珈琲5杯目 (3)双子のメダル
「来たか、ご両人。まるで宴席にでも行く格好じゃないか」
身体検査を終えて応接間に通されるや、椅子にかける間もなくゼルベーラ隊長がお見えになられて、上機嫌で冗談を飛ばされました。身体検査でいささか快適ならざる目に遭っておられたリュライア様は、険のある目で睨み返されます。
「まさかと思うが、もう飲んでいるのか?」
「馬鹿を言え。いくら私でも、こんな重要案件の前には飲まんよ」
では重要でない案件の時は飲んでいるのかとリュライア様が言い返される前に、わたくしが半歩進み出ました。
「招待客名簿を拝見いたしましたが、
「そうだろう。二枚一組に揃ったメダルを買い取れる財力の持ち主なぞ、帝国広しといえども数は限られている」隊長は表情をやや引き締めました。「そんな財力の持ち主は、往々にして権力の持ち主でもある。ま、失態は許されんな」
「それは主催者のレンテラー氏も同意見のようだな」
リュライア様は腕を組み、憮然とした表情でつぶやかれました。「見る限りでは、万全の警戒態勢だ。魔導学院からも魔導士を調達して、魔道具の類は一切持ち込ませないし、<変身>魔法による変装も見破る気満々だな」
「ああ。プロトリィ魔導女学院からは女性の魔導士を、バドール魔導学院から男性の魔導士を、それぞれ呼んでいる……招待客だけでなく、給仕や世話係、そして衛士たちまで、この屋敷に出入りするたびに不審物検査をするという徹底ぶりだ。学院の手も借りたいのもうなずける。魔術審議会に話せばもっと数が揃うんだろうが、色々面倒になるから寄付先で調達したということか」そこまで言ってから、隊長はにやりと笑みを浮かべました。「そう言えば、クラウ嬢には会ったか? ……いや、言わなくていい。会ったから機嫌が悪かったんだろう?」
「分かっているなら聞くな」憤然とリュライア様はそっぽを向かれました。
いえ、わたくしには分かっております。ご機嫌を損じたのはこのわたくしでございます。クラウ様に身体検査されたときのご様子を、事細かにリュライア様にお伝えしたのが間違いでございました。特にわたくしの胸に触れた時のクラウ様の反応とか。
「さて、では協力者のお二人を会場にご案内しよう」
はっしと手を打つと、ゼルベーラ隊長はわたくしたちを三階の会場に案内するべく応接間を出られて、先に立って歩き出しました。落ち着いた色の、しかし豪華な厚みのある絨毯を踏みしめながら、わたくしは隊長の背に声を掛けます。
「本日この屋敷に出入りする方々のうち、メダルの話をご存じなのは? クラウ様はご存じないようでしたが」
「レンテラー氏が集めた魔導士御一行様には知らせていない」隊長は目だけで振り返りました。「防犯上、知る必要のないことは知らないままのほうがいいということだ。同様に、彼が雇っている衛士や使用人も、何か高価な商品の展示会を大々的に執り行うという程度の認識しかないそうだ。この種の集まりは珍しくないらしいから、使用人側も慣れている……例外はレンテラー氏の執事と、衛士隊長だけだそうだ」
「君たち警務隊はどうなんだ?」
今度はリュライア様が尋ねられました。ゼルベーラ隊長は振り返る代わりに背中で笑いました。
「メダルのことを知っているのは、私と副隊長、それと応援に来た第二隊の隊長と副隊長だけだ。我々には、賊から守るものがあるという任務だけ分かっていれば十分だからな」
「ではわたくしたちの任務ををご存じなのも、今の方々のみということでよろしいでしょうか?」
わたくしの質問に、隊長はかぶりを振られました。
「レンテラー氏側の関係者のうち、会場にいる衛士だけには、君らが我々の協力者であることを伝えているそうだ。無論我々警務隊は全員知っているよ」
「では、招待客以外で会場に入る者は?」
リュライア様の問いに、隊長は階段を昇りながら首を曲げて答えられました。
