第5話 あれよあれよという間に

「うーん、どこから説明しようかしらねぇ」


 彩乃さんが顎に手を当てて考え込む。

 少々子供っぽい仕草な気がするが、それでも絵になっていた。


「私って日本を出て、あっちこっちに出張してるの。それで、あんまり乃愛と一緒に居られないのよ」

「だから、代わりに杠ちゃんの様子を見て欲しいと。でも俺と杠ちゃんがその、仲良くなったのって、最近ですよ。そんな簡単に頼める内容じゃないでしょ」


 杠ちゃんと友人かどうかはさておき、この場では仲良くなったと言っておくべきだろう。

 実際、杠ちゃんが嬉しそうに頬を緩めたので、間違った事は言っていない。


「これでも仕事で色んな人と関わってきて、人を見る目はあるつもりよ。だから瀬凪くんは大丈夫!」

「……彩乃さんがそう言ってくれるのは嬉しいですけど」


 彩乃さんなりに俺を見た上で大丈夫だと判断したのなら、人となりについてあれこれ言っても無駄だ。

 諦め気味の苦笑を落とす。


「でも、何で一緒にご飯を食べる事になるんですか?」

「乃愛の様子を見てくれるお礼よ。まあ、お礼をするのは乃愛なんだけどね」

「それで杠ちゃんはいいの?」

「はい! むしろお礼させて欲しいです!」


 嬉しそうな笑顔からは、歳の離れた異性とご飯を共にする不安など見えなかった。

 妙に杠家に信用されたものだ。


「それと、瀬凪くんのご飯代は私が出すわ。大学生で一人暮らしなんだもの、お金は貴重でしょう?」

「俺からすると滅茶苦茶有難いですけど、流石にそこまでしてもらうのは……」

「いいのいいの。こういう時は甘えておきなさい」

「うーん……」


 正直なところ、晩飯の食費が浮くのは助かる。

 それに、杠ちゃんとは六歳も歳が離れているのだ。

 一名を除いて近い歳の女性に苦手意識を抱いているが、もう杠ちゃんには抱いていない。勿論、こうして話している彩乃さんにも。

 ならば提案を受けても良いだろうと、心の整理を付けて頭を下げた。


「バイトで家に帰って来るのが遅い日がありますが、それでいいならお世話にならせてください」

「全然構わないわよぉ。むしろバイトを頑張ってるなんて偉いわ。乃愛はどう?」

「私も構いません」

「ありがとう、杠ちゃん、これから迷惑を掛けるけど、よろしくね」

「め、迷惑は私の方が掛けると思います。よろしくお願いします、水樹さん」


 ただ様子を見るだけの俺と、二人分の晩飯を作らなければいけない杠ちゃん。

 どちらが迷惑を掛ける側なのかは分かり切っているのだが、ぺこぺこと頭を下げられると口にし辛い。

 少なくとも、話は纏まったのでこれでいいのだろう。

 そうして一段落したところで、彩乃さんが「そう言えば」と声を発した。


「私を名前で呼んでるんだから、乃愛も名前で呼ばないの?」

「名前で呼んで欲しいと言ったのは彩乃さんだったと思うんですが……」

「まあまあ、細かい事は気にしない。それで、どう? 母親を名前で呼ぶのに娘は名字って変だと思うけど」

「どう呼ばれたいかは本人が決めるべきでしょう。俺に決定権はありませんよ」


 軽い自己紹介の際に「名前で呼んでね」と言われたから彩乃さんはそうしたのだ。

 それが杠ちゃんにも適応されるとは思っていない。

 肩を竦めて返答を濁せば、彩乃さんの目が杠ちゃんの方を向いた。


「なら乃愛に決めてもらいましょうか。瀬凪くんに名前で呼ばれたい?」

「……えっと」


 蒼と黄金の瞳をあちこちにさ迷わせ、困惑を露わにする杠ちゃん。

 嫌ならば遠慮なく言って欲しいと口にしそうになったところで、彼女が上目がちに俺を見た。

 美し過ぎる瞳の輝きに、つい惹き付けられてしまう。


「名前で、呼ばれたい、です」

「わ、分かった。いくよ――」


 見つめ続けると杠ちゃんが嫌だろうと程々で視線を外し、息を吸い込む。

 彩乃さんの時も緊張したのだが、今回はそれ以上だ。

 杠ちゃんが期待にか頬を朱で彩らせているからなのかもしれない。


「乃愛、ちゃん」

「はい。瀬凪、さん」

「っ」


 花が咲き誇るかのような笑顔に、心臓がどくりと跳ねた。

 以前は前髪で瞳を隠していたし、先程までここまでの笑顔を浮かべてはいなかった。

 まさかの俺の名前呼びと合わせて、破壊力が凄まじい。

 口からは何も言葉が出ず、杠ちゃん――もう乃愛ちゃんか――と見つめ合うだけになってしまう。


「ふふ、若いっていいわね。あ、細かい所は二人で詰めてね。あんまり羽目を外し過ぎちゃ駄目よー」


 にまにまとした笑顔を浮かべた彩乃さんが、詳細を俺と乃愛ちゃんに丸投げした。

 大学生と中学生が一緒に居るのに注意を「あんまり」で済ませるのは軽過ぎるが、彼女にあれこれ言っても仕方ない。

 短時間だが、彩乃さんと知り合ってそういう性格だと分かった。


「さーて。話も済んだし、今日は飲むわよー! 乃愛ー、よろしくー! 瀬凪くんは今日から一緒でいいからねー!」

「お昼からお酒を飲んじゃ駄目だからね、お母さん。ごめんなさい、みず――瀬凪さん。今日の晩はお母さんに付き合っていただけたら嬉しいです」

「わ、分かったよ。それじゃあ一回お暇しようかな」

「はい。それでは、また」


 おそらく、晩飯の準備に取り掛かるのだろう。

 そんな乃愛ちゃんとだらっと体の力を抜いた彩乃さんに挨拶し、杠家を後にする。

 気が付けば乃愛ちゃんだけでなく俺の名前呼びが決まっていた。

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