第八話 【戦う決意】
飲み屋街の隅っこにあるぼろアパートの一室は、曇ガラスを通ってくぐもった光に満ちて、どこかぼんやりとしてくすんでいる。祖母の家を思い出した。昭和の時代に撮られた古いセピア色の写真のような質感だ。朽ちかけた木のにおいが漂っている。
畳の上に置かれた布団に、ミズキさんを寝かせている。××様の力を使われた人間は、半日ほど目覚めない。それだけ、体にも精神にも負担がかかるのだろう。この部屋までは、チャグさんが背負って連れてきた。
私は彼女の枕元で膝を抱える。高校はさぼった。それどころではないと思った。本当に今、自分に命の危険が迫っているということを理解した。してしまった。
じわり、と目に涙が滲む。死にたくない。大切な人が死ぬのも絶対に嫌だ。
それもこれも全部、私の呪われた運命のせいだ。
その時、頬に柔らかいものが触れた。××様が心配そうな表情で私の顔をのぞきこむ。その美しい瞳に見つめられて、自分はなんて愚かなことを考えていたのだと背中が冷えた。悪いのは彼女ではない。上手く立ち回れない私であり、××様を利用しようとして来た私の一族だ。私を縛っているのは××様ではない。祖父であり、父であり、人間なのだ。
チャグさんは、台所で何やら料理している。彼女に向かって、
「ごめんなさい、巻き込んでしまって」
と、頭を下げた。
「私たちは好きで首を突っ込んだの。ルイちゃんが謝ることじゃないわ。ほら、できた」
チャグさんが、お盆にお椀を二つのせて運んでくる。
「どうぞ、食べて。あったまるよ」
漆塗りのお椀を両手で包むと、じんわりと熱が伝わってきた。見た目から白味噌かと思ったけれど、口に含んでみるとミルクのような味がした。とろとろのお米が美味しい。
「なんて料理なんですか?」
チャグさんは首をすくめた。
「昔、私の家にいたお手伝いさんがよく作ってくれたの。名前なんてあるのかしらね」
「お手伝いさんがいるような家だったんですね」
「まあ、そこそこのお金持ちよ。今はすっかり落ちぶれたけど……」
彼女の表情がかげる。
「……うちにも、神様がいたの。彼女の力で、一族は財をなした。けれど私の父が不興を買って、神様は去ってしまった。それで一気に没落した。だけど」
ふん、と彼女が左腕を曲げて力こぶを作ってみせる。
「神様は、私に力を残してくれた」
「そ、そうなんですか」
筋力? いや……? 引っ掛かったけれど、深く突っ込めなかった。
「ルイちゃん、これからどうする? これまで通り暮らすか、私たちが用意した安全な場所にしばらくの間引きこもるか、それとも」
私は、ごくりと息を呑んだ。
「私、その女に直接会ってみたいと思います。それで、どうして私を狙っているのか聞いてみる。何か理由があるのだと思うから」
チャグさんが、険しい目で私を見る。
「死ぬかも……しれないよ?」
「ただ逃げ回ってるなんて、私にはできないから」
うーん、とミズキさんがうめいたので、私とチャグさんははっとして彼女の顔に視線を移した。ミズキさんは目を開けると、大きなあくびをした。
「あれ、僕、どうしたんだっけ」
起き上がり、肩をぐるぐる回してストレッチする。痛みも残っていなさそうだ。
「多分、組織による攻撃よ。あなたの後ろにあったブロック塀の一部が崩れたの」
「そっか。全然覚えてないや。ルイちゃんに怪我はなかった?」
「私は大丈夫です」
チャグさんが、正座をし改まった態度で私とミズキさんを交互に見る。
「ミズキ。ルイちゃんは、組織に立ち向かうことを決めたわ。来週の一週間、私たちの母校でオープンキャンパスを兼ねた学園祭があるよね? それに参加するためにミズキの家に泊まるってことにして、ルイちゃんを大坂に連れて行こうと思うの」
ミズキさんはあぐらをかき、胸の前で腕を組んだ。しばらくの間、深く考え込むようにうつむいていた。すうっと息を吸い、顔を上げて私を真っ直ぐに見る。
「僕はさっき、大怪我をして君に救われた。正直、君を守るのに僕とチャグさんじゃ力不足だと思う。また、君を危険に晒してしまう可能性が高い」
「でも、このまま何もしなかったら、ただ死を待つだけですよね? ヒロにも魔の手が伸びるかもしれない。私、戦います。傀儡のままなんて嫌だ。自分の未来は自分で選びたい」
声が大きくなる。ミズキさんとチャグさんが、雷に打たれたように青ざめ、目を見張っている。薄い壁を通して声が響いたのか、隣の住人が怒って壁を叩く音がした。気まずくて、私はもじもじと体をすくめた。
「……ルイちゃん、なんか変わったね」
ミズキさんが、青ざめた顔のまま口元をほころばせた。
「そうですか?」
「なんか、強くなったと言うか。自分自身が何者なのかを掴んだと言うか」
「前の方が、ちゃんと自分の使命に自覚的だったと思いますが」
「そういうことじゃないんだけど」
ふ、と笑いが込み上げて来た。泣きたいような、嬉しいような、切なくて寂しいような複雑な想いが胸に広がる。
「ヒロのおかげなんです。あの子が、教えてくれました」
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