第2話

長い夜を終え日の光が上ると、途端に砂漠はちりちりと音を立てはじめる。

紫の不気味な夜空は鳴りを潜め、乾いた温風が吹き荒れる。砂が舞い空が濁る。

あちこちで陽炎が揺れ、あっという間に砂は鉄板のような熱さで放浪者を苦しめる。

日の光で目を覚ましたラントはすぐに日陰を探したが、そんな場所はどこにもなく、ムカデのように這いつくばる自由の利かない身体もすぐに限界がきて、数時間のうちに意識を失った。


 再び目を覚ましたのは、不気味な夜だった。

意識が向こうからやってきて目を開くと、空と同じ色の瞳がラントを覗き込んでいた。

「あ、やっと気付いた。もう夜だよ。おはよう」

 小さな唇がくるくるとよく動く。

「顔がデコボコで誰だか分かんないよ。今回は随分派手にやられちゃったねラント」

 小さな指が裂けた口元に触れる。優しくなぞられると、ひんやりと気持ちよかった。

「今度こそ死んだと思った?」

 イジワルに口角を上げて聞いてくる。

悔しいような悲しいような気持になって、動かすたびに刺すように痛い口をなんとか引っ張り上げた

「……の、せいだ」

「え、なに?」

「全部、お前のせいだ、ティア」

大きな瞳をさらに大きくして黙り込んだと思ったら、柔らかな唇がふっと優しく歪んだ。

「……久しぶりに名前呼んでくれたね。嬉しい」



 ただ眠ったり起きたりしていただけで、それなりに体力は回復した。

傷は相変わらず開いたままだったが、身の危険を感じるような激しい痛みはいくらか和らいでいた。

なにより回復に大きく役立ったのは、這いずっているうちに見つけた大きな水溜りだった。

いつか降ったであろうスコールの残りなのか、砂が特に固くなっている場所の、おそらく人の手で掘ったようなくぼみの中にたっぷりと水が貯めてあったのだ。

いくらか泥が混じって濁っているものの、飲める程度には澄んでいる。

ふらふらと足を引きずっていたラントだったが、水溜まりを見つけるや否や飛び上がって走り出し、顔ごと突っ込んで水を飲んだ。

「うわぁみっともない。獣みたい」

 声を張り上げてティアが不満を言っていたが、獣だろうがなんだろうがどうでも良かった。と言うかそもそもこんな暮らし、既に獣同然ではないか。


 水溜まりのそばで一晩を過ごし、浴びるように水を飲む。

長い夜が明け朝が来ると、何日も空だったヤシの水筒にめいっぱい水を入れ、おぼつかない足でラントは歩き出した。

「身体が痛いならもう少しいればいいのに」とティアは文句を言っていたが、この場所に長居するつもりはなかった。

水が貴重とされる砂漠でこんなに大きな水溜まりがあると知られれば、誰もがこぞってやってくるだろう。

おそらく水の奪い合いになる。命を繋ぐ水が手に入るなら、他人の命など簡単に奪おうとする者だって当然現れるだろう。

武器もなく体力も弱っている自分がいつまでもいるのは危険だ。

「わかった。またボコボコに殴られるのが怖いんでしょ」

 ティアの軽口を無視した。

「やだ怒んないでよ。ごめんって。だって私分からないんだもん、痛いってどういうことか」

 早足で歩くラントの後ろを、軽やかな足音がついてくる。

「それにしても、本当にどこにも長く居られないよね、ラントって」

 たった今謝罪したと思ったら、すぐにこうやって軽口を叩く。

小走りであるくせに息一つ切らさず、踊るように話す。

「ねぇ、次はどこに行くの。また農場で働く? やっぱりいつのも炭鉱場? 私泥臭い場所は嫌だなぁ。行くなら都会にしようよ。その方が楽しいし、隠れるにもいいと思うんだよね」

 尚も喋り続ける甲高い声が鬱陶しくなって、「もう決まってる」と乱暴に遮った。

「え、行く場所決まってるの? 早く言ってよ。どこ?」

 キャンキャンと弾む声が頭に響いてめまいがする。

全身が痛く、片目は潰れ鼻は曲がっているため景色がよく見えないし、匂いも分からない。

毎度のことだがうんざりする。どうして自分はこんな暮らしを続けているのかと。

楽になる方法ならもっと他にあるはずだ。もっと手っ取り早い方法が……。

「どこに行くのよラント。早く教えてよ!」

 能天気な大声をかき消すように怒鳴った。

「マヌスに行くんだよ。マヌス!」

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