第13話 不穏な人影
礼拝所はマヌスの中でも一際美しく厳かな造りだった。
温かみのある木造の外壁には建物を抱きしめるかのように葉の蔓が大量に絡みつき、内壁にはこれでもかとワシャルがはめ込まれている。
磨き抜かれた窓が等間隔に設置され、そこから差し込む陽の光がワシャルをより一層輝かせる。その影響か礼拝所そのものが他の建物にはない神々しさを醸し出していた。
週に一度のお祈りの日はこの場所に国中の民が集まり、祈りを捧げる。
膝を折り頭を垂れ、ぶつかり合う肩を物ともせず熱心に祈る。
「深い愛と感謝を神に捧げるんだ」
初めてここに来た時にパドラがラントにそう耳打ちをした。
それでもラントが何もせずただ座り込んで膝を揺らしていると、まるで子供に物語を聞かせるようにパドラは言った。
「この世界にはすべてのモノに神が宿っているんだ。少なくともマヌスではそういう教えが浸透してる。湖にも草木にも石ころにも、あんたがここに来た時についていた木の杖にだってね。そういったすべてのモノに感謝をするんだよ。いいね」
それを聞いたラントが冷たく鼻で笑っても、パドラはラントに溌溂とした笑顔を投げかけた。
祈りを捧げる人々の中心には国王であるグイドが鎮座している。
そしてその隣でグイドに仕えている巫女がフィオリアだ。
神々を崇めるこの国で、神と会話のできる少女。
それは何を差しおいても特別で、神聖で、神が全てと言っても良いマヌスでは彼女の存在自体が奇跡そのもののようだった。
レースでできたケープを纏い、祈りを捧げる民に笑いかけるフィオリアはラントから見れば反吐が出るほど滑稽だった。
なにが神と話ができる少女だ。
「こいつら全員馬鹿よ。くだらない。こんな国さっさと襲われて潰れちゃえばいいのに!」
静まり返った礼拝所内に響き渡る、人ならざる者の声も聞こえないくせに、一端に聖人ぶってお高くまとまっている。自信に満ちたその笑顔が心底不快で、どこか哀れでもあった。
お祈りが終わると、先程までの神妙な表情とは打って変わって、快活な笑顔を浮かべたフィオリアが走ってきた。
「パドラ!」
そんなことはあり得ないということは重々承知しているが、なぜか、自分に向かって笑みを浮かべていると錯覚して、妙な焦りと恥ずかしさがこみ上げてくる。
「フィオ、お疲れさま。ヴェリデ様とは会えたのかい」
「今日はいなかった。ヴェリデはね、こういう儀式めいたことは嫌いなの」
いたずらな表情を浮かべて子供のように笑うが、ふとラントに視線を移すと、その笑みは一瞬で消え失せた。
「あら、こんにちは」
俯いて、返事はしなかった。そんなラントの反応がより彼女の印象を悪くしているのかもしれない。
しかしだからと言ってどうすれば良いのかも分からない。
人からどう見られているとか、そういったことは長らく考えたことがなかった。
考える必要のない環境に身を置いてきたからだ。好かれても面倒なだけだし、嫌われれば追い出されるか殴られる。それだけの事だった。
しかしどうにもフィオリアの前ではそういう訳にはいかない。
笑顔を向けられるとそわそわして、笑顔がなくなるとそれはそれで気が沈む。
お互いがお互いを見ず沈黙していると、パドラが含み笑いを浮かべながらフィオリアの肩を小突いた。
「ほらあんた、ラントに言いたいことがあったんだろ」
その言葉に一瞬顔を上げそうになって、慌てて視線を地面に落とす。
ややあって、いつも溌溂とした声がくぐもってラントに語りかけた。
「あのねラント、この前はごめんなさい」
自然と全身に力が入る。
「あなたに酷いことを言ってしまったから。それと……ぺブルを助けてくれてありがとう」
なぜこんなに身体の中がむず痒いのか分からない。しかし珍しく素直に謝っている彼女の表情がどうしても気になっておずおずと顔を上げると、今度はフィオリアが口をきゅっと結んで俯いた。
反省しているようにも見えるし、謝った割にはなんだか腑に落ちていないようにも見える。
つい何か言葉をかけようとして声を出したがうまく声にならず、たったそれだけのことでたまらなく恥ずかしい気持ちになりラントもまた俯くと、微動だにしない二人の間を豪快な笑い声が駆け抜ける。
「なんだいあんた達、似た者同士だったのかい」
フィオリアが顔を上げて抗議をしようとすると、パドラはすかさずその華奢な肩に腕を回して抱き寄せた。
「この子ったら、ずっとあんたに謝りたいって言ってたんだよ。まったく、世話が焼けるね」
愉快とばかりにフィオリアの頭を撫で、フィオリアはバツが悪そうにもごもごと何か言う。何を言っているのか気になって、つい口を開こうとすると、ずっしりと重い、しかし柔らかい手がラントの肩に乗った。
「おやラント、どうだ。マヌスにはもう慣れたか」
角のないしわがれた声。グイドが目を細めて立っていた。
気が付くと辺りに人はいなくなっていた。
「国王様」パドラとフィオリアが敬意をこめて頭を下げると、そばにいたぺブルは「こくおうさま!」と両手を広げて飛び跳ねた。
「農作業を手伝っていると聞いている。ぺブルを助けただけでなく、この国のために働いてくれて本当に助かっているよ。どうぞ、好きなだけここにいてくれ」
グイドの言葉に舌打ちが重なった。
床に埋め込んであるワシャルをティアが何度も蹴り上げている。
「気持ち悪い石。こんなのただのガラクタじゃない」
にこやかにラントを見つめるグイドから、目線をすうと移動する。
マヌスに来てからティアの機嫌は輪をかけて悪くなっていた。
ラントの視線に気づくとわざとらしく不機嫌そうな足音を立て、床を蹴るように歩きながら近づいてくる。目の下が険しくヒリついている。
「いつまでもいていいよだって。ふざけんなクソジジイ。ラントもいつまでここにいる気? どうしてこんな場所に居座ってんのよ!」
ヒステリックな金切り声が広い空間に散らばって、ぐわんぐわんと響いていた。
しかしそんな彼女の叫びが届いているのは悲しいかなラントただ一人だ。
ラントが無視してしまえばそれは誰にも聞こえていないものと同じだ。今のように。
「国王様!」
男の声がして振り向いた。
男は額やこめかみから汗が流れていて、激しく肩を上下させている。随分急いで走ってきたようだった。
「国王様に会いたいって方が」
「通しなさい」
「で、でも」
言いづらそうにちらちらと目線を送ると、礼拝所の入り口から大きな図体が現れた。
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