珈琲5杯目 (5)消えたメダル、残ったメダル

「おそらくセファエリスの根の粉末だね。酒に入れられていたんだ」

 レンテラー家の侍医は、淡々とレンテラー氏と執事、そしてゼルベーラ隊長と我々に告げました。「毒性はあるけど、大量に飲まなければ命にかかわる可能性は低い。今ゲーゲーやってる連中も、じきに良くなるだろう」

 わたくしとリュライア様は顔を見合わせました。遥か西の大陸からもたらされたセファエリスの根は、催吐剤として薬草登録されていて、大都市の薬草処方所に行けば誰でも購入可能です。

「飲んだのは招待客の約半分、それとホーニッツ氏だ。バルトーリ氏は酒のグラスを手にしていたが、飲む前に皆が吐き始めたので、すんでのところで飲まずに済んだ」

 ゼルベーラ隊長は、がらんとした室内を見回しました。高価な絨毯はところどころ客の吐瀉物で汚れ、かすかな異臭が漂っています。招待客の皆様は、嘔吐組はこの階の北側の長広間ロンカガレリエに、無事組は隣の図書室に集められ、警務隊の皆様の尋問と所持品検査を受けておられます。探しているのは、もちろん消えた弟のメダルでございます。

「窓を開けていいか?」

 リュライア様が眉根を寄せてゼルベーラ隊長に尋ねられましたが、隊長は首を横に振られました。

「この空気を入れ替えた方がいいことは分かるが、もう少し待ってくれ。魔導士の応援部隊が、この部屋にメダルが無いことを確認してからだ」

「それなら私が……」

 リュライア様が言いかけたとき、入口の扉が開いて、二人の人物が同時に部屋に入ってこられました。

「わ、私のメダルに誰も触っていないだろうね!?」

 最初の人物は、兄のメダルの所有者であるホーニッツ氏です。彼も薬入りの葡萄酒を口にされたはずですが、量が少なかったのか、あるいは盗まれなかったご自身のメダルが気になって仕方なかったのか、鬼気迫る表情で展示台に駆け寄って来られました。そしてその後ろには、酒を飲まなかったバルトーリ氏が無言で続かれています。彼はご自身のメダルを盗まれたにもかかわらず別室で身体検査を受けることなったせいか、非常に不機嫌そうでした。

 お二人は共にレンテラー氏に詰め寄りましたが、主催者は呆然としておられるばかりでございます。立ち尽くす美術商に代わり、ゼルベーラ隊長が二人のなだめ役を買って出られました。

「ホーニッツ殿、ご安心を。盗難現場には誰も近づけておりませんし、あなたのメダルにも触れておりません……スノート師が<魔力探知>をするために表面に手をかざしましたがね。無論、本物でしたよ」

 それからもうおひと方に向きなおり、「バルトーリ殿。おそらくあなたの所有する弟のメダルは盗まれたと思われます。しかし、この屋敷からはメダルも犯人も出しませんので、どうぞお待ちください」

「そうか」

 バルトーリ氏は、しかし、おそろしいほど冷静でございました。その理由は、氏が続けておっしゃられた言葉で判明いたしました。

「仮に盗まれたということであれば仕方がない。当初の約束どおり、メダルの購入代金をレンテラー氏にご負担いただく」

 わたくしとリュライア様は、再度顔を見合わせました。バルトーリ氏が終始盗難に対して冷淡な態度だったのは、盗まれても金銭的被害を被らないためだったのでございます。無論盗まれた場合は、二枚一組を売却した際の利益を得ることはできませんが、それでもメダルを買った分のお金は戻ってきます――レンテラー氏が補填する形で。これが、レンテラー氏がメダルを展示するために呑んだ条件だったのでございます。そしてそのレンテラー氏は、バルトーリ氏の言葉ではっと我に返られたようです。

「バルトーリ殿」

 さすがに一代で財を成した美術商人、いざとなれば肝が据わっておられます。

「このたびは当方の不手際で申し訳ない。メダルの捜索と奪還にはお時間をいただきたいが、万一メダルが競売にかけられない場合は、約束どおり代金をお支払いする」

 バルトーリ氏は、結構、と無表情にうなずかれました。続けてレンテラー氏は、怯えるホーニッツ氏に向き直り、やや柔らかな口調で告げられました。

「ホーニッツ殿、どうやらあなたのメダルは無事なようです。いかがでしょう、バルトーリ殿のメダルがすぐに見つかった時に備えて、こちらはこのまま我々にお預けいただくというのは……」

「じょ、冗談じゃない!」

 ホーニッツ殿は、また鳥女ハーピュリアのような声を張り上げました。「い、いや、別にレンテラー殿を疑っているわけじゃない。だが、まだ犯人は捕まっていないんだろう?」

「今、全力を挙げて捜索中です」

ゼルベーラ隊長が極めて冷静に答えられましたが、怯えた鳥女をなだめる効果は皆無でした。

「ということは、まだこの屋敷の中に犯人がいるってことじゃないか!」

「その可能性は否定できませんな」

 隊長にしては慎重な言い回しですが、無論ホーニッツ氏の不安を鎮める役には立ちません。

「レンテラー殿」ホーニッツ氏はかろうじて興奮を抑えた声を主催者に向けました。

「犯人からの予告状には、メダルを盗むとありましたな?」

「おっしゃるとおり」

「このメダルの所有者は、まだ私ですな?」

「はい」

「だったら、今すぐ持って帰る。売る話も、無しだ」

「それは……」困惑するレンテラー氏を遮って、ゼルベーラ隊長が進み出ました。

「ホーニッツ殿、それは少し早計では? バルトーリ氏のメダルが戻れば、予定どおり競売にかけることができる。ここで売るのをやめられるのは……」

「た、確かに」巨額の利益を得る機会をみすみす逃すのは商売人としての本能が許さないらしく、ホーニッツ氏は一瞬躊躇いの色を見せました。が、すぐに顔を上げ、

「では、売るのをやめる話は一旦保留だ。ただ、メダルは持って帰る。まだ盗賊に狙われている以上、私の家で保管する方が安全だ」

 ゼルベーラ隊長はぴくりと頬を引きつらせました。ここに――レンテラー氏の衛士の他、帝都警務隊も警備するこの屋敷に――メダルを置いておくのは危険だと言われたわけですから、面白かろうはずがありません。しかし、それほどの警備を敷いておきながら、もう一枚のメダルが盗まれたことも事実でございます。

「分かりました」

レンテラー氏は、あきらめたように首を振りました。「兄のメダルの所有者はあなただ。私としては、盗まれないよう万全を期していただくことを願うしかありません」

 そしてゼルベーラ隊長に視線を送りました。隊長は、泥水でも飲んだような表情で、小さくうなずかれました。

「やむを得ません。ただし持ち帰る際は、全員身体検査と<魔力探知>を受けていただく」そうおっしゃるのが精一杯の抵抗のようでございました。

 その時、再び入口の扉が開き、今度も二人の人物が入って来られました。一人はファングルー治安判事でございます。

 薬の影響で体力を消耗されたらしく、おぼつかない足取りでございましたので、わたくしとリュライア様、そして憮然とした表情のゼルベーラ隊長が駆け寄りました。

「私なら大丈夫だ」

 あまり大丈夫そうな顔色ではありませんでしたが、法に仕える身として犯罪行為の現場に来るのが義務であるという心意気一つで立っておられます。

そして判事と共に入って来たもう一人の方は、クラウ様でございました。

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