第四話 【旅の始まりに不吉な影】

 日曜日、ヒロと私は大阪行きの急行列車に乗っていた。始発駅から乗ったので、二人席に並んで座ることができている。

 一か月後の学園祭でやる軽音楽ライブで着る服を買いに行くのが目的だった。ヒロたちのバンドはアニソンカバーバンドで、曲のイメージに合わせてゴシックロリィタ風の衣装で演奏したいらしい。ネットで買ってもいいのだけれど、実際に試着してみたくて、大阪に出ることにした。私がついて来たのは、単純に物見遊山だ。ヒロのバンドの名前すら、見たことのない文字の羅列で読めない。

 トンネルを抜けると、車窓から見える景色が青々とした野山からビルの所狭しと並ぶ街へと急に変わる。なんとなく、空気が濁っているように感じられるのが不思議だ。私は昔から田舎の自然に囲まれて育って来たので、都会というものが苦手だった。草花の少ない場所では××様の力も弱まるので、あまり行きたくはない。けれど、若者らしく、田舎にはないスイーツやファッション、最新の芸術には興味がある。ブティックを訪ねた後は美術館に行ったり、最近流行っているらしいいちご飴なるものを食べる予定だった。母に頼み込んで、特別にお金を貸してもらった。

 両耳をヘッドホンで覆い目をつむってリズムに乗っていたヒロが、ふと目を開けた。

「ねえ、ルイ……」

 改まったような口調なので、つい身構える。

「どうしたの?」

「もしドレスで持ってきたお金全部使っちゃったら、いちご飴ひとくちだけ味見させてくれる?」

「知らない」

 私は深くため息をついた。


 大阪駅で降り、天井の高さに目を見張った。信じられないくらい人がいる。彼らの流れに乗って歩いていると、自分が川の水になったような気がする。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず……。

 目的のお店までは、まだいくつか電車を乗り換えなければならないらしい。グーグルマップの示すとおりに歩いているはずなのに行き止まりにぶち当たり、間違った電車に乗りかけ、同じところをぐるぐるし、迷いに迷ってなんとか一番最後に乗るべき電車が出るホームにたどり着いた。二人で息を切らせながら、電車を待つ。前の電車が出たばかりらしく私たちのいるホームは閑散としているが、線路を挟んだ向かいのホームにはたくさんの人々が並んでいる。なんとなく彼らの方を眺めていたとき、突然、ぞわりと全身の皮膚が粟立った。誰かに、見られている。それはすれ違う人になんとなく目を遣るようなぼんやりとした視線ではなく、明らかに、私を向けて真っ直ぐに放たれた矢のような視線だった。

 周囲を見回す。人。人。人。スーツ姿のおじさん、上下緑ジャージのお兄さん、制服姿の小学生たち、ベビーカーをつくお姉さん、そして――

 白いTシャツとジーンズ。野球帽を前後逆にかぶった長い黒髪の女が、隣のホームに降りるための怪談の途中で棒立ちになって、私を見ていた。私に見つかったことに気付いているはずなのに、ぴくりとも動かない。目を離せない。じわり、と額に汗がにじむのを感じる。

 女の前を、スーツ姿の男が横切る。一瞬、私の視界から女が消える。男の陰から、黒い布が、ぶわりと広がった。再び現れた女の肩口に、真っ黒なドレスを着た少女が浮かんでいる。レースやリボンがふんだんにあしらわれたフレアスカートは風もないのに波打ち、その端は煙のようにとけかけている。前下がりのショートボブの髪は黒くつややかだ。蝋のように白い肌。まるで、彼女だけモノクロ印刷されているようだった。

 数日前、川の向こう岸から私をみつめていた「何か」だ。あのときは××様に目を塞がれたのでよく見えなかったけれど、今ははっきりとそれを観察することができた。

 あまりにも美しく、恐ろしい、人ならざる者。

 ××様が都会では弱体化してしまうのと逆に、少女の姿はくっきりと浮き上がり、力を増しているようだ。けれど、不思議と恐怖は感じなかった。彼女がにっこりと微笑み、手招きした。

「ヒロ。私、ちょっと用事ができた。後で追いかけるから先行ってくれる?」

「は? なんで……」

 私に向かって伸ばされたヒロの手から逃れ、走り出す。階段を駆け上り、橋をわたって、女が立っていた階段にたどり着く。

「え?」

 女の姿は、そこになかった。灰色の階段、薄汚れたクリーム色の壁、どこか濁った空気と疲れ切ったような人々。

 ホームに降りて辺りを見回したけれど、見つけることはできなかった。このホームは、一番端っこだ。さっきから電車は全く来ておらず、ここから去ったのなら必ず私とすれ違っているはずだ。

 心臓が、苦しいほど激しく打つ。呆然とする私に追い打ちをかけるように、ひび割れた構内放送が流れ始める。

「ただいま、〇〇駅と〇〇駅の間で人身事故が発生しました。〇〇線は運転を見合わせ――」

 背すじがさあっと冷える。叫び出しそうになったとき、

「ルイ、大丈夫?」

 振り返ると、ヒロが怪訝そうな顔で立っていた。全身の緊張がどっと解けた。

「ありがとう、ヒロ」

 私は手の甲で額の汗をぬぐい、無理に笑ってみせた。

 今になってようやく姿を現した××様が、心配そうに私の顔を撫で回す。くすぐったくて、今度こそ本当に笑いが漏れた。

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