珈琲10杯目 (10)穴党終了、「夜明けのカラス」

 クラウ様は天性の勝負勘で、この場は絶対にごまかしてはいけないと即断されました。そして「正直に」、帝都で開催される医学研修会に誘われているので、クメルタインさんと一緒に出掛けるところですとヒナルグレブ先生に答えられ、その証拠にエランナ様からのお手紙を先生にお見せしたのでございます。


「医学研修会?」ヒナルグレブ先生は、眉をひそめられました。「会場が、屋外? しかも、競馬場の隣って……」

「先生、これはクメルタインさんにとって大事な『勉強』の機会なんです」

 クラウ様の弁舌が冴えわたります。「先生も、クメルタインさんを心配されておられましたよね? 学院で勉強ばかりしていてはいけないって」

 そしてクラウ様は、スノート家の血が――勝負師としての血が――命じるままに、乾坤一擲の大勝負に出られました。

「先生。この研修会の会場は、帝都のルシュー街にある帝国の施設です」


「……ルシュー街、ですって?」

 ヒナルグレブ先生の目が鋭く光りました。帝国の競馬愛好家にとって、「ルシュー」といえばそれはすなわち帝都競馬場の俗称でございます。クラウ様はかまわず、ごく自然な調子で続けられました。

「ほら、三つ目の曲がり角に『大きな木』がそびえ立つ、ルシューですよ」

 ……帝都競馬場の第三コーナーには、「大神樹」と称される大木がございまして、レースの際は、各馬が最後の直線に向け加速を開始する目印となっております。最後の五百エレットの長い直線と並ぶ、まさに帝都競馬場の象徴と申せましょう。


 ヒナルグレブ先生は低く唸って、意味深な表情を浮かべるクラウ様を、次いで何も知らぬ顔のクメルタイン殿のお顔を、交互に凝視されました。

 生活指導教官というお立場上、当然先生も競馬に関する知識はお持ちであり、またおそらくは、「夜明けのカラス」なる学生の伝統行事のこともご存じでいらっしゃることでしょう。となれば、クラウ様がクメルタイン殿をお誘いするのは、「帝都競馬場の隣の施設」などではなく、競馬場そのものだということを、先生はただちに了知されたに違いありますまい。


 ヒナルグレブ先生は決断に迫られました。学生が競馬場に行くとは何事かと一喝すべきか、それとも勉強ばかりでろくに外出もしない生徒に、勉強以外の人間修養をさせるべきか。

 生活指導を担うお立場なら、選択の余地なく前者を選ばれることでしょう。なれど今は、普段外出すらまともにされぬクメルタイン殿を外に連れ出すまたとない機会。先生のお心は、さぞ乱れたに違いありません。


 結局最後は、学院の創設者・バドール師の警句――「社会と交わらずに育った魔導士は、国を吹き飛ばすようになる」――を思い出されたようでございます。無論クラウ様は、ヒナルグレブ先生がそうお考えになられることを読み切った上で、嘘偽りなく真実を告げるという選択をされたのでございますが。


 ヒナルグレブ先生は、謹直な表情のまま、クラウ様に尋ねられました。

「それで、何をもめているのですか?」

 賭けに勝ったことを確信されたクラウ様は、勝利の雄叫びを上げる代わりに、沈鬱な表情で先生の問いに答えられました。

「はい、叔母上からの手紙には、制服ではなく私服で来るよう指示されているのですが、クメルタインさんは制服姿で行くと言ってきかないのです……」


「クメルタインさん」

 本人が反論する前に、ヒナルグレブ先生は厳然たる口調で命じられました。

「貴重な『勉強』の機会です、行ってきなさい。ただしその格好で行ったりしたら、帝都の市民にプラトリッツの学生が競馬場に来たのかと誤解されます」

 先生の指摘に、クメルタイン殿は息を呑まれました。

「市民から通報があったりしたら、学院も相応の処罰を考えなければなりません。そのようなことにならないよう、私服で行くように」


 以上が、クラウ様がわたくしに語られた一部始終でございます。多少の誇張はあるやも知れませんが、クラウ様は見事に窮地を脱されました。咄嗟の機転と大胆な立ち回り、さすがはクラウ様でございます。

 かくして、若干の遅れはあったものの、帝都(競馬場)行きの馬車には、わたくしとクラウ様、挑戦者のルノートル殿、そして私服姿のクメルタイン殿が乗り込み、一路「医学研修会」へと向かっている次第でございます。なお、先ほど碧水川を渡りましたので、「夜明けのカラス」で「完敗」に賭けられた穴党の皆様には、ご愁傷様でございますと申し上げておきましょう。


 また、この出来事で、わたくしはある事実を知ることができました。

クメルタイン殿は、ヒナルグレブ先生が「処罰」の可能性を口にされた途端に服装を改められましたが、そこから察しまするに、薬草学の名門のご令嬢は、学院から処罰されることをおそれておられるということでございます。

 所属する学校に怒られるのが好きという学生はさほど多くはありますまいが、おそらくクメルタイン殿のご実家の状況を勘案すれば、ご令嬢は家名に傷がつくことを何よりも気にされておられるかと。これは、今回のわたくしの策を実行する上で、有利な要素でございます。


 唯一の懸念は、この「研修会」に臨まれるクメルタイン殿の意気込みでございましょうか。今この馬車の中でも、クメルタイン殿は興奮気味にエランナ様からのお手紙――「研修会」で発表される症例について記載されたもの――を読みふけっておいでです。関心のあることで誘い出す、というのがわたくしの策でございますが、あまりに期待が大きくなってしまわれると、偽りが発覚した際の反応が気になるところでございます……たとえば、観客席で暴れ出されるとか。

 もっとも、そうした場合の対応も考えて、きちんと手は打っております。策を考えたのは、このわたくし・ファルナミアンでございますから。

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