第六話 【神に仕える者たち】

 十月の始め、ヒロは文系クラスに移って行った。残された私は相変わらず周りから浮いており、変わったのは二人から一人になってしまったということだけだった。

 大坂に行った日以来、あの女と黒いドレスの少女の姿を見ることはなかった。いつも全身の毛をセンサーにするような気持ちでいるのだけれど、気持ちばかりがすり減って、状況は何も前に進まない。敵だと思ったのは勘違いだったのだろうか。××様は何事もなかったように私の肩に乗ったまま、移りゆく季節を楽しんでいるようだった。紅葉にうっとりとしたり、たまにどこから取ってきたのか木の実をほおばっていたりする。

 放課後、オレンジ色の光が斜めに差す教室で、窓枠の影を足の指でなぞりながら私はぼんやりと頬杖をついていた。他に生徒はいない。みんな、学園祭でやる演劇のリハーサルのため体育館に行ってしまった。孤立している私には何の役も与えられていないけれど、一応まだ授業中なので帰宅することはできない。

 勉強する気も起きず、ふわっとあくびをしながら窓の外を見る。あ、と思わず声が出た。閉じられた校門の向こうに、水色髪の女が立っている。ミズキさんだ。

 窓を開けて、「おーい」と叫びながら手を大きく振る。ミズキさんはなかなか気付いてくれなかったけれど、ふと何かの拍子に顔を上げて、目を見張った。顔を少しほころばせて、手を振り返して来る。

「どうしたんですか?」

 私の問いに答えず、彼女は顔の前で両手を合わせて頭を下げた。謝っている? それとも、何か頼み事でもあるのだろうか。

 そのとき、六限目の授業の終了を知らせるチャイムが鳴った。私は立ち上がり、鞄を抱えて教室から飛び出した。


「ごめんね、ルイちゃん。助けて欲しいことがあって」

「親友のお姉さんの頼みは断れません」

「ヒロは元気?」

 隣を歩く女の顔を、私はマジマジと見た。

「会ってないんですか?」

 んー、とミズキさんは低い声でうなった。

「それがちょっと、ややこしい事態になっちゃって」

 首をかしげる。ミズキさんはそれ以上のことは教えてくれず、歩調を早めた。私は慌てて彼女についてゆく。駅とは反対方向だ。まだ灯りのともっていない飲み屋街へと入ってゆく。イケメンホストの写真が貼られた大きな看板、際どい服装の女性の写真が並ぶ得体の知れないお店、官能映画のポスターしかない小さな映画館。普段は絶対に近付かない、治安の悪い区域だ。命の危険を感じて、ミズキさんの腕に抱き付く。

「どうしたの?」

「ミズキさん、一体私に何をさせようとしてるんですか」

 ミズキさんはきょとんとして、それから曖昧な笑みを浮かべた。

「もうすぐ付くから」

 目的地は、街の端っこにあるぼろアパートだった。足を踏み出すたびにギシギシ鳴る外付け階段を上って、二階の角部屋へと向かう。ミズキさんがポケットから鍵を出してドアを開けた。紙みたいにペラペラのドアだった。

「ただいまー!」

 ミズキさんは靴を脱ぎ散らかして奥へと進んでゆく。私は二人分の靴を揃えて、彼女の後を追った。

 水垢だらけの台所の奥に、五畳の和室があった。その真ん中に布団が敷かれており、女の人が横たわっていた。熱があるのか、彼女の顔は真っ赤だった。ん、ん、と苦しそうに声を漏らしている。ミズキさんは彼女の枕元に座り、額の冷えピタを新しいものに貼り替えた。

「体調悪いのに、病院行こうとしないんだ。だから、ルイちゃんに診てもらおうと思って」

「私、まだ医者じゃないですよ」

 ミズキさんが私の顔を見上げる。

「君の肩にいるその人は、どんな病気でも怪我でも治せるんだろ?」

「なんでそれを」

 突然、背後から肩を掴まれた。骨張った指が皮膚に食い込む。体をひねって振り払おうとしたとき、目の前で銀色の刃が光った。ひっ、と喉が鳴る。

 恐る恐る振り向いて、私を拘束している人の顔を見た。金髪の女だった。背が高く、レスラーのような筋肉質の体型をしている。

「そんな怯えないでよ」

 思いの外優しい声で、彼女はささやいた。

「チャグさん、ナイフ出しといて怯えるなはないでしょ」

 ミズキさんの言葉に、女はヘラヘラと笑って私を解放した。

「ごめん、ごめん。ルイちゃん、だよね。私はチャグ。ミズキの大学の先輩。怪しい者じゃないよ。ゆるキャラのグッズ製作会社でデザイナーやってるの」

「は、はあ」

 可愛いイラストを描くようには見えないけれど、ミズキさんの知り合いなのは嘘ではなさそうだ。ミズキさんは意外と真面目だし、一線を超えることはしない。そう分かってはいるけれど、体の震えはなかなか止まらなかった。

「……あの、ミズキさん、これは一体どういう状況なんですか?」

 しばらくの沈黙。ややあ、とミズキさんが口を開く。

「僕たちは、××様に仕える者。今、死神である『彼女』を擁する組織と対立してる。危ないんだ、この街が。たくさん人が死ぬかもしれない」

「死神って、もしかして……」

 燃えるような黒いドレスの少女の姿が、脳裏に浮かぶ。私を殺そうとした、あれ。

「××様。私、この人たちを信用して良いんですか?」

 癒しの神の手が、私の頬をそっと撫でた。愛しげに。

 私は一歩進み、身をかがめて、横たわる女の肩に触れた。みるみるうちに彼女の顔色が良くなり、呼吸が安定する。

 チャグさんが、大きくため息をついた。

「本物だ……!」

 何かとても良くないことに巻き込まれつつあるという予感がした。

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