第一章 【私の平穏な高校生活】
第一話 【アホだって自覚があるだけマシじゃない?】
教室の一番後ろの席というのは、誰にも見られていないようで気分的には落ち着くけれど、実際にはばっちり先生の目の届く範囲である。
数学の授業中、つい考え事に夢中になって頬杖をついていた私は、つんつんと腕を突かれて我に返った。隣の席のヒロが、私を突いていたシャープペンシルをくるりと手の中で回してため息をつき、教室の前を指す。数学教師が腰に手を当てて仁王立ちしていた。かなり不機嫌そうである。
「池内ルイさん」
「なんですか、先生」
私は、あえて生意気な声を出す。ついでに、不敵に笑ってみせる。
この学校では、私は優秀だけれど教師に対しては反抗的な不良としてキャラクターを確立している。自分の身を守るためだ。代々病院を経営する私の家は大金持ちで、経営難な私立の女子高であるここにかなりの額の寄付をしている。その上、志望校である地元の公立医科大学に合格確実な成績であるため、教師は私を邪険に扱えない。教師たちよりもやっかいなのは生徒たちの方だ。舐められたり、嫉妬されたりして、いじめの標的になってはたまらない。だから、教師による贔屓にはとことん反抗し、権力になびかない孤高の女を演じている。
――まあ、ぶっちゃけ、その戦略は完全に失敗だった。教師たちは表面上は私を丁重に扱うけれど地味な嫌がらせをしてくるし、周りの生徒たちは私を怖がって遠巻きにし、ほとんど話しかけて来ない。普通に接してくれるのは、中学からの付き合いであるヒロだけだ。
失敗だったと分かったときには既に入学してから数か月が経っており、もう軌道修正不可能だった。教師たちに、嫌がらせに屈したと思われるのはしゃくだ。今さら周囲と友好的になろうとしても、受け入れられるはずがない。
「ルイは、勉強はできるけどアホなんだよねぇ。アホさを隠そうとしなかったら、もうちょと友だちもできると思うんだけどな」
というのが、ヒロの意見だ。おっとりしたヒロは友だちが多いし、教師にも可愛がられ、成績もそこそこ良い。どうして、嫌われ者の私なんかといつもつるんでくれるのかは分からない。前に直接聞いてみたら、
「ルイは、やっぱりアホだよねぇ」
と呆れられてしまった。ため息をつくばかりで答えを言ってくれなかったので、今でも私にとっての一番の謎である。
と、そんなことを考えているうちに、数学教師の顔はますます不機嫌に歪んでいく。
「池内さん、この問題の解答を黒板に書いてください。あなたにとっては、これくらいの問題は簡単でしょう?」
「分かりました」
私は立ち上がり、つかつかと黒板の前に出る。先生がチョークで書いた問題文にさっと目を通した後、もう一度丁寧に最初から読み、そして「は?」と思わず声を出した。
さっぱり、分からなかった。
「ネットで調べたら、あの問題、東京大学の過去問だったんだけど。私に解けるわけないじゃん!」
つい声が大きくなる私を、ヒロがやれやれと肩をすくめながら見る。
「ルイは数学そんなに得意じゃないもんね。医大受験も、センター試験と英語の成績だけで突破しようとしてるし」
「私は元々、文系なの。親に強制されて理系にいるけどね」
卵焼きを一口ぱくりと食べて、ヒロは遠い目をする。昼休み、私たちは二人で中庭の木陰のベンチに座ってお弁当を食べている。噴水からさらさらと水の落ちる音が心地よい。ヒロの白いセーラー服の肩の上で、木漏れ日が揺れている。九月の日差しは、真夏よりも和らいでいるけれどまだまだ強く眩しい。木々の間を吹き抜ける冷たい風に、目を細める。
「ルイのお兄ちゃんが失踪しなかったら、希望通り文学部を目指せたのにね」
「ホント、兄貴は昔から勝手な奴なんだよ」
失踪という言葉は、実のところ正しくない。私たち家族とは全く連絡が取れないけれど、インスタのアカウントで「世界一周旅行」のレポートを全世界に向けて投稿し続けている。投稿写真に顔がはっきり映っているので、兄本人のアカウントで間違いない。私だけでなく、両親も認知済みだ。
「おやじもじいちゃんも、ひいじいちゃんも厳格な人なのに、どうして私たち兄妹はこんなにアホなんだろ」
「アホだって自覚があるだけマシじゃない?」
にこりともせずにヒロは言い、残りの卵焼きを全部口に入れた。
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