第三話 【明後日まで毎日カレーになんて、させてたまるか】
カフェで特大パフェを食べた後、家に帰り着いたのは十九時過ぎだった。私の家は、土地の安い田舎町ではごく普通の二階建てで洋風の一軒家だ。祖父母が住んでいるのは、びっくりするぐらい大きくて荘厳な日本家屋だけれど、母が義親と住むのを嫌がったので、当時まだ研修医だった父が自分のお金でこの家を建てた。
玄関のドアを開けたとたん、スパイスの香がふわりと漂った。
「お母さん! 今日はカレーなんだね」
「おかえり、ルイ。今日も明日も明後日もカレーよ。あなたが大盛でおかわりしなかったら、ね」
「何それ……ドン引き」
着替えるために、二階の自室へと向かう。母はアホではないが、いつも妙な冗談を言う。本人いわく、関西出身だかららしい。幼いころから、ボケと突っ込みが体に染みこんでいるのだと。私には残念ながら、上手い突っ込み方は身に付かなかった。真顔でドン引いてしまう。
自室のドアを閉め私は、その場にすとんと座り込んだ。母の声を聞いて緊張が解けたのか、体がぶるぶると震え始める。息が荒れる。過呼吸の発作を起こしそうだ。自分の体を両腕で抱きしめて、必死でなんとか深呼吸をしようとする。
すごく、怖かった。何だったんだ、あれは。まがまがしい、人ならざる何か。あんな恐ろしいものを、私はこれまでの人生で一度も見たことがない。
私は霊感があるわけではない。他人には見えない××様のことが見えるのは、彼女が自分の力であえて見せてくれているからだ。だから、自分以外の人に何かがついているのを見るのは初めてだった。
まさか、ついて来たりしていないよね。自分の考えにぞっとして部屋の中を見回したけれど、そこはいつもと何も変わりのない汚く散らかした部屋だった。床に転がっているひよこのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめると、だんだん呼吸が落ち着いて来た。制服を物干しにかけ、部屋着のシャツワンピースに着替える。
一階に降りると、母がカレーライスをよそって待ってくれていた。向かい合って座り、手を合わせてから食べ始める。
食事は、いつも母と二人きりだ。兄はもう二年以上帰って来ないし、父は大学病院にほぼ泊まり込みで働いている。将来的には祖父の病院を継ぐことになっているけれど、今は修行中らしい。正直、父の顔はぼんやりとしか思い出せない。最後に会ったのはいつだろう。高校の入学式の日だったような気がする。
じゃがいもを口に放り込む。味がよく染みて美味しかった。
「朝からずっと煮込んでくれたの?」
「そうよー」
母は、どやぁと自慢げに笑った。
「ありがとう」
「ルイのためじゃないわ。私が食べたかっただけ」
返答に困る。もしかしたらこれも「ボケ」なのかもしれないが、どう突っ込んで良いのか分からない。仕方なく、話題を変える。
「ねえ、お母さん、昨日のお兄ちゃんの投稿見た? 今、アフリカにいるみたいだね」
「ライオンの写真、投稿してたわね。食べられちゃわないかしら。千石先生ですら噛まれたのにね」
「せ、千石先生って誰?」
「知らないの? 松島トモ子は?」
「……知らない」
私は慣れているけれど、他人が母と会話しようとしたらかなり疲れると思う。
「お兄ちゃん、帰って来ないのかな」
「無理でしょ。あの子は、お父さんのことを本当に嫌ってたから」
「そうだね」
「ルイ」
母が珍しく、真剣な顔をしている。私は、スプーンを置いた。
「ルイも、自分の好きなように生きて良いのよ。どんな道を選んだとしても、お母さんは応援するわよ」
「また、変な冗談言って」
「冗談じゃないわ」
母が、悲しそうな顔をする。見ていられなくて、私は視線をそらした。スプーンを手に取り、カレーを口に運ぶ。
「私が医者にならなかったら、他の誰が病院を継ぐの? それとも、医者を婿にとれって? 嫌だよ、お父さんみたいなのなんて」
でも、本当の理由はそんなことじゃない。母は知らない、部外者だから。
この家では一世代に一人、必ず、癒しの神である××様に愛された子が生まれる。そして、その子が病院を継ぐという掟がある。だから、最初から兄は医者になる義務なんてなかったのだ。
医者になるのは、私の運命だ。
どうしたって逃げることのできない、定めに縛られた命だ。
「ルイ、よく食べるわね」
母が目を丸くする。
特大パフェを食べた後だというのに、私はカレーライスを三杯たいらげた。
明後日まで毎日カレーにだなんて、させてたまるか。
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