珈琲11杯目 (9)プラトリッツ全学生に告ぐ

「クッソ痛てえなこン畜生がッ! おいとンがり耳野郎、離れやがれッ!」

 およそ「妖精」に分類される生物が発しているとは思えぬ悪態を吐き散らしながら、“大化け道化のドルコイシャール”は必死に<障壁>の牢獄から逃れようと無駄な努力をしています。

 そんな下品な生き物を胸腹部に押し付けられている使節団長は、懸命に平静を装っておられるものの、人間共に頭を下げることなくどうやってこの状況から逃れようかと必死に思案を巡らせているようです。


「ケネルウォン殿」

 意地の悪い笑みが口元に浮かんでしまうのを必死にこらえつつ、ゼルベーラ隊長が使節団長に近付かれました。

「咄嗟の事ゆえ、何とも申し訳ございませんな。しかし確かに、“大化け道化のドルコイシャール”を捕らえましたよ」


「ご協力に感謝する」あくまで平静を装って、使節団長はかすかに頭を下げようとされましたが、額を<障壁>にぶち当てただけでございました。わたくしの背後から、リュライア様がブフォと噴き出されるのが聞こえます。

「……実に見事な手口だ。最後にきちんと妖精を捕縛してくれていれば、<障壁>魔法を使う手間も省けたのだが」

 翻訳すると、さっさとこの<障壁>を解除しろ、とのことでございます。



「あの時の使節団長殿の顔!」

 帰途につく我々の馬車と並走されながら、ゼルベーラ隊長は愛馬の鞍上で呵々大笑されました。

 あの後、いたずら妖精クーラハーンは無事にエルフの使節団に引き渡され、厳重に拘束された上で本国送還と相成りました。いたずら妖精クーラハーンが悪戯を試みるのは種族の性分というものでしょうが、そのせいで危うく帝国が外交問題を抱えるところだったと考えますと、情状の余地はございますまい。

「いや、まさかあんな間抜けづらを拝めるとは思わなかったぞ。最高だ!」

 ……ゼルベーラ隊長にとっては、帝国の安寧よりも使節団長の間抜け顔を拝めたことの方が慶賀にたえぬことのようでございますが。


「ところでリュラ、そろそろ教えてくれないか?」

 手綱を操って馬車に身を寄せたゼルベーラ隊長は、声を落としてリュライア様のお顔をのぞき込まれました。

「いったいどうして君は、そこまでいたずら妖精クーラハーンを嫌うんだ?」


「……リリー。人にはいろいろと、思い出したくないことがあるものだ」

 リュライア様は窓の外に目を向けられましたが、その焦点は隊長に合わせられてはおりません。隊長はちらりとわたくしに視線を送られましたが、わたくしといたしましても、ご主人様が思い出されるのを拒否されたことを、この口から語ることはいたしかねます。

 一方リュライア様とわたくしは互いに目を交わし、ひそかにうなずき合いました。そう、これはわたくしとリュライア様だけの秘密でございます。



 かつてリュライア様が、「花妖精プルナークが妖精料理を作ります!」という怪しい案内状に興味を惹かれ、花妖精プルナークの来訪を申し込んだこと。


 やって来た可愛い二人の花妖精プルナークが屋敷の厨房で料理するのをこっそり覗いたところ、実は彼女らはいたずら妖精クーラハーンが化けた偽物で、厨房の調味料を混ぜる(砂糖壺に塩を混入させるという、中身を全部入れ替えるより悪質)悪戯をしていたこと。


 そして彼らの下品な会話――「ここの主人、絶対あの執事と(※親密な接触行為を表す下品な表現※)ってるよな」など――に激高されたリュライア様が、彼ら目掛けて<魔塊奔撃>を放ち、わたくしが<障壁>で軌道をそらさなかったら大惨事になっていたこと。


