第1話


あれは確か、からっと晴れた春の日だった。いつもに比べて暖かい気候に、上着を置いて家を出たのを覚えている。


地下鉄を降り、何重にも設置された重い門を開けると、隙間から入ってきた風が頬を掠めた。要塞内の空気は少し冷たかった。

数週間前に速達で送られてきた封筒を開く。明らかに重要な色合いのそれの中には、本科要塞の地図と、自分がどこに行けば良いのかが簡潔に記された紙が入っていただけだった。なんだか冷たい感じがした。

15の時に降霊病に感染し、高校を卒業する頃には「回復の見込みがない」と言われた僕は、一か八かでメイン要塞の研究科に入れないかと、応募の手紙を出した。東区の要塞の研究所は、末期の降霊病患者の研究者しか入れず、1度入ったものは死ぬまで出ることはできないという噂だった。非人道的な研究が行われているとの噂もあった。それでも誰も彼らを咎めないのは、健常者が僕たち感染者のことをどうでもいいと思っている証拠だった。

応募の結果だが、実は最初は被験者としての合格通知が来た。臆病な僕が「被験者」という文字を怖がり、両親に泣きつくと、数週間後、要塞からもう一通の封筒が届いた。職員としての採用通知だ。通知書の何よりも先に書かれた「ご支援、ありがとうございます」という文から、親の“頑張り”が伺えた。

永遠の別れになると親に泣きながら見送られ、僕は19で独り立ちを果たした。夢見ていた暮らしよりははるかに薄暗い未来ではあったが、酒も飲めない年齢で研究科に所属できるなんて、それこそ夢にも見なかった展開だ。ありがたい話だった。


「まずは、医療本部で身体検査…」

医療科への案内図の横に、若い女医の写真が貼ってある。名前は宇崎うさきというらしい。ピンクの髪を横に垂らした、タレ目の医者だった。

エレベーターに乗る。無駄に透けたガラスの床や壁が少し怖くて、手すりを掴む。このデザインになんの意味があるのだろうか…。

3階に着く。この階もしんとしていた。ここには患者や看護師が居るはずなのに、それらの話し声も聞こえなかった。なんだか不気味だ。

2号室のドアを開く。女医はまだ来ていないようだった。机の上に散らかっている資料、飲みかけの飲料水、椅子の背もたれから片側がずり落ちている上着…。この部屋の主は随分大雑把な性格のようだ。

「君、」

後ろから突然声をかけられ、思わず振り返る。部屋に人は居ないと思っていたのだが、部屋の角、窓際に寄せられたカーテンに半分隠れるように、小さな女の子が立っていた。派手な水色の髪、真っ白な肌、端正な顔立ち。どこか人間離れしていて、人形のようだった。

彼女はそれ以上は何も言わず、ただじっとこちらを見つめてきた。

「すいません、気づかなくて。あなたは…?」

少し頭を下げ、話しかけてみたが、少女から返事はなかった。しばらくの沈黙の後、

「君は…あの人の…」

彼女は掠れた声でそう言った。随分とゆっくりした喋り方だった。

少女はそれだけ言うとまた黙り込んでしまった。具合が悪いのか、なんだか苦しそうな顔をしていた。

気まずい空気を破ったのは、勢いよく開いたドアの音だった。ピンク髪を一つくくりにした女医が黒縁眼鏡の下からこちらを見下ろす。彼女はとても背が高かった。2メートル位はあるのではないか?あまりの迫力に上から下までまじまじと見つめてしまう。その間にも女医はカツカツとヒールの音をさせてこちらへ近づいてくる。ちょうど僕の視線まっすぐのあたりで、Tシャツの下の大きな胸が揺れていた。

「あんたが新人くん?若いね!」

僕の横を通り過ぎ、ドカッと椅子に座った彼女は開口一番にそう言った。随分と大きい声だ。

「は、はい。そうです。よろしくお願いします!」

深々と頭を下げ、負けじと大きな声で返事をした。しっかりしないと、その雰囲気に気圧されてしまいそうだと感じた。

「私は宇崎。医療科で医者やってるの。あ、私がいるのは隣の病棟ね。」

宇崎さんがウインクする。部屋を見た時点で思っていたことではあるが、宇崎さんは僕の苦手なタイプのようだ。初対面で馴れ馴れしくしてくる奴に、いい思い出がない。

「早速だけど、」宇崎さんは書類をこちらに渡してくる。「君の仕事はその子のお世話だよ」宇崎さんがペンで窓際にいた少女をさす。少女はこちらを見て、少しお辞儀をした後、こちらに近づいてきた。

「私の名前は、███」

名前は聞き取れない言葉だった。古代語だろうか?

少女は「現代語で、マーズ…火星という意味。」と付け足した。相変わらずゆっくりと喋るな。

「マーズちゃんは凄いよ〜?数百年モノの古代兵器なの。レムレス用のね。」

宇崎さんがなぜか誇ったような表情をして、少女の肩を叩く。マーズと呼ばれた少女は照れるでもなく、少し俯いた。

「君、兵器に会うのはもちろん初めてだよね?この子の簡単な機能メンテナンスと、精神メンテナンスをして欲しいの。」

宇崎さんは資料をさしながら一つ一つ分かりやすく解説してくれた。こんな性格ではあるが、医者である以上頭のいい人なのだなと感じた。



「…ところでさっきから言ってるそのレムレス、っていうのは、なんですか…?」

一通りの説明を聞いたあと、僕はそう質問した。何回も出てきていたが聞いた事のない単語だった。

宇崎さんは少し驚いたような表情をした後、納得したように ああ!と大きな声を出した。

「君、さては相当の末期だね?レムレスのことを忘れるなんて…記憶障害が深刻なタイプは大変だね〜」

わけも分からずに同情され、はぁ、と微妙な返事を返すと、宇崎さんは僕の方をトンと叩いて、レムレスについて説明してくれた。

「良い?君のかかった病気は降霊病って言って、内側から、人間の人間らしいところが侵食される病気なの。」

「ええ、それはまあ、知っていますけど…」

「それで、君は死んだあと、自分がどんな姿になるか知ってる?」

彼女はカタカタとパソコンを叩きながら話を続ける。

「こう、なるんだよ。」

宇崎さんがパソコンをこちら側に向ける。見せられたものはもはや人間の形をしていなかった。全身がドロドロに溶けたケモノのような見た目をしていて、凶悪そうな呻き声をあげ都市の防衛軍と戦っている姿が画面に映っていた。

「え…」

僕は思わず1歩後退りした。心の奥底から沸き立つような恐怖を感じて、体の力が抜けていくのをグッと堪える。

「降霊病患者は脳や身体がおかしくなって、最後は皮膚が裂けて中からバケモノがでてくるの。

それが、レムレス。君たちは同族を殺すための戦争をやってるんだよ。」

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