楓との話し合い そして真実を知る 2

 リビングで長時間同じ体勢のまま座っているのは辛いので、客間にある座椅子に足を伸ばした状態で座らせてもらうことにした。


 お互いに何から話していいのか分からず無言になり、テーブルの上にある楓の用意したお茶が入ったコップを見つめている。


 でも、いつまでもこうしているわけにはいかない。

 

 意を決した俺はお茶を一口飲み、大きく深呼吸してから楓に問いかけた。


「楓、どうして…… どうして不倫をしたんだ? 俺に何か不満があったのか? それともあの大学生のことが…… あの時は心の余裕がなくて聞けなかったが…… 正直に話して欲しいんだ」


 正座をしていた楓の身体がビクッと反応し、少し震えているようにも見える…… それでも太ももに置いている手をギュッと握った楓は、俺の方を真っ直ぐと見つめ……


「分かりました…… 正直に…… あの時の事を話します……」





 …………

 …………






「それで…… 結局大樹くんには知られてしまって…… 私はすべてを諦めました……」


 楓は時々言葉をつまらせながらもあの時の詳細を、真実を俺に話してくれた。

 そして楓の話を最後まで聞いた俺は唖然としてしまった。


 これが…… 不倫? これじゃあまるで……


「どうして!! ……っ! ……どうして話してくれなかったんだ…… 最初に言ってくれれば俺だって…… そんなに俺は頼りなかったのか?」


 話を聞く限り、これは不倫ではなく犯罪だ…… 話をしてくれたら警察に相談したり、あの大学生にあんな…… ふざけた態度を取らせるようなことはなかったのに!


 そう怒鳴っていただろう、少し前の俺だったら…… 葉月の話を聞く前の俺だったら…… だが、何とか堪えて話を続けることにした。


「頼りにしてた、それに…… 誰よりも大樹くんを愛していた、でも…… 恐かったの、大樹くんに知られる事が…… 正直に話したら大樹くんならきっと私を助けてくれる…… どんな事をしても私を守ってくれるのは分かってた、だから…… それも恐かったの…… それで話せずに躊躇ってしまって、そのうちにどんどん逃げられなくなって……」


 やっぱり…… 


 先に葉月の話を聞いてなかったら『何を馬鹿な事を言ってるんだ!』と怒鳴っていた、もしくはあの大学生を庇っているのかとすら疑っていたかもしれない。


 だけど、怒りもあるし動揺もしているが、わりと冷静に楓の話を聞けていると思う。

 その理由にも気付いていた。


 葉月が過去の話をしてくれたおかげ……


 何となくだが、楓と葉月は雰囲気が似ていると薄々感じていた。

 見た目は正反対と言っていいくらい似てないのに、性格が似ている所が多いんだ。

 特に自分よりも他の人を優先にして考えてしまう、良い所でもあるが悪い所でもある、優しすぎる性格が……


 そんな葉月と似ている楓が、何を思って最後まで黙っていたのか……

 それは大学生アイツのためなんかじゃない、きっと俺と穂乃果のためだ。


 最初に俺に正直に話していたら…… 間違いなく俺は大学生に復讐していただろう、なりふり構わず、怒りのままに……


 俺がそんな行動に出ることを恐れて躊躇っているうちに、その隙をつけこまれズルズルと……  きっとそういう事なんだろう、でも……


「でも最初は『酔わされて』無理矢理になんだろ? それを後からでも俺に言ってくれたら…… 言えなかった理由は何だったんだ?」


「それは……」


「楓のあの時思っていた事を正直に話して欲しい」


 もうここまできたらどんな話でも聞く覚悟は出来ている。


「まずこれは大樹くんのせいじゃない、それだけは分かって欲しいの…… あの時、大樹くんが忙しくて、疲れていたのかあまり夫婦での時間が取れなくて…… そんな時に飲み会に誘われて…… 大樹くんが飲み会に『行ってもいい』と許可してくれたのがショックだと感じていた時に…… その後にあの大学生に『私が誘ってきた』と言われて、全く覚えてないけど、もしかしたら大学生が言っていたように本当に私が誘ったのかと…… そう思ったら余計に何も言えなくなって、悩んだ末…… 隠してしまいました」


 ……寂しさを感じていたということか? 