 かような経験から、ご主人様はいたずら妖精クーラハーンと耳にされただけで、強烈な敵意をむき出しにされるのでございます。



 さて、いささか気まずくなってしまった馬車の空気を変えるべく、わたくしは馬車と並走されるゼルベーラ隊長にお声をお掛けいたしました。

「隊長、今回の『修正案』は、<障壁>魔法の使い方が決め手でございましたが」

「お? ああ、そうだな。当初案との違い……というより、使節団長をあんな目に遭わせた最大の要因は、あの魔法だろう」隊長は上機嫌でうなずかれます。

「では、今回の最大の功労者はお嬢さんだな」


 隊長が破顔されると、クラウ様は得意満面で胸を張られました。「まあ、当然のことをしたまでだよ。でも、ご褒美をくれるっていうなら……」

「ゼルベーラ隊長。クラウ様のお働きに、ご褒美をいただけないでしょうか?」

 わたくしは先回りして隊長にお願いいたしました。鞍上の警務隊長は、鷹揚にうなずかれます。「いいとも。あのエルフの困り顔に免じて、な。何が欲しい?」


「じゃ、現金……」

「今度の帝都優駿では、学生が<変身>魔法で不正に入場するのを防ぐため、入口に魔導士を配置すると伺いました」わたくしはあわててクラウ様を遮りました。

「ですが、入口を固めるだけでは足りないと思料いたします」


「というと?」ゼルベーラ隊長は手綱をわずかに引かれました。わたくしは、隊長を安心させるように表情を緩めました。

「<変身>魔法で、競争関係者に成りすます可能性もございます。また、馬券に何か細工をするおそれも無いとは言い切れません」

「ふむ……」

 隊長は考え込まれました。実際のところ、そうした可能性はまず考慮しなくてもよいものですが、わたくしは肝心の要求を切り出しました。


「そこでご提案なのですが、当日はクラウ様とそのご学友の皆様方にお手伝いいただき、場内各所を警戒していただくというのはいかがでしょう?」

 わたくしの提案に、ゼルベーラ隊長は驚きに目を見開かれ、クラウ様は歓喜に目を輝かせ、リュライア様は諦めて目を閉じられました。わたくしは説明を続けます。


「学生の皆様は、警務隊第七隊の支援要員として競馬場に入場されます。そして下見所に不審な魔導士がいないかどうか、馬券売り場で魔法の使用が無いかどうか、そしてレースで魔法による不正が行われていないか、監視いただくのでございます」

「……私には、学生たちに競馬場を好きに歩き回らせて、馬券購入もレースの観戦も自由にするように取り計らってほしい、と要求されているように聞こえるんだが」

 ゼルベーラ隊長は、呆れたようにため息をつかれました。そんな隊長を、クラウ様は期待に満ちたまなざしで見つめられておいでです。


「帝都競馬場は警務隊第五隊の管轄だ」隊長は抵抗を試みられました。

「君の素晴らしい提案を、彼らは喜ばんだろうな」

「先日、ホイルトダータルの二十一年が手に入りまして」

 わたくしの最後の一押しは、葡萄酒でございます。「少し若いですが、『嶺南の帝王』と称される名酒でございます。どのような味わいか、ひとつ喉に聞いてみたいと思いますが、もしよろしければ……」


「先ほどの君の提案だが」音を立てて隊長の態度が変わられました。

「第五隊の方は心配するな。あそこの隊長に『お願いを聞いてもらう』だけのネタはいくつか持っている。プラトリッツの学生が奉仕活動に来てくれると言うなら、反対はせんだろうよ」

「やった!」

 クラウ様が、座席の上で跳び上がって歓喜の叫びを上げられますと、リュライア様は諦念と非難の混じったため息をつかれました。どうやら今年の帝都優駿、客席の一角を女学生の一団が占めることになりそうだぞ、と。

 しかし、クラウ様が続けられたお言葉は、ご主人様やわたくしの予想を超えるものでございました。


「ありがとう、ファル! それじゃ、プラトリッツ魔導女学院の声かけてみるね!」

                              珈琲11杯目 了

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