第8話 ご飯がまずい
床一面に瑠璃色の石が敷き詰められている以外は、なんてことのない少し大きめの家。そんな印象だった。
だからフィオリアに連れてこられたその家の主が国王で、ラントの目の前で目を細めている老人こそがその人であると言われた時は心底驚いた。
「まあそう警戒しなさんな。草湯でも飲みなさい」
皴だらけの分厚い手に促され出された湯呑に口をつけると、思わず咳き込む。この国で出される食べ物や飲み物には必ずと言っていい程細長く青々とした草が入っており、その独特の苦みと爽快感がどうにも食欲を削ぐ。
ジレッドの言っていた飯が不味いとはこういうことかと、ラントはピリつく舌を持て余しながら思った。
「フィオリアとパドラから話は聞いていたよ。私の名はグイド。この国の王ではあるが、まぁ見ての通りのしがない老人だ。気軽に接してくれ」
鼻の下から顎にかけて蓄えた綿菓子のような髭を揺らして、まるで敵意など露ほどもありませんと言わんばかりに、老人は目尻に深い皴を浮かべた。
「ようこそマヌス国へ。君が来るのを待っていたぞ」
草湯の後味だけではない苦々しさが背中をつうと通り過ぎる。
この老人の笑顔も眠ってしまいそうなほど暖かな空気も素朴で落ち着くテーブルも、今のラントにとっては心底気味の悪いものだった。
「俺を待っていたってなんだよ。例の神様ってやつか?」
「ねえあなた、聞いていなかったの? この方は国王なのよ。乱暴な言い方はやめて」
大袈裟に老人を卑下するようなラントの態度を、涼しげな翡翠色の瞳が制止する。
フィオリアが仁王立ちでラントに詰め寄り釘を刺した。
「いいんだフィオ。初対面の人間に待っていたなんて言われたら、誰だって気味が悪いだろうさ」
「そんなことはありません。現に待っていたのは本当ですもの。私は確かに待ちわびていました」
ラントを見ていた鋭い視線は途端にするりとほどけ、暖かな熱を持って微笑む。ラントはきゅうと肩をすぼめて俯いた。
初めて目が合った時に感じたような情けなさやみっともなさが再び蘇って、なんだかもう逃げ出したいような心持ちになる。しかしなぜそう感じるのかは分からない。分からないから、ただじっと湯の中に漂う細い草を見つめている。
「それで青年よ」
木製の簡素な椅子に座る国王がゆっくりと口を開いた。
「ここまでの道のりは辛かったであろう。この国はこれと言った面白みはないが、療養するにはもってこいの場所だ。滅多に客人など来んから色眼鏡で見られるかもしれんが、どうか堪えて、ゆっくり休んでおくれ」
「うるさい。すぐに出ていく」
「ほう。その身体でどこへ」
「お前には関係ない」
「国王に向かってなんて口を」
「ねえお兄ちゃん」
小さな両手を目一杯広げ、いがみ合いに割って入ったのは、小鳥のように朗らかで能天気な声だ。
「あのね、ぺブルのお父さんはね、今バステラでお仕事してるんだ」
穏やかな表情で笑う国王の膝に、先ほどからぺブルがちょこんと座っている。
「国王さま。お父さんいつ帰ってくるんだろうね」
「そうだなぁ。お前のお父さんは働き者だから、もう少し先かもしれないね」
そっか、と言ってするりと膝から滑り落ち、絨毯の上に投げ出されていたぬいぐるみを愛おし気に抱きしめると、なにやら声色を高くしたり低くしたりとままごとを始めた。仮にも国王の家を堂々と遊び場にしている。
「国王さま、一緒にお茶会ごっこしよう。ぺブルが招待してあげる!」
「それはそれは。ぜひ参加したいところだが、今はこの青年をもてなさねばならん。少し待っていておくれ」
心底愛おしそうにぺブルを見て、国王は丹念に髭を撫でた。
どこからどう見てもただの爺と孫。
ラントの故郷の国王は独断的で冷徹、誰も信用せず、いつでも血の匂いを纏っていたというのに、目の前にいる国王と名乗る人物は威圧的でもなければ威厳もない。よれた上着を纏い、先端のほつれた藍色の帯を締めて目尻を下げている。一体誰がこの老人を一国の長だと思うだろうか。
「馬鹿みたい。何こいつら」
キャンキャンと気性の荒い猫のような声が耳元で喚いて、ラントは小さくため息をついた。
