コーヒーが苦手な女の子
外に出るのは久しぶりだ。冷たい風が頬をかすめ、少しだけ体が震えた。僕はコートのポケットに手を突っ込みながら、通りを歩いていた。街は相変わらず忙しそうで、誰もが何かを急いでいる。理由はわからないが、多くの人が何かに背中を追われながら生きているように思える。寒さがじわじわと体に染み込んできた。冬の空気は冷たいけれど、その中を歩くのは嫌いじゃなかった。通りを歩く彼らにとっては、この日常がすべてなのだろう。僕はそんなことを漠然と思いながら静かに進んだ。
ふと、見慣れたカフェが目に入った。あの店には、時々足を運んでいたが特別な理由があるわけではない。ただ、静かで落ち着いた場所だったからだ。外の喧騒とは切り離された空間で、一人になれる時間を過ごすのにちょうどよかった。今日は特に予定もなかったので、自然に足がその店に向かっていたらしい。カフェのドアベルが鳴る。小さな音だが、どこか懐かしさがある。店内は薄暗く、外の光が窓からほんの少しだけ差し込んでいる。温かい空気が肌に触れ、少しだけホッとした。カウンターには見覚えのある店員が立っていたが、特に挨拶を交わすわけでもなく、僕はいつもの窓際の席に向かった。
コーヒーを頼んで一息つくと、窓の外をぼんやりと眺めた。外は忙しい世界だが、ここは時間がゆっくりと流れているように感じる。コーヒーの香りが漂い、店内の静けさが僕を包み込む。この場所にいると、何も考えずに済むのがいい。
しばらくして、ふと視線を感じた。顔を上げると、目の前に若い女性が立っていた。彼女は明るい笑顔を浮かべながら、僕をじっと見つめている。長い髪が光を反射して、どこか軽やかに揺れていた。
「ここ、空いてる?」彼女の声は快活で、店内の静けさを一瞬で和らげた。
少し戸惑いながらも、僕は頷く。彼女は何の躊躇もなく椅子を引き、向かいに腰掛けた。その動作は自然で、まるで昔から知り合いだったかのように自身を錯覚させた。しばらくして彼女が、ふと僕の顔を見つめながらこう言った。
「私のこと覚えてたりする?」
僕は思わず眉をひそめたが、頭を振った。
「いや、悪いが全く記憶にない。」
彼女の顔には見覚えがないし、彼女が誰なのかもわからなかった。すると、彼女はクスッと笑って言った。
「まあ、仕方ないよね。初めて会うんだもん。」
その言葉はあまりにも自然に出てきたもので、僕は何も返せなかった。ただ、彼女が笑っているのを見ていると、それでいいのだと思えてしまった。
「これから覚えてもらうように頑張るよ。」
そう言って、彼女は肩をすくめて再び笑顔を見せた。まるで何も考えていないように、無邪気で、軽やかなその様子が、どこか居心地の良さを感じさせる。
会話は流れるように続き、外の景色やコーヒーの味、話題の音楽など、それら一つ一つが何でもない話題に思えたが、その軽さが心地よかった。
「なんか、いい場所だよね。このカフェ、落ち着くし、外の世界とは全然違う感じがする。」
「時間が止まってるみたいだよね。」僕はなんとなく言葉を繋げた。
「うん、そうだね。」彼女は頷き、また笑顔を見せた。その笑顔は無邪気で、何かを考えている様子もない。だけど、その存在感は確かにここにある。
「また会えるかな?」
彼女は突然、そんなことを言い出した。帰り際、唐突にそう尋ねられた僕は驚き、呆然としてしまった。
「うん、たぶん。」曖昧に答えたが、彼女はそれを聞いて満足したのか、軽く手を振りながら席を立った。
ドアが閉まる音が聞こえた瞬間、僕はふと彼女の名前を聞き忘れたことに気がついたが、特に強い感情は湧いてこなかった。なぜか彼女にはまた会える気がする。これでもかというほど砂糖が入れられたコーヒーカップを見て、不思議とそう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます