こぼれ話①トンカツリベンジ


「レド様────今日は…、一緒にトンカツを作りませんか…?」


 私が恐る恐る提案すると、レド様は眼を見開いた。


 初めて和食を作った日────すなわち、トンカツを作った日からそんなに日は経っていない。


 いつもなら、同じメニューを作るのは、もう少し時間を置いてからにするところだが────初めてレド様と一緒に和食を作ったのに、あんなことになってしまったので、もう一度トンカツを作って、楽しい思い出に塗り替えたかった。


 それに、あのとき、レド様は嫌な気分を抱えていて、きっとトンカツをちゃんと味わっていない。だから、もう一度食べて欲しいというのもある。


「その…、リゼは───あのときのことを思い出して、嫌な気分になったりしないか…?」

「やっぱり、思い出して…、嫌な気分になってしまいますか?」

「俺は大丈夫だ。リゼが嫌でなければ、作りたい」


 レド様は、無理して言っているわけではなさそうだ。私はほっとして、緊張していた表情を緩めた。


「それなら────今日はトンカツにしましょう」



 オーク肉の赤身と脂身の間にある筋に切り込みを入れてから、レド様と手分けをして、包丁の背で肉を満遍なく叩いていく。


 レド様の方を横目で窺うと、レド様は何だか楽しそうに肉を叩いていて───私は、またもや、ほっとした。


 それだけ確認すると、私は肉を叩くのに没頭した。


 サンドウィッチにする分やストック分も一気に作るつもりなので、肉はかなりの枚数になる。


 レド様も私も一心不乱に叩き続けた。




 肉を叩くのが終わると────次は、塩胡椒を振りかける。


「今日は、ソースではなく、お醤油をかけようと思っていますので───夕食の分は、塩は前回より控えめにします」

「醤油を?」

「ええ。ソースでも美味しいですけど、お醤油で食べるのも美味しいですよ」

「そうなのか。それは、楽しみだ」


 レド様は、口元に小さな笑みを浮かべた。


「明日は、カツサンドにするつもりです。その…、前回は一緒に作れなかったですし────明日は一緒に作りましょう」

「ああ」


 レド様は、嬉しそうに笑みを深める。私も嬉しくなって、笑みを零した。




 前回は、私以外の分はナイフとフォークだったから、そのままお出ししたけど───今回は、皆お箸で食べるので、予めトンカツを切り分けることにする。


 今回も色鮮やかな狐色に揚がっているトンカツに、ナイフを入れる。


 サク、と衣がいい音を立てた。切り分けると、満遍なく色の変わった肉の断面が露になる。うん───中まで火が通ってる。


 サンルーム産の張りのあるレタスと千切りキャベツを敷き、櫛切りトマトを添えたプレートに、切り分けたトンカツを載せていく。


 次は、ご飯とお味噌汁だ。


 今では、レド様も、ジグとレナスも───お箸だけでなく、ご飯茶碗と木のお椀を使っている。


 皆の分のご飯とお味噌汁をよそっていると、何だか懐かしいような───不思議なような気分になって、私は口元を緩めた。


「リゼ?」

「あ、ごめんなさい、レド様。何でもないんです」


 ジグとレナスの分は、私が【潜在記憶アニマ・レコード】から創り出した───“給食”のときに使うようなスクエア型の一人用のお盆に、それぞれ載せる。


 これまた【潜在記憶アニマ・レコード】から創り出した、二つの小さな“お醤油さし”にお醤油を入れると、ジグとレナス用に一つだけお盆に置いた。


「ジグ、レナス、夕飯ができたので、取りに来てください」


 私が声をかけると、すぐさま、ジグとレナスが目の前に現れた。


「やった、トンカツだ」


 レナスが嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、言う。レナスのその様子に私も嬉しくなったが────表情に出さないように気を付ける。


 私はお盆を持ち上げ、レナスの方が近かかったので、それをレナスに渡そうとすると────横からジグがさっとお盆を取り上げた。


 レナスが、ちょっと怪訝そうにジグを見る。


「ありがとうございます、リゼラ様」


 ジグはレナスの視線など気にせず、いつもより少し柔らかい声で、私にお礼を言った。


 どうやら、ジグはレナスに渡そうとしたトンカツの方が良かったようだ。

 なるべく大きさを揃えたつもりだったけど、ジグには違って見えたのかもしれない。


「いえ」


 レナスほどではないにしても、嬉しそうな雰囲気を醸すジグに───笑みを零してしまわないよう、ただ頷いた。


 レナスにも、残った方のトンカツを渡すと、レナスはすごく嬉しそうに受け取ってくれた。


「ありがとうございます、リゼラ様」

「いえ」


 私は、ただ首を振る。



「ジグ、レナス?俺も一緒に作ったんだが?」


 レド様が不満げに、口を挟んだ。


「どうせ、ちょっと手伝っただけでしょう。それに、オレたちの食材はリゼラ様が負担してくれているはずですよ」


 レナスは、ジト眼でレド様に返す。


「そんなことないですよ。レド様には覚えてもらうつもりで、色々とやってもらいましたから」

「…そうなんですか?まあ、リゼラ様がそう言うなら────ありがとうございます、ルガレド様」

「何か、不服そうなのが気になるが…、まあ、いい」


 レド様がジグに視線を向けるが────ジグは何も言わない。


「ジグ?」


 痺れを切らせたレド様が声をかけると、ジグはしれっと答えた。


「自分のは、リゼラ様が作ってくださったトンカツですので」


「「は?」」


 レド様とレナスの声がハモる。


「ですから────レナスの方はルガレド様が手伝ったトンカツですが、自分のはリゼラ様が作ってくださったトンカツですので」

「あっ、てめぇ、それでさっき…!」


 ああ、それで、そっちのトンカツの方が良かったんだ。


 でも、別にレド様が手伝ってくれたからといって、変わりはないと思うけど。レド様は作り慣れていないから、不安だったのかな。


 それにしても────


「すごいですね、ジグ。上からずっと見ていたとはいえ、よく見分けられましたね」


 私たちの護衛のために、ずっと見ていたからって────すごいと思う。


「ええ、まあ。そちらはリゼラ様が作ったもので、こちらはルガレド様が手伝ったものです」


 ジグは満更でもなさそうに───私とレド様のトンカツに関しても、教えてくれた。


 レド様の席に置いた方が、レド様が手伝ってくれたトンカツで───私の席に置いた方は、私が自分一人で作ったトンカツらしい。


「それでは、有難くいただいていきます、リゼラ様」


 ジグはそう言い置いて、さっさと厨房を出て行った。


「あ、待て!ジグ、この野郎…!────リゼラ様、いただきます!」


 レナスもそう叫びながら、ジグの後を追って出て行く。


「ふふ…」


 仲が良さそうな二人に、思わず笑みが漏れて────私は、はっとする。

 あ、でも、ジグもレナスももういないし、大丈夫だよね…?


 恐る恐るレド様を伺うと────レド様は、眉を寄せて、何だか難しい顔をしている。


「あの…、レド様…」


「リゼ────もしかして…、あの二人の前では笑わないようにしているのか…?」


 言いかけた私を遮って、レド様が訊く。どう答えればいいのか解らないでいると────レド様の表情が曇った。


「すまない、リゼ。俺のせいだよな…。俺が────サンルームで、あんなことを言ったから…」


「!」


 口を開こうとした私を、レド様が制した。


「リゼ────そんなことはしなくていい。ジグとレナスの前でも───他の誰かの前でも…、笑いたくなったら笑ってもいいんだ」


「でも…」

「大丈夫だ。もう不安になったりしない。それに、それよりも────俺のせいで、リゼが我慢することの方が嫌だ。だから────笑うのを我慢したりしないでくれ」


「でも…、本当に────大丈夫ですか…?」


「ああ、本当に大丈夫だ。リゼが一番大事なのは…、ジグでもレナスでもなく、他の誰でもなく────俺なんだろう?だったら───リゼが誰に笑いかけようと、大丈夫だ」


 レド様は、私の頬にその大きな手を添えて、朗らかに笑った。

 その笑顔に嬉しくなって────私も笑みを返す。


「まあ、リゼが笑みを見せてしまっても────こっちでどうにかすればいいだけの話だしな…」

「え?」


 レド様が呟いた言葉が聞き取れなくて、聞き返したけれど────レド様はにこやかに笑うだけで繰り返してはくれなかった。


 きっと大したことではないのだろう。


「ほら、リゼ。冷めないうちに食べよう」

「そうですね。そうだ───レド様、トンカツを交換しませんか?私、レド様が手伝ってくださった方をいただきたいです」

「いいな。俺も、リゼが作ってくれた方を食べたい」

「ふふ、では、そうしましょう」


 これから始まる楽しい食事に、私の声音も弾んだ。

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