確かにあの頃は忙しくて、楓と触れ合う時間を作らなかった、だけど飲み会の許可をしたから? なぜそれが大学生の事を今まで話せなかった理由なんだ?


「本当は『行くな』って言って欲しかったのかな…… あの飲み会の主催は近所のおば様達だったし…… それで『大樹くんは私の事を心配してくれないのかな?』なんて…… 一人で勝手バカなことを考えて落ち込んでしまっていたから…… 普段なら身体を許すなんて『あり得ない』とあの大学生に言えたことが…… あの時は強く否定出来なかったのかもしれません…… ごめんなさい」


 近所の? ああ、あの噂話が大好きな…… っ! まさか…… 


「もしかして…… ずっと黙っていた理由って…… あの近所の連中のせいでもあるのか?」


「…………」


 ふと葉月の言っていた過去の話を思い出した。

『葉月が恋人を裏切ったのが地元で噂になり、家族が村八分にされた』という話を……

 返事もせずうつ向いている様子を見ると…… どうやらそれも当たっているようだ。


 そんな…… 噂になるのが嫌なら引っ越せばいいだけじゃ…… 


 ……あっ。


 そもそもなぜ楓はバイトを始めたんだ? 

 それは『マイホーム』のため。


 俺も残業をして頑張っていたし、穂乃果が小学生になるまでにはギリギリマイホームを建てるのに間に合いそうなくらい稼いでいた。

 だけど、それでもバイトを始めたという理由は…… あの地域から少しでも早く引っ越すため。


 送別会をするほど可愛がっていた大学生を、あっという間に引っ越しに追い込むほど、俺が離婚後うんざりしてすぐに引っ越しを考えるほど、噂話が広がるご近所同士の仲の良さ。

 仲が良い事でご近所同士が助け合ったりと、良い事もあるんだろうが、俺達のような新入りのような家族は…… かなり気を使わないと、一つ間違えれば……


 住んでいた頃は気付かなかった…… いや、楓がご近所付き合いも上手くやってくれていたんだろう、俺にはそんな愚痴の一つも言わずに……


 楓の性格からして、面倒見が良いというか、周りに気を使い過ぎる所があるから…… 俺の実家にもちょくちょく顔を出して母さんの様子まで気にかけてくれていたくらいだし、ご近所付き合いにはかなり気を使っていたはずだ。


 もしそんな地域で、あの大学生が『楓に誘われて不倫した』なんて騒いだら……

 俺だけじゃない、一番危険なのは穂乃果だ。

 あの地域ならすぐに『村八分状態』になる。

 もし保育園で穂乃果がいじめられるような事になれば…… 一生心の傷が残る可能性がある。


 ああ…… バカは誰だよ…… 俺じゃないか。


 俺や穂乃果の事、これからの生活など様々な問題を楓は必要以上に気にし過ぎてしまい、考え過ぎて混乱して雁字搦めになり、もう逃げられないと思い、それならばと一人で解決するために四ヶ月という期間我慢することを選び、大学生には酷い扱いをされながら弄ばれ、それでも家族のためにと耐えていた所、俺から切り捨てるように離婚を言い渡され…… それで心が折れてしまい、言い訳することすら『すべてを諦めて』しまったのか。


 これじゃあまるで…… 葉月の過去の話と同じじゃないか。


 自分よりも誰かを、何か大切なものを守るため、自分の身を犠牲にすることを選び、だけど最後には大切なものを失って……。


 それじゃあ俺が今まで穂乃果を守るためにとやってきたことは?

 過去の話を聞いて葉月を癒したいと改めて思ったことは?


 どうして葉月は誰にも話したくない、辛い過去の話をわざわざ俺に話してくれた本当の意味が分かった。


 そして離婚から今まで、楓と穂乃果、そして葉月にどれだけ愚かで罪深いことをしてきたのか、バカな俺はようやく気が付いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る