第4話 死の街

ガスとゴミが混ざったような匂いが、潰れた鼻にまで入り込んでくる。

灰色の朽ち果てた街に足を踏み入れると、ラントは一瞬中に入るのを躊躇った。

広く殺風景な大通りに、ボロ布で覆われた人間がゴロゴロと転がっている。

一瞬死体置き場かと思い全身が強張った。が、芋虫のように鈍く蠢く様を見るに、どうやら中には生きている者もいるようだった。


家を持たないのか迫害され流れ着いたのか、事情は知らないが、ボロ布の切れ端からのぞく顔は皆虚ろで、遠くを見たり、錆びついたキセルを吹いたりしている。

ここが街として既に機能していないという事はすぐに分かった。

身を縮めて歩いていると、遠くで乾いた破裂音が何発か鳴った。銃声だ。

「あーあ、こりゃまた大変な場所に来ちゃったね」

 ふふ、と口の中で鈴を転がすように笑ったと思ったら、次は目をひん剥いて、あっと声を上げた。

「ねぇ、もしかしてここがその酔っ払いの言ってたマヌスって国なんじゃない?」

 途端に大笑いしながらラントの着ているよれた装束を引っ張る。

「ここが宝石みたいな国? 神々がいるって? やっぱり騙されてたんじゃない! 酔っ払いに体よくおちょくられるなんて、ラントってば気の毒なくらい馬鹿」

 凍ったように静かな街に、ティアの湿った馬鹿笑いが響く。

ラントは口の切り傷にこびり付いた砂を指で取って地面に捨てると、早足で歩きだした。


「で、どこにいくつもり? 次は誰が言ってた楽園を探すわけ?」

「黙れ」

 内心イライラしていた。

なにもジレッドの言うことを本気で信じていたわけではない。

人に騙されるのはもう御免だから、基本的には誰も信じないし、関わらないようにしている。


なのに、宝石のような国を目指して険しい砂漠を越えてきた。危険を冒して。

実のところ、なぜそんなことをしたのか自分でもよく分からない。

自分のことを自分でも理解できないという難解さが、ラントをよりイラつかせた。

 街を歩くほどに悪臭が強くなる。店の看板や外装は剥がれ落ち、あちこちにあるガレキとゴミ山の上では鳥や害獣がエサを奪い合って騒いでいる。

ひっそりとした大通りには横たわる人、人、人。響く銃声に怯え飛び上がる者もいれば、まるで聞こえてないかのように目を閉じ微動だにしない者もいる。そういう者は、もしかしたらもう生きていないのかもしれない。

死の匂いが漂う街を歩いていると、ふと肩からかけているヤシの水筒を細い腕が掴んだ。

ぐんと背中が突っ張り振り返ると、目のくぼんだ男が水筒を抱えてラントを見ている。


「おい、少し分けてくれよ」

 とっさに男から水筒を無理やり奪い返して、後ずさった。

「頼む。水が入ってるんだろ? 少しでいいんだ」

「駄目だ」

 言い放って走ろうとすると、今度は腕を掴まれた。まるで骸骨のように細く角ばった感触であるのに、掴む指は皮膚に食い込むほど力強く、思わず声を上げる。

「離せ!」

「なぁお前、バステラに行くんだろ。そうだよな」


 男はぶつぶつ言いながらラントのもう片方の腕も掴む。ラントが引き剝がそうと暴れるほどにその力は強くなる。

「俺も連れていってくれよ。あそこはいい街だって聞くぜ。頼む。今は金がないけど、バステラで働いて絶対に返すから」

 懇願して揺さぶる手を、ラントは半狂乱で引き剥がした。

「おい待て! 家族が……子供がこのままじゃ死んじまうんだ! 頼むよぉ」

 逃げようとする足を引っ掴まれ、今度は派手に倒れる。

「ここには仕事がねえ。食べ物もみんな盗られた。病気を治してやろうにも、薬だって……」

「知らない! 俺は関係ない!」


 ゴミだらけの地面でどれだけ暴れても、男は意地でもラントを離さない。足腰にしがみつき懇願する様はまるでゾンビのようだ。

押し倒された衝撃でものが二重に見える。男を引きはがそうとあがいていると、すぐそばで無邪気な笑い声が聞こえた。

「何やってんのラント。二人して毛虫みたいよ。変なの」

 落ちくぼんだ男の瞳がゆっくりと、笑う少女に向かい、ぴたりと止まった。

その一瞬で足をばたつかせるラントの動きも止まり、目に涙を溜めて大笑いしていたティアもひくと声を止める。

少しの静寂が訪れた。


「あんた、この男の連れか。なぁ、水か食べ物はないか。なんでもいいんだ。少しでいいから分けてくれよ」

 男がティアに言うと、ラントは男のか細い手をゆっくりと剥がした。

間を置かずに、ティアが口から息を噴き出し下品な含み笑いをする。

「ふふ、やだぁ」

 ラントはただ俯いている。


男は何がなんだか分からない様子で、ティアとラントを交互に見た。

「な、なんだよ」

ねぇあんた、と心底楽しそうな低い声が男を捉える。

「私がすっごくいいこと教えてあげる。家族全員が助かる方法」

 途端に男がティアに向き直り、大きな目をさらに大きく見開いた。

「本当か? 本当に全員助かるのか!?」

「もちろん。でも少し苦しいかも」

「それでもいい。それで家族が助かるならなんだってするさ!」

「やめろよティア」

「じゃ教えてあげる。まずは全員死になさい」


 え、と蚊の鳴くような声を出し、希望で目を輝かせていた男は口を半開きにして固まった。

その様子を見るや再びティアが手を叩いて大笑いをする。

「お前ら、俺を騙したのか」

「違うよぉ、本当のことを言っているの! まずは全員死んで……っていうか、どちらにせよあんたはもうすぐ」

「やめろ!」


 ラントがそばにあった石ころをティアに向かって投げた。

頬のすぐそばをかすめたにも関わらず、ティアは全身を震わせて笑い続ける。

「ごめんごめん。だっておかしくて。それにしても、本当にラントは人でなしね。せっかくだから助けてあげたっていいのにさ」

 そばにあったがれきの屑をもう一度ティアに投げようとしたところで、頭に鈍い衝撃が走った。

見ると、男が手のひらに収まるほどの石を持って振りかぶっている。

「ふざけやがって……明日生きられるかも分からない人間をいたぶって楽しいのかよ」

 窪んだ瞳は絶望と怒りに満ち、表面にうっすらと涙を浮かべていた。

「お前ら二人とも殺してやる!」

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