「レンテラー氏の執事と給仕七人、衛士六人。屋敷内には給仕も衛士ももっといるが、会場に立ち入れるのは勤続五年以上で特に信頼を置ける者たちだけだという話だ。その給仕も、酒や料理を運び込んだらすぐに退出するという徹底ぶりさ。通常、この種の宴席に付き物の音楽隊や奇術師もなし。賊に付け入る隙を与えないというわけだ」
そして階段を昇り終えたところで立ち止まり、わたくしたちを待ちながら続けられました。「それと我々警務隊だが、基本的に部屋の四隅と出入口に貼りつく六人、そして伝令役の二人と、この私だ。他の隊員は基本的に屋敷の外に配置している……ああそれと、我々に協力いただける魔導士様とその執事の二人は当然会場の中だ」
会場となる三階の広間は、東西に長い長方形の部屋でした。入口は北側の長辺に沿って三か所、それと東端には図書室に通じる扉が、西端には控えの間に通じる扉がございまして、南側はすべて窓となっております。
「今日の入り口は一か所だけだ。他は全て閉鎖している」
ゼルベーラ隊長は、長辺に三か所ある扉のうち、一番西側の扉を開いて我々を招じ入れました。意外なほど奥行のある広間は、高い天井のためか実際より広く感じられます。壁際には長椅子や
そして広間の反対側となる東の端には、豪華な長机が鎮座していて、数人の男性が周囲に立っています。そして彼らとは明らかに身なりの異なる長身の初老の男性がこちらに気付くと、ゆっくりとこちらに歩み寄ってこられました。
「紹介しよう。この屋敷の主にして祝宴の主催者、美術商のレンテラー氏だ」
続いてゼルベーラ隊長はその紳士に一礼し、「レンテラー殿、こちらがスノート師です。執事と共に、我々を支援いただいています」
「よろしく、スノート師」長身の美術商は、丁寧に挨拶されました。リュライア様も、同じく丁重に礼を返されます。
「こちらこそ、レンテラー殿。いきなり
レンテラー氏は、突然の申し出にも動揺することなく、どうぞこちらへと言って我々を長机のところに案内されました。まだ他に客もいないというのに、既に長机の両脇には武装した屈強な衛士と警務隊員がお二人ずつ立っておられます。
リュライア様は臆することなく長机に進み、その上に置かれた展示台を見下ろしました。机の上には二つの展示台が置かれ、左側は青い布が、右側は赤い布が、それぞれ台座に敷かれています。そしてそれらの中央には、柔らかな白さの円盤が置かれていました――左の弟のメダルの方が二回りほど兄のメダルよりも小さいのが見て取れます。わたくしもリュライア様の隣から覗き込みまして、施された文様の精緻さ、竜に立ち向かう魔導士の造形の美麗さに息を呑みました。
「竜の牙の魔力を確認したいので、手に取ってもよろしいですね?」
美術品としての価値に興味がおありでないのか、リュライア様はメダルを一瞥するなり、当然のようにレンテラー氏に同意を求められました。美術商は横目でゼルベーラ隊長に視線を送って救いを求めましたが、返ってきたのは残念ながらという感じのうなずきのみ。やむなく氏は、展示台の脇に置かれていた白絹の手袋をリュライア様に渡されて、素手で触らずこちらをお使いくださいと力なくおっしゃられました。
「わかりました。慎重に扱います」
おそらくこの部屋の美術品すべてを合わせたよりも高価なメダルでございますが、我がご主人様は手袋をはめた手を伸ばすと、躊躇いなく台座のくぼみに指をかけて無造作に双子の兄が描かれた円盤を手に取られました。思っていたより薄く、帝国金貨二枚分あるかないかの厚みでしょうか。大きさはその数倍、金銭的価値は数千倍から数万倍ですが。
「……確かに、これは人間が関与したマギナリウムの感覚ではないな。魔法生物自身が持つ魔力そのものだ」
そのまま裏を返されて、刻まれた文字――古い帝国語で、竜を倒した魔導士兄弟の兄であるイルアン・カランティックの功績と、このメダルを造らせた皇帝の名がくっきりと刻まれています――をご覧になられました。その間わたくしは、メダルが収まっていた台座のくぼみに指を入れ、魔力の痕跡を感知できるか試してみましたが、やはり魔力は微弱すぎるようでございます。わたくしの人差し指の半ばまである深さのくぼみを隅々まで<魔力探知>しても、無駄に終わりました。
