前に進むために 《楓》

 ◇



「では、お先に失礼します!」


「お疲れ様、気をつけて帰るんだよ」


 職場である弁当屋での仕事を終え、急いで着替えて穂乃果を迎えに行くために保育園へと向かった。


 大樹くんがケガをして、お義母さんからお世話を頼まれた後、杏子さんに事情を軽く説明して少し早く仕事を上がらせてもらえないかと頼んでみたところ……


『それは大変ね、分かったわ! ……でもこれも良い機会だから、きちんとお世話をしてあげなさい、そして…… ちゃんと向き合ってね』


 と、快く了承してくれた。


 お義母さんもだけど…… 何故か大樹くんともう一度きちんと話し合うようにとしつこいくらい言ってくれるんだよね……


 店の近くのバス停でこの後に来るバスを待ちながらそんな事を考えていると、スマホにメッセージが届いた。


『ごめんなさい昨日は言い過ぎたわ、大樹さんのお世話と穂乃果ちゃんの面倒を見るのを頼まれたのなら頑張りなさい』


 お母さん……


 昨日久しぶりに私のお母さんから連絡が来た。

 お父さんとは離婚してから絶縁状態だけど、お母さんとは少しだが連絡を取っている。


 離婚した時にお父さんから絶縁されて以来お母さんにも直接会ってないけど、しばらくして安否確認のために連絡をくれたのがきっかけで、たまに連絡をくれるようになった。


 離婚時には頬を叩かれるくらい怒っていたけど、それでも私の心配してくれていると分かっただけで涙が出るくらい嬉しかったのを覚えている。


 それで昨日お母さんにも大樹くんのケガの件を伝えたところ『裏切ったあなたがお世話するなんて大樹さんに迷惑をかけるし、顔を出すだけでも失礼だからもう行くのをやめなさい!』と怒られてしまった。


 お義母さんと穂乃果に頼まれた事も伝えたが、それでも『やめろ』と言っていたのに…… どうしたんだろう?


花弥かやさんに私が直接連絡をしてね、謝罪してもう行かせないと伝えようとしたんだけど、逆に頼み込まれちゃったの…… だから精一杯頑張りなさい』


 花弥って…… お義母さんに連絡をしたの!? しかもお義母さんが説得してくれたんだ……


 ありがとうございます…… 私に大樹くんともう一度話し合うための機会をくれて…… でもこのままじゃせっかくみんながくれた機会が無駄になってしまう……


 でも話し合った結果、更に嫌われて…… 軽蔑されて、穂乃果と二度と会わせないと言われたら…… 想像をするだけで恐怖が上回り勇気が出ない……

 そんな事を悩んでいるうちにどんどん時間が過ぎていく。


 到着したバスに乗り込んでからも、頭の中で色々な事を考えては…… ただただため息をつくばかりで答えは出なかった。




「ママぁー!」


「ふふっ、迎えに来たよ」


 保育園に到着すると、穂乃果が笑顔で駆け寄って来た。


 私が一緒に暮らしていた時とは違う保育園なので、先生方は私の事を知らない。

 大樹くんが『しばらくの間はママが迎えに行く事になる』と保育園に伝えてくれてはいるが、先生方に奇異の目で見られているのは分かっている。


 穂乃果のママではあるけど、大樹くんの元妻だからね…… でもいいの、私がなんと思われようと、穂乃果さえ嫌な思いをしなければそれで……


「せんせー、ばいばーい! ママ、パパがしんぱいだからはやくかえろー?」


「ふふふっ、そうね…… 帰ろうか」


 もう私の帰る場所では…… ないんだけどね。



「あー! ポゥさんのほん!」


 ポゥさん? ……ああ、私が昔、穂乃果にもらったキーホルダー、ウサギのミミちゃんのお友達のブタのキャラクターだったかな?


