名前を知った
「えっと、ごめんなさい」
僕は自然と謝っていた。どうしてだろう。こういう時に限って、目を合わせられない。悔しくて、自分が嫌いになる。手に持っているノートを、力強く握った。
僕の様子を見たその子は、歪んでいた眉毛の端がだんだん落ちていく。
「ごめんなさい」
結局、二人で謝ることになってしまった。不思議な空気が流れる。
「ふふふ」
すると、どこからか笑い声が聞こえた。声の方向を向くと、そこには司書さんがいた。口元に手をあてて笑っている。
「まさか、君が初めて彼女と話す相手になるとはね」
司書さんは、「彼女の方を見て」と僕に目配せする。彼女は口をぽかんと開けて、司書さんの話を聞いている姿があった。
「初めてって、どういうことですか…?」
僕たちの元に来た司書さんに、沢山ある聞きたいことの一つを質問した。
「彼女はね、明日から転入する予定の子。ね、霧里さん」
霧雲さんと呼ばれた彼女は、姿勢を正して僕を真正面に見た。
「
「僕は、ぼくは、」
いつ以来だろう。友達を作るために、僕自身の名前を話すなんて。
結局誰も僕の名前を覚えてくれなかったんだっけ。クラスのすべての人に、僕の名前を名乗ったはずだったのに。
少し苦い思い出を噛みしめながら、自己紹介をする。
「僕は、升川 文也。これからよろしく」
自然と握手をするために手を伸ばしたが、慌ててひっこめる。男友達同士でも、握手をするなんてことは無いし、ましてや女子なんかとは、気味悪がられるだろう。
話を盛り上げるために、話のネタを考える。その様子を外から見ている司書さんが、楽しそうに観覧していた。見世物ではないんだが。
結局僕は、誰もが質問するであろうことを聞くことにした。
「何組に入る予定?」
霧里さんは戸惑った様子で司書さんの表情を窺った。司書さんは軽く頭を縦に振る。その様子を見て、彼女は再び僕の前で姿勢を正した。
「B組です」
僕と同じクラスだ。この時は、本当にたまたまだった。まさか霧里さんと同じクラスになるとはだれが考えられていただろう。いや、司書さんはわかっていたか。
「もしかして、升川さんも?」
心中を突かれ、思わずのけ反ってしまう。明らかに「はい」と言っているような物だ。
このままでは、また不思議な空気が流れてしまう。
司書さんは僕に向かって歪なウィンクを投げて、貸出しカウンターに戻って行った。また楽しまれた・・・。
次の話のネタを考えるため、頭をフルパワーで動かすが、ロアディング中のぐるぐるマークが頭の上で流れる。
すると、その様子を見かねたであろう霧里さんが質問を投げてくれた。
「升川さんは、どれくらいのペースで図書室に訪れていますか」
今までの状況を考え、ざっくりと頻度を割り出す。
「えっと、2週間に1度くらい、かな」
答えを聞いた霧里さんは、少し目を伏せて、「そうですよね・・・」と呟いた。
あぁぁー!何かやってしまったのか!?心の中で、グレーのシフォンケーキが膨らみだす。そうだ、話を続けないと。
「霧里さんは、どれくらいの頻度で図書室に來ますか」
質問をしてから、改めて気づく。まるで僕が、霧里さんを待っているような聞き方じゃないか!
