私が離婚した理由 1 《楓》

 ◇


「こんばんはー」


「あっ…… こんばんは」


 仕事が終わり、一人暮らしをしている古いアパートに帰って来ると、三ヶ月前くらいに越して来たお隣さんと鉢合わせた。


 お隣さんは、少し幼く見える可愛らしい顔にウェーブのかかったセミロングの茶髪、チェックのダボダボしたシャツをボタンを留めずに羽織り、大きな胸の谷間を強調するようなキャミソールを着て、生足をこれでもかと見せているホットパンツ、首や手首には少し派手なアクセサリーを付けた…… いわゆる『ギャル』のような女性だ。


 何の仕事をしているかは知らないが…… 今の格好よりも派手で露出の多い服装で外出している所を見たことがある。


 ……まあ、お隣さんがどんな人だろうと私には関係ないんだけどね。


 そう思いながら自分の家の鍵を開けて中に入ると……


 外観とは違い、綺麗にリフォームされた部屋、そのリビングには小さなテーブルが一つ。

 それと服を収納する小さな棚と一人で使うには十分な小さな冷蔵庫、洗濯機は中古で買った安物で、リビングの隣にある襖で仕切られてた四畳半の部屋には一組の布団があるだけの…… 殺風景な部屋。


 そしてこれも中古で買った、少し年季の入った化粧台の上には…… 笑顔で写る三人の家族人達の写真が飾られている。


 その中の一人…… 幸せそうに子供を抱き抱えて笑う女性が…… 私だ。


「ただいま……」


 そんな写真に帰宅したことを告げても返事があるわけでもないのに…… 私は必ず写真に話しかけている。


 許されないほどの酷い裏切りをして、離婚してから一年と少し…… 私はここに一人で暮らして、裏切った元夫と娘に償うため日々働き生活している。


 私が家族を裏切り、離婚した理由は、私が不倫…… したから。



 きっかけはバイト先で開かれた飲み会だ。


 まず何故バイトを始めたのか…… それは私達夫婦が娘の穂乃果が小学生になる前にマイホームを購入したいと思っていたから。


 そのため元夫である大樹くんは給料を少しでも多くもらうために残業続きの毎日だった。


 残業といっても一日一時間、それを会社の許す範囲で残業していたのだが、それでも毎日忙しそうにしていた大樹くんの手助けをしたいと思って、私もバイトを始めることにした。


 穂乃果が保育園に行っている間の数時間、スーパーで品出しなど裏方の仕事だったのだが…… そこで一緒に働いていたのが、不倫相手の大学生だった。


 仕事の話以外はあまり話した事はなかったけど、その大学生の子が一流企業に内定をもらい、バイトを退職するということで、同じバイト仲間数人を集めてお祝いも兼ねての送別会を開くことになった。


 主催は同じバイト仲間のおば様達で、自分達の子供と同じくらいの大学生を普段から可愛がっていたから、お祝いしてあげたくなったんだと思う。


 私も誘われて、最初は断ったんだけど……


『いつも食事に誘っても断るんだから…… たまには参加したら?』と、半ば強引に参加させられ…… あの飲み会に行ってしまった。


 そして送別会当日。


 大学生を囲むようにおば様達は座り、私は席の一番端で他のバイト仲間と料理を食べていた。


 おば様達や大学生、そして大学生と仲良くしていた若いバイトの子達はお酒をどんどん注文して……


 私は明日も朝から穂乃果を保育園に連れて行かなければいけないし、あまりお酒が飲めないから、そんな様子を見ているだけ…… のはずだった。


『楓ちゃん、少しは飲みなさいよー、楽しくないでしょ?』


 と、おば様達の一人、バイト先ではおつぼね的なおば様にお酒を勧められ、断れなかった私は、慣れないお酒を飲んでしまい……


 


 ……気付いた時には服を着ていなくて、見知らぬベッドの上で横になっていた。

 そして隣には…… 


「木下さん、やっと起きたんだ」


 笑顔で私の顔を見つめる…… 同じく服を着ていないバイト先の大学生が横に並ぶように寝ていた。


 えっ…… ここはどこ?

