前を向く決意 3

 葉月さんから『仕事を辞めた』と聞かされた時は驚きと同時に『良かった』という気持ちになった。


 何故『良かった』なのか…… 


 仕事が大変そうだったから? すべてを諦めたような目で働いていたから? それとも……

 その事を考えるたびに、何故か頭の中に楓の顔が浮かんでしまう。


 『俺って最低だな』と思いながらも、やっぱり葉月さんのぬくもりを求めている自分がいる。


 この言い方だと身体目当てみたいに思われてしまうな…… でも、上手く説明出来ないがそうじゃないんだ。

 『葉月さん』から与えられるぬくもりが…… 心地良いんだ。


 多分葉月さんも過去に何かがあって、心に大きな傷があるんだと思う。

 だからお互いに『味方』がそばにいてくれるこの状態が心地良いんだろう。




「パパー! みてみてー!」


「お、おぉ……」


 先日完成した、お店でリメイクしてもらったワンピースに、ヘアアイロンでクルッと縦に巻いたセミロングくらいまで伸びた髪、俺に似た目元もメイクで更に大きく、可愛くなって、真っ赤なリップを塗り、キラキラとしたデコレーションのされた付け爪と、バッチリと着飾った穂乃果が俺に自慢するように小走りで近付いて来た。


「パパ、ほのかかわいい? はづきちゃんみたいなおねえさんになってる?」


「うん…… 凄く可愛いよ! 大人のお姉さんみたいだ!」


「やったー! えへへー!」


「あはっ! 穂乃果ちゃん、良かったねー」


 今日はリメイクした服に合わせて『葉月さんみたいなお姉さん』にしてもらう約束をしていたみたいで、保育園から帰る途中、待ち合わせをしていた葉月さんと共に帰宅をしてからずっと部屋で二人でメイクをしたり、楽しそうにあれこれしていた。


 そういえば葉月さんが仕事を辞めてから、俺達の会う頻度は前より多くなった。


 ……ほとんど穂乃果が誘っているんだけどな。


 先週は木曜日と土日、今日は土曜日で泊まっていく予定だから、土日は三週連続で会っていることになるな。


 何故葉月さんとの関係を改めて考えていたのかというのは、これが原因だった。


 決して会いたくないというわけではないんだが、頻繁会っているから…… これじゃあまるで…… と思ってしまっている。


 穂乃果が葉月さんと遊びたいと言うから…… という言い訳をしながら、葉月さんが遊びに来るのを楽しみに待っている自分もいるし…… 

 とにかく今はこの関係のまま、これからどうするかをゆっくりと考えさせてくれたら嬉しい。


 ……と葉月さんに伝えようと思っていたら


『大樹さん、あたしは別にこのままでいいですから、悩まないで下さいね?』


 葉月さんの方から先に言われてしまった。

 何も伝えてないのに…… 何故分かったんだ?


『あはっ! 女の勘ってやつですよ!』


 ……よく分からないがそういう事らしい。


「えへっ! ……わぁぁー、すごーい!」


 葉月さんからもらった三面鏡で自分の顔をまじまじと見ながら喜んでいる穂乃果。

 その姿を、俺達は笑顔で見守っていた。



 …………



「来週の日曜日は用事があるんで……」


「はい、分かりました…… あはっ、そんな申し訳なさそうな顔をしないで下さいよ! ……じゃあ来週は金曜日に遊びに来ますね、穂乃果ちゃんにリップクリームの塗り方を教える約束なんです」


「金曜日ですね、空けておきます」


 穂乃果が寝た後は何もなければだいたい大人の時間になる。

 その代わりというか、穂乃果がいる前では一定の距離を保つようにしているから、寝静まった時間だけが、こうして色々な話を出来る時間となっている。


「ところで…… そろそろ『葉月さん』はやめません? それに敬語も、あたしの方が年下ですし…… 何か嫌なんですよねー」


「えっ…… じゃあ…… 『葉月ちゃん』?」


「もう! ……『葉月』でいいですよ! さっきだってそう呼んでたじゃないですか、『は、葉月、それ以上は……』って」


「そ、それは……」


 『サービス』が凄くて、つい……


「じゃあ…… 呼んでくれるまでたーっぷりサービスしちゃいますよ?」


「分かったよ…… 『葉月』」


「あはっ! はい、大樹さん」


「…………」


 何だよ…… そんなに見つめてきて……


「大樹さーん……」


「……どうしたの? 葉月」


「あはっ! ……大樹さーん!」


 あっ! コラッ……


 結局『葉月』と呼んでもサービスはするんじゃないか……



 …………



「それじゃあまたね、穂乃果ちゃん、大樹さん」


「ばいばーい!」


「じゃあ金曜日、待ってますね」


 朝、俺達が家を出る支度をしていると、俺達が家を出る前に葉月さ…… 葉月は帰っていった。


 さすがに穂乃果の前でも『葉月』いきなりと呼ぶのは抵抗があったので、今日は『葉月さん』呼びにしていた。


 ちょっと不満そうだったが、理解してくれたのか、俺の脇腹をちょこんとつねるくらいで許してくれたので…… まあ、良かったのかな?


 しかし…… どうしたものかな。


 着実に俺達の仲は深まっている。

 でも…… 俺の心の中には…… まだ楓がいるんだよ。


 この気持ちを抱えたまま葉月との関係を進めるのは不誠実だよな。


 ……そんな事を考えていると、ふと気付いてしまった。


 今まで『穂乃果と二人でどう生きていくか』しか考えられていなかったが、心の余裕が出来たことに、少し気持ちが前向きになっていることに気付いた。


 これも葉月のおかげだな。


 そして前向きになったことでもう一つ、今まで心の奥底にしまっていた疑問が浮かんできた……


 どうしてあの時、楓は不倫をしたんだろう?


 俺に原因があるのか、それとも……

 はぁっ、今更聞いても仕方ないか。


 でも、もしも俺に原因があるのなら…… 

 

 前に進むためには知る必要があるのかな? と、本当に、ふと思ってしまった。

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