「無駄だ、ファル」
リュライア様は苦笑しながらメダルをくぼみに戻されました。メダルは凹凸なくぴたりと台座に収まり、リュライア様はその表面をそっと撫でました。
「メダル本体からでなければ魔力は感知できん。独特な魔力だからすぐにそれと特定できるが、十歩も離れると探知は難しくなるだろうな。それに……」リュライア様は、すぐ隣の台座に目を向けられました。「これほど微弱では、数枚束ねても量の違いは認識できん。竜の体の一部とはいえ、切り取られてからもう千数百年以上経っているのではな」
そうおっしゃられて、今度は弟の方のメダルを手にされようと手を伸ばしたとき、甲高い悲鳴のような何かが聞こえました。
「な、何をしているのですか!?」
振り向くと、会場の入り口に二人の紳士が立っておられ、そのうちの背の低い方の殿方がこちらを見て絶叫されておられます。どうやら先ほどの
「防犯のため、メダルの魔力を確認いただいているところです」
我々を見守っていたゼルベーラ隊長が有無を言わさぬ口調で答えますと、レンテラー氏が進み出て、なだめるように穏やかな笑みを返されました。
「ご紹介しましょう。こちらはリュライア・スノート師。帝国魔術顧問であるグレヴィア・オーロ師の又姪にあたられるお方です」
美術商の紹介の言葉に、鳥女氏の態度が音を立てて一変しました。さりげない調子で口にされたグレヴィア様のお名前と肩書がその変化をもたらしたことは明白ですが、ともかくも友好的な態度になられたことは喜ばしいことでございます。
「スノート殿、メダルの持ち主のお二人です。こちらが――」レンテラー氏はそう言って、鳥女氏に顔を向けられました。「兄のメダルの所有者であるホーニッツ殿です。そしてこちらが」今度は、無言で隣に立つ大柄な髭面の紳士を紹介されました。
「弟のメダルの所有者であるバルトーリ殿です」
「リュライア・スノートです。お二人のメダルを拝見させていただいておりました」
我がご主人様は、二人の紳士たちに丁重に挨拶されました。しかしその後が続かれません。そもそもリュライア様は、この種の社交の場というものが大の苦手でございますので、気の利いた社交辞令など出てくるはずもございません。しかし主催者であるレンテラー氏が気を利かせ、気まずい沈黙が流れるのを阻止されました。
「お早いご到着でしたね。メダルは二枚とも展示準備を終えていますから、後は開宴まで控えの間でお待ちください」
「予告状が届いているのに、とてもそんな気になれんよ」
再びホーニッツ氏の声の調子が高まりました。先ほどの悲鳴といい、かなり神経質になっておいでのようで、貿易商というよりは怯えるウサギのようでございます――ご自身の身代の大半を投じた宝物を盗んでやると盗賊に予告されれば、大抵の方は同じようになるでしょうが。
「警備は万全のようですな。あとはいい買い手を見つけていただくだけだ」
どうやら怯えるウサギばかりではないようです。バルトーリ氏は抑揚のない声でつぶやかれましたが、そうした態度が好ましからざる
「本日のお客様の名簿はお読みいただけましたかな?」
ホーニッツ氏がバルトーリ氏を睨みつけたことに気付くや、すかさずレンテラー氏が笑顔で不穏な空気を破砕されました。「本日は、ガリアルス女侯爵もお見えになられますよ」
「彼女がその気になれば、この屋敷ごと買いかねないね。欲しいと思ったものは何でも手に入れないと気が済まない方だ」
やや態度を和らげたホーニッツ氏が冗談で応じます。が、バルトーリ氏はどうあっても同業者の気分を不快なものにしてやると固く決意しておられるようです。
「かの名高きグリフェンデラール伯は呼ばれていないようですな。あのメダル収集家が名簿に無いのは、どういう理由でしょうなあ」
この疑問はレンテラー氏に向けられたものではなく、ホーニッツ氏に向けられたものだということはすぐに分かりました。