 視線を大学生から逸らすように周りを見ると…… 


 寝るにしては大き過ぎるベッド、部屋の装飾や作りが…… 似たような所に来た事がある…… まさか…… ホテル?


 一体今、何が起きているのか分からず、私は逃げるように慌ててベッドから飛び起きた。


「あ、あの…… 私……」


 確か居酒屋でジュースみたいなカクテルをグラスで一杯飲まされて…… それから二杯目を飲んでから…… 記憶がない。


「木下さん、気を失うように寝ちゃったから心配しましたよ、そんなに良かったですか?」


 そう言いながら、ニヤニヤした顔をして見せてきたのは…… 使用済みの……


「既婚者なのに俺を誘うだなんて…… もしかして欲求不満だったんですかー? はははっ」


 嘘…… 嘘よ!! 私がそんな……


「まあ俺も木下さんの事、気になってたんで誘ってもらえて嬉しいんですけどね…… それにしても…… いやー、木下さんがこんな積極的だとは思いませんでしたよ」


 違う! 私はそんな事…… 私には大樹くんがいるんだから……


 でも…… 何もなかったとは言えない…… 身体のだるさが…… 身体の一部が不快なのが、まるで事後のよう……


 あぁぁ…… 私…… 私…… 


「あの! これは何かの間違いで…… きょ、今日の事は……」


「ははっ、もちろん……これは『不倫』になっちゃいますからね、誰にも言いませんよ」


 『不倫』…… その言葉が私に重くのしかかる……


 記憶がないとはいえ、大学生と一緒にホテルに居て、しかもお互いに生まれたままの姿…… これで何もやましい事がない、とは言えない……


 ……はっ! そういえば時間は!? 


 慌てて時計を探して時刻を確認すると…… 二十三時二十六分…… 


「わ、私…… 帰ります!!」


 『この場から早く逃げたい』という思いと『大樹くんと穂乃果が心配している』という思いが頭の中でごちゃごちゃになり、私は脱ぎ捨ててあった服を拾い、大学生が見ているのも気にする余裕がない状態で、慌てて着替えを始めた。


「今更慌てても遅くないですかー? せっかく酔いが醒めてきたんだし、まだ時間もあるからもう少し楽しみましょうよ」


 ……あなたとなんかいても楽しくない!! そう思いながらも、私は頭の中で大樹くんにする言い訳を必死に考えていた。



 今思い返すと、この時正直に大樹くんに話していればこんな事にはならなかったかもと…… 今更後悔している。


 だけど、この間違いを隠す事を選んだ私……


 それこそ大間違いで……


「ははっ、聞いてない…… 仕方ない、これで終わりにしますか」


「えっ……」


「言ったじゃないですか『木下さんの事、気になってた』って…… 既婚者だからと諦めていたんですけど、こういう関係になっちゃいましたし、俺も諦められなくなったというか……」


「……いいえ、私は夫を愛しているので困ります、今日のは間違いなんです、忘れて下さい…… お願いします……」


 私は不満なんてない。

 大樹くんを心から愛しているし、私達の宝物…… 何よりも大切な娘、穂乃果がいる。


 これ以上望むものなんてないの…… だから……


「そうですか……」


 そして……


「それなら木下さんを諦めるために時間を下さいよ…… 就職したらこの街から離れなくちゃいけないですし…… あっ! じゃあ就職するまでの四ヶ月の間、恋人になって下さい、そうしてくれたら旦那さんにも、誰にも言わずに黙ってますから」


 嫌…… だけど、大樹くんにこの事を知られるのは…… もっと嫌。


「……少し考えさせて下さい」


 それだけを告げて私はその場から逃げるように帰宅した。

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