「パパによんであげたいなぁ……」


 ふふっ、自分が読みたいんじゃなくて『パパに読んであげたい』かぁ…… 

 やっぱり穂乃果は私の子なんだな、と嬉しくもあり、少しだけ心配になってしまった。


「穂乃果、この本を買って帰る?」


「えっ…… いいの?」


「うん、だからパパに絵本を読んであげてね、穂乃果が読んでくれたらパパは喜んでくれると思うよ」


「わかった! ありがとーママ! えへへっ、ほのか、がんばってよむね!」


「ふふふっ」


 喜びもするし大樹くんなら感動しちゃうかな? 

 この絵本で大樹くんが元気になるなら…… 私も嬉しい。


 そして絵本を買って大樹くんの家に着くと、リビングに葉月ちゃんが一人で座っていた。


「あっ、おかえりなさい穂乃果ちゃん、楓さん」


「はづきちゃん、ただいまー!」


「……お邪魔します」


 ただいまとはやっぱり言えず、ボソッと大樹くんが休んでいる部屋に向かって呟く。


 あれ? 葉月ちゃん…… 何か様子が変だな…… 気のせいじゃないよね?


 少し落ち込んでいるようにも見えるし疲れているようにも見える。

 何かを諦めた…… とは違うけど、とにかくいつもより元気がないように見えた。


「パパー、ただいまー!」


「おかえり、保育園は楽しかったか?」


「うん! えへへっ、きょうはねー……」


 穂乃果が大樹くんが休んでいる部屋に入っていくと、私の立っている場所からもチラリと大樹くんの姿が見えた。


 そして一瞬目が合ったような気がしたが、気まずそうで…… 申し訳なさそうな顔をした大樹くんが、私から目を逸らした。


 あれ? 大樹くんも何か雰囲気が違うように感じる。


 離婚したとはいえ十年以上そばで見てきたから、些細な変化でも大樹くんの事なら分かるつもり…… 


 朝までは普通だったのに…… 葉月ちゃんと大樹くんの間で何かあったのかな?

 ケンカではなさそう、でもより仲良くなった感じにも見えない。


 少し気になるけど…… 私が気にしちゃダメな事だろうと、大樹くんのいる部屋から目を逸らし、再び葉月ちゃんの方を向くと……


「楓さん、急ですが明日…… あたしと穂乃果ちゃんは、大樹さんのお母さんの家に行く事になりました、楓さん明日休みですよね? だから…… 大樹さんのお世話は任せます」


「えっ…… そ、そんなのダメだよ! 私が大樹くんと二人きりになるなんて…… 大樹くんに嫌な思いをさせちゃ……」


「楓さん、いつまでも逃げないで下さい、あなたのせいで、大樹さんや穂乃果ちゃんが今、寂しい思いをしてるんですよ?」


 だって、そうしないと……


「あたしに言わなくても大丈夫です、なんとなく理由は分かりますから…… 大丈夫です、あたしの話を大樹さんはちゃんと聞いてくれました、だから楓さんの話もちゃんと聞いてくれますよ」


 えっ? それで…… 二人とも朝とは少し雰囲気が違うの?


「でも……」


「過去に何を思って行動したのか、自分の思いを大樹さんに正直に話してあげて下さい、心配しなくても大丈夫ですよ」


 本当に大丈夫なのかな? でも…… 葉月ちゃんがそう言うなら大丈夫なような気がしてくるのはなぜ?


 もしかして私達が……


「あたし達は似てますからね、中身が…… そんなあたしの話を聞いてくれたんですよ? ……今の大樹さんなら真剣に、楓さんの立場になって考えてくれますよ」


 薄々感じていた…… 見た目は似ていないのに考え方が…… 私達はそっくりだと。


 常に周りに気を配り、周りを見過ぎて、自分の事よりも相手を優先的に考えてしまう悪いところなんて特に……


「ママー? おやつたべたーい!」


「あっ…… ほ、穂乃果…… うん、昨日買ってきたのがあるでしょ? でも晩ご飯もあるし食べ過ぎちゃダメよ?」


「はーい、えへへっ、パパとたべるんだー」


 そうだよね…… 穂乃果のために、すべてを正直に話して…… 前に進まないと。

 

 その道が大樹くんや穂乃果と二度と交わらない道だとしても。

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