第3話 お礼の晩ご飯と少女の母親

「……しまった」


 大雨の中、杠ちゃんと一緒に帰ってきてすぐ。

 着替えを終えて冷蔵庫の中を覗いたが、空っぽだった。

 米はまだ残っているものの、それだけで腹を膨らませるのは辛過ぎる。

 ならばと近くにあるかごを見るが、一人暮らしの味方であるカップ麵は影も形も無かった。


「えぇ……、また外に出るのかぁ。マジで嫌なんだけど」


 溜息を落とすが、それで腹が膨らむ訳がない。

 覚悟を決めて先程脱いだ服を着て、玄関から外に出る。

 すると、全く同じタイミングで隣の家の扉も開いた。

 顔を出したのは、先程別れたばかりの杠ちゃんだ。


「あ、水樹さん。ちょうど良かったです」


 俺の顔を見て、唇を綻ばせる杠ちゃん。

 再び人見知りを発揮されたらちょっと悲しかったが、そんな事はなくて内心で胸を撫で下ろす。


「ちょうど良かった?」

「はい。やっぱりお礼をしたくて、持ってきました」


 そう言って杠ちゃんが見せてくれたのは、タッパーに入った肉じゃがだった。

 白米に最高に合うそれは、今の俺が最も欲しいと思っているものだ。


「昨日作った物で申し訳ないですけど、晩ご飯のおかずにしていただければと」

「ホント、お礼なんていいんだけど……。というか杠ちゃんが作ったの?」

「はい。料理は得意なんです。味はまあ、人の好みによりますが、食べられない事はないはずです」

「滅茶苦茶美味しそうだし、そんなに卑下しなくても」

「お母さん以外の人に食べてもらうのは初めてですから、自信満々には言えませんよ。それで、どうですか?」

「うーん……」


 再び出掛けなくていいというのは非常に有り難い。

 けれど、ただ一緒に帰っただけでおかずを恵んでもらうのは罪悪感がある。

 眉を顰めて悩んでいると、杠ちゃんが僅かに首を傾げた。


「これから水樹さんが晩ご飯を買いに行くなら手間が省けると思ったんですけど、ダメ、ですか?」

「……分かった。じゃあ、ありがたくいただくよ」


 不安に揺れる声での提案を断れず、苦笑しつつも頷いた。

 肉じゃがを受け取り、玄関の扉に手を掛ける。


「タッパーはどうすればいいかな? すぐ返した方がいいよね?」

「タイミングの良い時に返してくれれば大丈夫ですよ」

「そっか、ありがとね。ぶっちゃけすごく助かったよ」

「いえいえ、こちらこそ。それでは」


 満足そうな笑みを零し、杠ちゃんが家に引っ込んだ。

 俺も家に戻って着替えを済ませ、米を焚いて電子レンジで温めた肉じゃがを口に含む。


「……うまい、うますぎる」


 しっかりと味が染み込んだじゃがいもに肉。そんなものを口に含んでしまったら、もう箸が止まらない。

 最高のおかずに、米を掻き込むのだった。





「……はふぅ」


 リビングに戻り、ソファへとダイブして溜息を漏らした。

 僅かに鼓動を早くしている心臓は、未だに落ち着いていない。


「受け取ってもらえて良かったぁ……」


 再び息を吐き出し、先程の水樹さんの嬉しそうな顔を思い浮かべる。

 明確な言葉にはしていなかったが、晩ご飯の買い物に出るつもりだったはずだ。

 あと少しでも私が家を出るのが遅れていたらと考えると、胸がひやりとする。


「水樹さん一人なら、帰りにご飯を買ってたはずだもんね」


 私を家に送るのを優先してくれたのか、単に忘れていただけなのか。

 今更確かめるのは不可能だけど、水樹さんの役に立ったのなら何よりだ。

 それに、格好いいお隣さんとようやく話せた。

 その実感が、私の頬を緩ませる。


「ホント、格好良かったなぁ。それにすっごく大人っぽかったし、話を合わせてくれたし……」


 全ての人の目を釘付けにする程ではない。それでも水樹さんの容姿は整っているだろう。

 初対面の時はお母さんと同じで疲れを隠しているような感じだったが、同時に優しそうな人だとも思った。

 その予想通り、ああやって助けてくれた。

 それに緊張で全く話せない私に呆れるでもなく、急かす訳でもなく、話を合わせてくれた。

 水樹さんはそんな大人びた対応を否定し「少し長く生きているだけの子供」と言っていたが、そんな事はないはずだ。

 だからこそ、初めて会った時に人見知りを発揮し過ぎて頭が一杯になってしまったのは失敗だった。

 お陰で名前を憶えていられず再び聞く事になったのは、我が事ながら呆れてしまう。


「また、話してくれるかな?」


 水樹さんの事はお隣さんというだけで、他に接点はない。

 けれど、こうして関りを持てたのだ。次はきっとあるはず。

 そもそもタッパーを渡したままなので、絶対に一回は話せる。

 期待に胸を弾ませていると、スマホが着信を知らせた。


「もしもし、お母さん?」

『はーい。お母さんよー!』

「……相変わらず元気だね」


 どうしてこんなに明るい人から私が生まれたのだろうとすら思えるお母さん――杠彩乃あやのの声に苦笑を零す。

 向こうは深夜だと思うのだが、眠くないのだろうか。


『私の摂り得は元気な事だからねー! 乃愛はどう? 大丈夫?』

「大丈夫だよ。まあ、何とかなってる」

『無理はしちゃ駄目よ? 絶対に学校に通えなんて言うつもりはないんだから』

「うん。それも、分かってる」


 私の頭を悩ませている現状を心配してくれるのは本当に嬉しい。

 その為に、世間一般では正しい行動で私を縛らないでくれる事も。

 だからこそ、甘える訳にはいかない。


「あ、そういえば。今日いろいろあって水樹さ――お隣さんが傘を貸してくれて、一緒に帰ったよ」


 貸してもらったというよりは使わせてもらったという方が正しいのだが、似たようなものだ。

 話を強引に変え、湿っぽい空気を明るいものへ。

 すると、スマホ越しに黄色い声が上がった。


『ホント!? 良かったじゃない! 沢山話せた?』

「話せたよ。すっごく優しくて良い人だった」

『やっぱり私の目に狂いは無かったわね! ……それで、は見せたのかしら?』

「…………それは、まだ」


 人見知りになってしまった元凶。今の私を取り巻く原因。

 それを水樹さんに見せる事は出来なかった。

 弱い自分の心に落ち込んでいると、電話越しに『ごめんね』と謝られた。


『責めるつもりはなかったの。焦らなくていいわよ』

「分かってるよ。ありがとう、お母さん」


 単に心配してくれた事くらい理解している。

 小さな笑みを零し、再び会話を弾ませる。


「それでね。お礼に肉じゃがを渡したら喜んでくれたよ」

『男の人は自炊しない人が多いらしいし、あの子もそうなのかしらねぇ』

「流石にそれは分かんないかな」

『それもそうね。…………ふむ』


 電話の向こうで何かを考えているのか、唐突に会話が途切れた。


「どうしたの?」

『ねえ乃愛。ちょっといい考えがあるんだけど――』


 それからお母さんの話を聞き、私は驚きと期待に「えぇ!?」と声を上げたのだった。

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