまあ、色々あったんだろうね」
俺には想像も出来ない、複雑な事情があったのだろう。
乃愛ちゃんも知らないようだし、この件に深く踏み込んでも仕方がない。
「みたいですね。まあ何にせよ、私は日本人の顔立ちに、このオッドアイを持って生まれました。……結果は、幼い頃からの仲間外れと
「珍しいから、自分達と違うから、か」
よくある話と言えばよくある話なのだろう。
実際、身体的な特徴ではないが俺にも心当たりがある。
とはいえ、当事者からすればそんな簡単には済まされない。
「そうみたいですね。だから私は昔からずっと一人で居ました。お母さんが忙しくて家に一人で居る事が多かったので、それは苦じゃなかったですし」
「……それは」
虐めや仲間外れが幼い頃から行われていた事。
一人でいる事を苦に思わない有り様。
乃愛ちゃんの境遇があまりにも辛過ぎて、反応に困ってしまう。
そんな俺の態度に、彼女は苦笑を零して首を振った。
「お母さんを恨んでるとか、そういうのは無いです。かなり自由にさせてもらってますし、頑張って働いてるのを尊敬すらしてますよ」
「乃愛ちゃんは、凄いね」
中学生でここまで達観した考えを持つ事など普通は有り得ない。
素直な賞賛を送るが、乃愛ちゃんは
「そうして一人のまま小学生高学年になって、周囲が私を見る目が変わっていきました」
「……どんな風に?」
「男子はまあ、ざっくり言うと下心が透けて見える目を。女子はそれに対しての嫉妬の目で、私を見るようになったんです」
「……」
小学生高学年の思春期に入ったばかりの子達。
そんな子達の中にこれほど綺麗なオッドアイを持ち、しかも容姿が整っている女の子が居れば注目の的だ。
しかも、注目のされ方が今までと全く違う。
今まで瞳が珍しいからと虐めや仲間外れにしていた癖に、魅力的な異性と判断して近付いてくる男子。
そんな男子を惹き付けるからと、より乃愛ちゃんを敵視する女子。
最悪と言ってもいい環境に、何を言えばいいか分からない。
「だから、前髪を伸ばしたんです。もう誰にも見られないように」
「そういう、事か」
「はい。そしたら虐めが無くなった代わりに、今度は根暗って女子に馬鹿にされ始めたんですけどね。まあ、その程度なら別にいいです」
あはは、と乾いた笑いを零す乃愛ちゃん。
その姿があまりにも痛々しくて、見ているだけで胸が苦しくなる。
「そんな現状をお母さんが気にして『学校に行きたくないなら行かなくていい』って言ってくれてるんです」
「……俺もそう思うよ」
世間一般からすれば、学校に行かないのは良くない事なのだろう。
けれど、無理に行かせようとしてもいい結果にはならない。
無理に背中を押さずにいると、乃愛ちゃんが僅かに口角を緩めた。
「ふふ、ありがとうございます。でも、逃げたくないんです」
「それは、どうして?」
「私はお母さんとお父さんから受け取ったものを、髪で隠して逃げてしまいました。これ以上逃げてしまうと、二人との繋がりを否定してしまう気がするんです」
詳しくは知らない父親と、忙しいなりに愛情を注いでくれる母親。
そのどちらも、乃愛ちゃんなりに想っているのだろう。
しかし、二人との繋がりであるオッドアイを周囲に見せないようにした。
それが乃愛ちゃんの負い目に、そして学校に通い続けるという覚悟になった。
(凄い子だな……)
この小さな体で、俺より六歳も年下なのに、こんなにも強い意志を持って生きている。
それに比べて俺は恋人に別れを告げられ、塞ぎ込んでいた。
自分自身が情けないと、奥歯を噛み締める。
同時に、この少女よりほんの少し先を行く人間として決意する。
(この子にとって頼れる人になろう)
決して傷が癒えた訳ではない。それでも、くよくよするのは辞めだ。
そう思って俺が
「まあ、そんな私の態度をお母さんが心配して、瀬凪さんに様子を見てもらう事になったんですけどね。……これが、全部です」
「事情は分かったよ。話してくれてありがとう、乃愛ちゃん」
彩乃さんからすれば、乃愛ちゃんが自分に心配を掛けないように強がっているように見えるのかもしれない。
だからこそ『私には無理だった』と言っていたのだし、乃愛ちゃんの態度からして強がってはいるのだろう。
ならば、俺は俺に出来る事をするだけだ。
「それに、瞳を見せてくれてありがとう。乃愛ちゃんには申し訳ないけど、初めて見た時は見惚れてた」
多少嫌われるかもしれないと思いつつも正直に告げれば、乃愛ちゃんが首を振った。
「大丈夫ですよ。学校の男子と違って、瀬凪さんは私を気遣ってくれましたから」
「そう言ってくれると助かるよ」
どうやら、あまり気にしてはいないらしい。
むしろ嬉しそうな微笑を浮かべる乃愛ちゃんに、ホッと胸を撫で下ろす。
「乃愛ちゃん、嫌だったら言ってね」
「は、はい……?」
俺の突然の質問に、乃愛ちゃんが目をぱちくりとさせる。
少しでも嫌悪感が顔に現れたら引こうと思いつつ、艶やかな黒髪に手を伸ばした。
「乃愛ちゃんは、凄いよ。仲良くなったばっかりの俺が言っても説得力なんて無いだろうけど、頑張ったね」
「え……」
ゆっくり頭を撫でながら褒めると、蒼と黄金の瞳が揺れた。
可愛らしい顔には、負の色など浮かんでいない。
「これからは、近くに俺が居るからさ。愚痴とか話したり、甘えたり、頼っていいからね。……これも、あんまり説得力がないな」
自分の台詞に何を言っているのかと呆れてしまう。けれど、これが本音だ。
苦笑を落とせば、乃愛ちゃんの顔が綻んだ。
歓喜に満ちた笑顔と、輝きを取り戻した色違いの瞳が俺を惹き付ける。
「そんな事ありません。頼っても、甘えても、いいですか?」
「勿論」
「ありがとうございます。ふふ、こんなに優しい人とこれから一緒だなんて、幸せです」
乃愛ちゃんが気持ち良さそうに目を細め、撫でられるがままになる。
それから暫く、彼女の頭を撫で続けたのだった。
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