小さな僕が体の中で形成されて、頭を抱える。恥ずかしさよりも、自分のバカな考え方に取り込まれる。
「私は」
霧里さんの声でハッと我に返り、自然と目線を霧里さんに合わせる。
「前の学校では、ほぼ毎日のように通ってましたね。なんというか、家にいる感じ見たいなんです」
「そ、それっ、僕も同じ」
初めて自分の気持ちを理解してくれる人に出会った。唐突に出た言葉だったが、相手はちゃんと受け止めてくれている。霧里さんも、どこか嬉しそうだった。
今度はちゃんと、伝えたいことが口から出てきた。
「敬語を使うのは止めよう、せっかく同じクラスの中なんだし。これからよろしくね、霧里さん」
すると、むこうも瞳を少し大きく広げて、それからやさしい形になる。
「せっかくなら、呼び方も変えよう。そうだね、じゃあ君のこと、ふみって呼ぼうかな」
顎に人差し指を当てて、天井を向いている。1つひとつの仕草が美しい。ついつい見とれてしまっていたが、頭をぶんぶん振って意識を戻す。
「それなら僕は、はるさんって呼ぶよ。これからよろしくね、はるさん」
「こちらこそ、ふみくん」
二人して照れ合いながら握手を交わした。なんだ、少し話をしただけで、さっきまでひっこめていた手を差し出すことが出来た。
少し、成長できたかな。
「ただいまー」
あれから5時間後。僕は家に帰り、真っ先に自室にこもった。私服に着替え直し、勉強机の上でパソコンを立ち上げる。
『人気な本 学生 女性向け』と検索画面に打ち込む。心地よいタイピング音も、僕が好きなものの1つだ。
結果がすぐに出てくる。最近受賞された作品や、偉人が書いた作品が並べられた。「しっかし、恋愛ものが本当に多いな」
『女性向け』を検索ワードに含めているため、そういった小説も多く出てきた。
なぜ今僕が本を調べているかというと、はるさんのためだ。彼女は家では1人でいることが多く、退屈らしい。それで本を読み始めたのだが、お気に入りのシリーズ作品が最近読み終わってしまったらしく、新しい本を探しているようだった。だから、あの時も図書室にいたのだ。
それから30分ほど検索し、新しい本のリストを書き上げた。十数冊の本の題名が並べられているが、その中には僕が読んだことのある本も入れた。最初に読んで欲しい本として挙げられたのが、その小説だったからだ。
ボールペンを置き、学校用のクリアファイルに差し込む。
パソコンを閉じ、僕はベッドにダイブした。スマホの連絡リストをなぞって、彼女の名前を探し出す。『霧里 遥嘉』。
スマホを持った片手を乱暴にベッドに落とし、もう片方の腕を顔に乗せた。
「なにやってんだよ、僕」
あの後、互いに連絡先を交換した。スマホを持っていた手と顔にのせていた手を並べて、両手で覆い隠す。そして、左右にゴロゴロと体を動かした。うわー、本当になにやってんだよ…。
心が落ち着くまでゴロゴロした後、再び連絡リストの彼女の名前を見直した。本当に、連絡先を交換したと、確認する。目線を天井に合わせ、頭の中で迷走をする。
そういえばあの時、なんで図書室に訪れる頻度を聞いたのだろうか。最初は、特に質問することが無く、とっさに出てきた質問がそれだったからだと考えていた。だが改めて考えてみると、僕が質問に答えた後には、分かりやすい反応をしていた。あれは本当に、知りたくて質問したものなのかもしれない。
「お兄ちゃん」
いつもの声が聞こえる。声主の方を振り向くと、そこには我が妹がいた。扉を少し開けた状態で、こちらの様子を伺っている。ふいに嫌な予感を感じ、とっさに体を起こして妹に尋ねた。
「お前、どこから見ていた」
「さぁね。少なくとも、お兄ちゃんがベッドでゴロゴロして、そのあとにスマホを見てニヤついていたところからって、言っておいたほうがいいかな」
胸のあたりからずっしりと重みを感じる。慌てて妹の方向に姿勢を正し、カーペットの上に正座をして言った。
「今のは、忘れてください」
妹の反応を待つ。こんなこと、久しぶりだな。ほんの10秒くらいの空白の時間が、僕には30分に感じられた。やがて、僕を見下している妹の口が開く。
「仕方ないですねぇ。見なかったことにしておきますよ」
やれやれという風に手を動かし、部屋の扉をゆっくりと閉めた。
「受験期の男子中学生って、こんな感じか」
おい、今なんか言ったな。ぼそりと聞こえた言葉が、小さな針のように尖り、僕の心にダメージを与える。
もう閉まりかけている扉に向かって、僕は震える声で言った。
「ほ、本当に忘れてくださいっ!」
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