「こんなのが国王だなんて笑っちゃう。大体このジジイ、今にも死んじゃいそうなくらいヨボヨボじゃない」
聞こえるはずもないのにやたら大げさで、居る者すべてを挑発するような声。
ティアはいつでも口は悪いし気性も荒い。この世の全てを馬鹿にして自分の不幸ばかりを嘆いているが、この国に来てからはそんな特性に拍車がかかったように感じる。苛ついていて、どこか焦っているようにも見える。
「まったく、似たような力を持つ青年が来るって言うからどんな人かと思っていたのに、肩透かしを食らった気分だわ」
不満げに髪をかき上げながら、フィオリアもしかめっ面でラントを見た。
常にうるさく煩わしいティアの視線に応戦することはできても、フィオリアから向けられた視線に応えることが、なぜかラントにはできない。
「ねえあなた、名前はなんて言うの。どんな素敵な力を持っているのかしら」
こちらの感情などまるでお構いなしにフィオリアは屈みこんでラントの顔を覗き込む。悪戯を企む子供のような笑顔が視界に入ると全身に力が入り、無意識に口をきつく結んだ。
「ヴェリデに聞いてからずっと心待ちにしていたのよ。私みたいに不思議な力を持った人がこの世界にもう一人いたなんて信じられない。だから、ね。似た者同士仲良くしましょう。二人でこの国を救うの」
はたと口元が緩み、フィオリアを見た。
女はいつまでも自信に満ちた笑みを浮かべ、細く白い手をラントに差し出している。
この国を救う。その言葉を頭の中でしばらく反芻し、ラントは思わず噴き出した。
「なんなの。何が可笑しいのよ」
自分の持っている能力が一国を救えると本気で思っている。
自信に満ちた笑顔がなんだか哀れに思えて全身が震えた。笑いが止まらない。
「別に。悪いけど、俺は世間知らずのお嬢さんと協力するつもりはないね」
先ほどまでフィオリアの目もまともに見ることができなかったのに、むしろ今は見つめ返すことに少しの気恥ずかしさも情けなさも感じない。その代わり、何かが弾けたかのように高揚して、全身が火を噴くように熱い。
自分でも理解している。この女に苛立っている。
「初対面の人間に大した言いようね」
「本当の事だろう。神と話せる能力だなんて、本当にくだらない」
「くだらない? あなたは自分の能力を誇らしいとは思わないの?」
「思わないね。あんただっていずれ分かるさ、自分がどれだけ自惚れていたか」
「それはあなたが自分の能力に溺れたせいでしょう。悪いのは能力ではなくて、使いこなせなかったあなた自身よ。私は違う。私はこの力で国のみんなを救ってみせるし、その資格があると思っている」
「神と話せるから国が救える? 能天気だな。その神とやらが人を助けてくれるとでも?」
「それは」
「神と話すことができれば犯罪はなくなるのか? 貧乏人は裕福になるか? 神に頼めば戦争もなくなるなら、ここに来るまでに見てきたあの死体の山は神に頼まなかったお前のせいってことになるな」
一息で言うと、フィオリアは眉間に目一杯しわを寄せて口をつぐんだ。
「最高、最高よラント。よく言ったわ!」
ティアが芝居がかったように大きな拍手をしている。手で涙を拭う演技をして、不満げに俯く女を心底楽しそうに蔑んでいる。
一方のラントは、言い負かしても苛立ちが収まらない。
腹が立ってもいるし、実のところ戸惑ってもいる。自分以外に不思議な力を持った者に出会ったのは、実はラントも初めてだった。
「したいのやま」
小鳥のさえずりのような声に影が落ちる。背中を丸めて考えるような素振りを見せた後、ぬいぐるみを抱えたぺブルが慌てて走ってきた。
「ここに来るまでって、お兄ちゃんはバステラに行ったの? ねぇ、ぺブルのお父さんは」
「うるさい!」
苛立って大声を出すと、朗らかな声は尻すぼみになって消え、小さな体はバネのようにビクつく。ぬいぐるみをきつく握りしめ、ぺブルは慌てて部屋の外へ駆けていった。
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