第11話 戻ってきてしまった

マヌスにたどり着いた頃には、すっかり日は昇っていた。

青々とした瑞々しい風景はそのままに、昨日から大きく様変わりしているのは人だ。

大人たちが皆血眼になって走り回っている。

そんな大人たちの緊張感を察して、子供たちは皆息を潜めて事の成り行きを伺っているようだ。


ラントが街に足を踏み入れるなり、見たこともない、もしくは以前世話を焼いたうちの誰かかもしれないが、長身の髭を生やした男がラントを見て足を止めた。

窪んだ眼を瞬かせて、ラントとぺブルを何度も見る。

「あ、おじちゃん」とぺブルが眠そうに呟くと、パチンコ玉が弾けたように男は声を張り上げた。

「ぺブルだ! ぺブルが見つかったぞー!」


 走り回って叫ぶ男を見て、次々と人がついてくる。最終的には団子のようになってラント達の元に帰ってくる様は滑稽で馬鹿馬鹿しくて、心底気が滅入る。

老人も子供も、次々とぺブルに近づいては涙ぐみ、宝石にでも触れるように優しく、いつまでも抱きしめた。

寒くないか、痛いところはないか、の一つ一つの質問に、ぺブルはカサついた唇を目いっぱい開けて答えている。

そうこうしていると、ほどなくして泥だらけの巨体が転がるように走ってきた。パドラだ。


頭には絹の鉢巻きを巻いて、木を削って作ったような棍棒を腰元に括り付けて肩を上下させている。

死の森から走ってきたことを見れば、パドラも一晩中ぺブルを探して彷徨っていたのだろう。


「ぺブル!」

 山のように穏やかで、太陽のように力強いパドラの声を聴くと、緩んでいたぺブルの口元がきゅっと強張る。

小さな瞳の中で波が揺れている。少し口を開いた途端、花火が打ち上がるかの如くわんわんと泣き出した。

「ああよかった……」

 パドラのふくよかな胸に埋まって、小さな頭が見えない。ただくぐもった泣き声だけが響く。


「ぺブルが見つかったか」

 知らない間にグイドがラントの隣に立っていた。

「国王様、こいつがぺブルを連れてきたんです」

 一番初めに二人を見つけた男がグイドに耳打ちをすると、グイドは長いひげを撫でて目を細めた。

以前何度か、財布の金を盗ったとあらぬ疑いをかけられ散々な目にあったことがある。


喋らず笑わず、故に何を考えているのか分からず、身なりも汚い浮浪者に世間は厳しいという事を、ラントは嫌というほど理解している。

しかも後ろ足で砂をかけるようにこの国を出た身だ。

ぺブルをさらった犯罪者として投獄されるかもしれない。ふとそんなことが頭をよぎり思わず後ずさって身構えると、グイドはラントの手を強く掴んで握りしめた。

「やはり君だったか。見ず知らずの国の子にも関わらず助けてくれてありがとう。王として、心から感謝する」


 流した涙が深い皴に入り込み、入りきらない分は綿菓子のような髭に吸収される。

ラントが顔をしかめても離せと喚いても、国王はラントの冷たく汚い手を離さない。

泣きながら何度も感謝を述べ、深く頭を下げた。

 

 ラントは呆然とした。

自分の国の庶民の子供が死なずに戻ってきた。それだけで、国王ともあろう立場の人間が涙を流している。

素性も知れない、人殺しかもしれない浮浪者に頭を下げて感謝を述べる。

この国の人間は国王も含め全員が本当に馬鹿だ。馬鹿で単純で情だけが深くて、それが本当にどうしようもなくて、やりきれない。

握られた手を振りほどくことを、ラントは遂にやめた。


グイドのしわがれた声が耳に入り込んで留まることなく空へ抜けていく。そのまま空を見上げると、広がる河や茂る草木と同じ澄んだ青色が広がっていた。

戻ってきてしまった、と思った。

「そんな甘いから駄目なのよ」と悪魔のような女の囁きを思い出す。

 その言葉の意味は、誰よりもラント自身がよく分かっていた。

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