第4話 黒髪の奥にあるもの

「……何でこんな事になったんだ?」


 我が家のリビングとほぼ同じ間取りながら、全く違う家具に囲まれた室内でぼそりと零した。

 乃愛ちゃんの肉じゃがを堪能した後、偶々会った時にタッパーを返した以外は特段彼女との関わりが無かった。

 しかし休日のある日。

 突然インターホンが鳴ったと思ったら、杠ちゃんの母親――彩乃さんと言うらしい――に家に招待されたのだ。

 招待した張本人はというと、軽い自己紹介を済ませ名前呼びを求めた後はご機嫌に笑んでいる。


「いやー、休みの日にごめんねー? 予定は無い? 大丈夫?」

「今日は大丈夫ですよ」

「そうなの? 良かったー!」


 弾けたような笑顔は眩しく、杠ちゃんの母とは思えない程に明るい。

 美しい黒髪は日本人らしいが、青みを帯びた瞳や整い過ぎている顔立ちからすると、外国人の血が入っているのだろうか。

 一児の母とは言えこんな美人が少し前に挨拶しに来たというのに、全く印象に残っていなかった。

 当時は疲れ切っていたはずなので、意識している余裕が無かったのだろう。


「えっと、それで、何でお呼ばれしたんでしょうか。もしかして俺、怒られます?」

「え? 何で瀬凪くんを怒るの? 乃愛を助けてくれたんでしょう?」

「いやまあ、そうですけど」


 心底分からない、と言いたげに首を傾げられた。

 以前杠ちゃんを助けた件で、何らかの琴線に引っ掛かり怒られるかと思ったが、杞憂きゆうだったらしい。

 ホッと胸を撫で下ろす。


「話を戻して、何で俺は呼ばれたんですか?」

「乃愛がお世話になったから、そのお礼をと思ってねー」

「もう杠ちゃんからもらってますし、改めて言われるような事はしてませんよ」

「ふふ、優しいのね」


 慈愛に満ちた笑顔を向けられ、頬が僅かに熱を持つ。


「……隣の家に住んでる人が困ってそうなら、助けるのが普通だと思いますが」


 ふいと視線を逸らして呟けば、優し気に目を細められた。


「それが出来ない人も居るのよ」

「持ち上げられても困りますって。誰彼構わず助ける訳じゃないですし。……それが酷い事をしてきた奴なら、尚更」


 俺は聖人君子などではない。元恋人が困っていても声を掛けない程度には薄情だ。

 過大評価をしないで欲しいという願いを込めての発言は、くすりと小さな笑い声に受け止められた。


「それが普通よ。余程の物好き以外、嫌な事をしてきた人を助けたいとは思わないわ」

「そう言っていただけると助かります」


 ある意味で冷たい発言からは、大人の貫禄が出ていた。

 優しそうな人だと思ったが、それだけではないのだろう。


「それと、勿論お礼を言いたいだけじゃないわよ? ちょっと提案をしようと思ったの」

「提案、ですか?」

「うん。だからそろそろ本題に入りたいんだけど、乃愛が部屋から出て来ないのよねぇ……」

「あ、家には居るんですね」


 杠家に招待されてから一度も姿を見ていなかったので、杠ちゃんは外出中だと思っていた。

 部屋から出て来ないのは、俺が何かしてしまったからなのだろうか。

 心当たりはないが首を捻っていると、彩乃さんが立ち上がった。


「そうなのよー、ちょっと待っててねぇ。乃愛ー! 昨日は納得してたでしょう!? 覚悟を決めなさーい!」

「…………もうちょっとだけ」


 俺の家では自室がある部屋から、くぐもった声が聞こえてきた。

 親子の会話なので口を挟まない方がいいのだろうが、無理強いするのはいかがなものかと思う。


「あの、彩乃さん。何の覚悟かさっぱり分かりませんが、杠ちゃんが嫌がってるなら止めた方がいいと思いますけど」

「いいのいいの。昨日まで頑張るって言っておきながら、土壇場になってビビるあの子が悪いから」

「さいですか」


 微妙に厳しいのは母親がゆえか、それとも杠ちゃんが怖気づいたからか。

 どちらにせよ、俺が出来る事は無くなった。

 肩を竦めて親子を見守っていると、杠ちゃんの居る部屋に彩乃さんが入っていく。

 それから小声で会話していたが「行ってきなさい!」と言う声と共に小柄な姿が飛び出してきた。


「あの、こんにちは……」

「……え」


 鈴を転がすような声で挨拶されたが、全く耳に入って来ない。

 一緒に駅から帰った時や、タッパーを返した時とは違って、薄手のワンピースを着ているだけならば清楚で可愛らしいだけだった。

 しかし、そんな服装よりも俺の目を惹き付けるものがある。 

 目元まで伸ばされていた黒髪が、ヘアピンで纏められた事で見えるもの。

 晴れた青空より澄んだ蒼と、月そのものと勘違いしてしまいそうに鮮やかな黄金。


(オッド、アイ)


 最近では外国人をよく見かけるが、ここまで綺麗なオッドアイは初めて見た。

 宝石のような二つの瞳が、俺の視線を掴んで離さない。


「……」

「あの、み、水樹、さん?」

「っ!? あ、ジッと見てごめんね。嫌だったよね?」


 女性の顔をジロジロ見るのはマナー違反だ。例え、それが見惚れていても。

 我に返ってすぐに頭を下げると、苦笑が返ってきた。


「えと、その」

「本当にごめん。これから気を付けるよ」


 この様子からすると、杠ちゃんはあまり自分の容姿――というよりはオッドアイを――を気に入っていないのだろう。

 先程の親子の会話や、これまでは黒髪で隠していた事からしてもそれは明らかだ。

 もう一度深く頭を下げれば、杠ちゃんの顔がほんの僅かに口元を緩めた。


「そこまで謝らなくても大丈夫ですよ」

「ふふ、綺麗な瞳でしょー? ねー、瀬凪くん?」


 部屋から出て来た彩乃さんが、楽し気に笑う。

 その言葉には完全に同意出来るが、かといってここで褒めちぎっても杠ちゃんが困るだけだろう。


「綺麗です、すごく。でも、杠ちゃんが見せたくないと思っているものを無理に見るつもりはありませんよ」

「……っ」

「だから、髪で隠していいからね?」


 ぴくりと体を揺らした杠ちゃんに提案すると、ゆるく首を振られた。


「いえ、水樹さんになら、大丈夫ですから」

「……そっか。無理はしないでね」

「はい」


 杠ちゃんがそれでいいと言うなら、俺があれこれ言う必要もないだろう。

 やんわりと笑んだ杠ちゃんと彩乃さんがリビングのテーブルにつく。


「さーて。これでようやく本題に入れるわね」

「そういえばそんな話でしたね」


 杠ちゃんの容姿で頭からすっぽ抜けそうになったが、今日お呼ばれしたのは彩乃さんから提案があるからだ。

 気を引き締めて言葉を待つ。


「端的に言うと、瀬凪くんには乃愛の様子を見て欲しいの」

「はあ。様子、ですか」

「具体的には、毎日晩ご飯を一緒に食べてくれると嬉しいわ」

「……いや、何でですか?」


 訳の分からない提案に、頭が疑問符で埋め尽くされるのだった。

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