「伯は私のお得意様だ。盗品でも何でも買う、などという好ましからざる噂があるが、事実無根のひどい話だ」
「どうぞご心配なく。本日招待させていただいた皆様も、きっとメダルの価値を高く、そう、きわめて高く評価してくださいますよ」
レンテラー氏は驚異的な愛想よさを発揮しつつ、入口で待機していた執事に目で合図をされました。
「お二人にはそれぞれ控えの間をご用意しています。受付開始まであと半時間、どうぞそちらでお寛ぎください」
レンテラー氏がメダル所有者たちをなだめつつ会場を後にすると、ゼルベーラ隊長は小さくため息をつかれました。
「レンテラー殿も大変でございますね」
わたくしの言葉に、大変なものかと隊長は笑って首を振られます。
「この取引が成立したときのことを考えれば、この程度は苦労のうちに入らんだろう。それが金持ち相手の商売というものだ」
「あのメダルはいつ持ち込まれた?」
仕事熱心なのか空気をお読みになられないのか、リュライア様が何事も無かったかのようにゼルベーラ隊長に問われました。ご自身の守備範囲の話になった隊長は、にこやかに答えられます。
「昨日だ。まず昼前にバルトーリ氏が弟のメダルを、午後にホーニッツ氏が兄のメダルを、それぞれここに持ち込んだ」
「あの台座ごと持ち込んだのか?」
「ああ。レンテラー氏の方ではメダルの正確な寸法は分からないから、二人が保管に使用している台座ごとお持ち込みくださいと頼んだらしい」
「メダルはあのまま展示しておくのか?」
「長机はあの場所に置いたままだが、開園後半時間ほどは衝立で客の目から隠しておくそうだ。無論その間も、衛士と警務隊が見守っているよ」
「今日の展示が終わった後は、メダルはどうなるのでしょう?」
わたくしがお尋ねすると、ゼルベーラ隊長は面白そうに口を開きました。
「そのままレンテラー氏が預かって、来月の美術品販売会で競売にかける予定らしい。おそらく今日の招待客の誰かが落札するだろうがな。それまでは、レンテラー氏が責任をもって保管する。例の『黒ネズミ十二号』殿が新しいお手紙を出してきたりしない限り、我々はひとまずお役御免だ」
「今夜の進行は?」
予告状を出した盗賊の名を聞いても全くロマンを刺激されないリュライア様が、会場を見渡しながら尋ねられました。女隊長は苦笑して答えられます。
「間もなく受付開始だ。開宴は七時、しばらく立食形式で招待客同士でご歓談いただき、満を持してメダルをお披露目する。十分価値をご理解いただいたところで、競売の予定をお知らせしてお開きだ。実際は二時間もかからんだろう」そして表情を少し引き締められました。「何事もなければ、な」
「招待客以外の人の出入りは?」
「最初の歓談の間は、酒食を運び入れる時だけ給仕が出入りする。そしてメダルお披露目の時に会場にいるのは、招待客と我々警護隊、衛士だけだ」
リュライア様は、宴席を想像するかのように会場を見渡されました。そしてふと思い出したように、お顔をゼルベーラ隊長に向けられました。
「応援で呼んだ魔導士連中はどうなる? 招待客が会場に入ったら、やることがなくなるだろう」
「いや、彼らは入場時の<魔力探知>が終わっても、宴が終わるまで控室で待機していてもらうことになっている。外の空気が吸いたいと言い出した客が出入りする時にも<魔力探知>をしろとレンテラー氏には言われているようだし、それに万一のことがあった場合、盗品を身に着けていないか確認するのも彼らの役目だ」
「それはまずいな」リュライア様は真面目な表情でゼルベーラ隊長に向き直られました。「リリー、すまないがここの執事に伝えてくれないか。プラトリッツから応援に来ているクラウとかいう馬鹿にエサを与えておいてくれとな。奴め、腹が減ったら厨房に忍び込んで料理をくすねるくらいのことは平気でやりそうだ」
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