第3章〈大災厄〉

 ♢

 保健室の騒動そうどうから少し経ち、俺は自分の教室を目指すべく、学園の渡り廊下を1人歩いていた。

 

 この〈せいれいがくえん〉の校舎は3つの建造物と5つのエリアで構成されており、それぞれ第一棟、第二棟、第三棟といったように分かれている。

 

 保健室があるのは第二棟で、教室があるのはと第一棟だ。つまり教室を目指す場合、間と間をつなぐこの渡り廊下を通る必要がある。また、壁が透明なガラスによって造られているため、遠くの景色がよく見える、と生徒の中でちょっとした人気スポットであったりもする。

 


 (今は......ちょうどお昼時なのか)



 すれ違う生徒や、ガラスしに広がる緩やかな空気。これらの要素が、俺に今は昼休みなのだということを伝えてくる。


 そんなに眠っていた自覚はなかったのだが、腹のあたりに広がる空腹感と、スマホに表示されている時間が現実であることを教えてくれる。重症じゅうしょう、というほどではないのだろうが、そこそこ大きなケガだったのかもしれない。



(———っと、危ない。あやうく忘れるところだった)



 そう言って取り出したのは、綺麗に折られた一枚のメモ用紙。保健室を去る際に、五月雨さみだれ先生から手渡されたものだ。後で必ず読むよう釘をされていたが、『重要』と赤字で書かれているあたりよほど大事なことが書かれているのだろう。


 

 よし、と。

 

 俺は意を決して、メモ用紙を開く———




君へ。


 やっほー⭐︎ 皆の憧れのお姉さん、五月雨さみだれ 睡蓮すいれんちゃんだ———』





 ———そっと、俺はメモ用紙を静かに閉じた。


 そうだな......うん、きっとこれは何かの間違いだ。そうに決まっている。えっと......多分、まだ寝ぼけているんだ!あんな嫌な夢見ちゃったわけだし。


 .......よし。もう大丈夫だ。これで心配はいらない。変な幻覚なんて見ない。もう何も怖くないぞ!


 そう意気いきんだ俺は、ゆっくりと手元のメモ用紙を開く。




君へ。


 やっほー⭐︎ 皆の憧れのお姉さん、五月雨さみだれ 睡蓮すいれんちゃんだよ (^_−)−☆


さっきはありがとね♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

それと、色々驚かせて本当にごめんね(>人<;)

私、人と話すの得意じゃなくて......

いっぱい、いっぱい

困らせちゃったよね?(;ω;)


でも、君がかけてくれたあの言葉。

私、すっっっっっごい嬉しかったよ!!

先輩以外の人からあんなこと言われたの、

初めてだったから。


あーあ、不覚にも、いっぱいドキドキしちゃった(//∇//)

君は将来きっと、とっってもかっこよくなっちゃうよ!

......あ、今も十分かっこいいか!

もー!!この生涯しょうがい女たらしめ!この、この!


......でも、その時は、1番に私を迎えに来てくれると嬉しい———かな?


———きゃっ!

言っちゃった、恥ずかしい!\(//∇//)\ \(//∇//)\


 

......こほん。

ごめん、色々脱線しちゃったね。


そろそろ本題に入るけど、

ズバリ、君の症状しょうじょうは打撲です!

しかも全身を強く打った、けっこう重いやつ!!


それと、きっとその時に頭も打っちゃったんだよね?

意識を失っちゃったのはそれが原因、病名で言うと脳震盪のうしんとうかな。

ただ検査した感じ、脳の方に異常は見当たらなかったから、きっと一時的なやつだと思う。

今の感じだと、後遺症こういしょうとかの心配もないかな。


でも、打撲の方はそうもいかないかも。

一応いちおう処置しょちはしたけど完全に痛みは引いてない———特に1番強く打っちゃってた腰は、しばらく痛みが続くと思う。

痛みが完全に引くまでは、包帯も外せないかな。



だからこそ、しばらくは絶対安静!!

早めの休息をとって、激しい運動は御法度ごはっと!!

無茶とかは絶対しないこと!!!

(`・д・)σ メッ!だよ!!



分かった?


お姉さんとの、お•や•く•そ•く


だぞ?(๑•̀ᴗ- )✩




それと———

よかったら、また遊びに来てね?

待ってるよ(*´˘`*)♡"


あなたの憧れのお姉さん 五月雨さみだれ 睡蓮すいれんより♡』



 

 「いや、誰だよ」


 ......やばい、思わず声に出てしまった。

すれ違う生徒たちの視線が痛い。


 

 色々ツッコミどころ満載の文章だが、まず最初にいだく感想はこれに尽きる。

本当に誰だよ。何?あんな短い言葉の中に、これだけの意図が隠れてんの?あのボーっとした顔でそんなこと考えてたの?

 しかも途中の文章とか、所々ところどころ根が真面目なのが伝わってきて余計に痛々いたいたしい。なんだか、全体的に無理やりテンション上げようとしてる感が出てしまっているのが、さらになんとも言えないところだ。これもその先輩とやらの教えのせいなのだろうか。


 まぁ、もしかしたら、こっちが素という可能性も十分あり得るのだが......とりあえず、それはまた今度考えるとしよう。今、俺が考えるべきことは他にある。



 (絶対安静、運動は御法度ごはっと......か)



 俺は(周りの生徒に絶対見えないように手で隠しながら)改めてそこの部分の文言もんごんに目を通す。


 やはり症状しょうじょうは打撲と、それによって起こった脳震盪のうしんとう。未だ引かない腰の痛みも、それが原因だ。

 無論、本来であるならば授業なんて受けている場合ではない。今すぐにでも帰って休息をとるか、もしくは病院へと行くべきなのだろう。


 

 ———

 


 「............」



 俺はふところに入れてあったデバイスを手に取る。が、やはりと言うか、相も変わらず一向に反応を示そうとはしない。


 そう。デバイスが使えないというのは、この学園では致命的ちめいてきな欠点だ。授業や成績にも大きく影響してくる。

 ......正直なことを言うと、デバイスが使えなくなってからというものの、学園からの評価は最悪だ。俺がなんとか退学をまぬがれているのは、それまでの功績こうせきと授業への出席が大きい。というか、実質それしか評価されるところはない。そんな中、仕方がないこととはいえ、午前中の授業を全てすっぽかしてしまったのだ。これは評価の上で、かなりの痛手いたでと言えるだろう。



 「......まぁ、午後は実戦じっせん科目だから、どうせ見学になるとは思うけど」



 そう独りごちながら、俺は小さく肩をすくめる。

 とはいえ、出席しないよりかは、はるかにマシなのも事実だ。やはり、今から早退という選択肢はない。



 俺は腰に広がる痛みを表に出さないようにつとめながら、再び自分の教室へと歩みを進めるのであった。

















 ♢

 それから俺は特に何事もなく自分の教室へとたどり着いた。途中、昼食をとってないことを思い出し、購買こうばいでパンを購入はしたが、今朝のようにいきなり意識を失うようなことはなかった。

 やはり、普通に生活する分には問題ないようだ。


 ただ———



 「............ふぅ、さて、どうしたもんかな」



 問題なく教室へとたどり着いたのはいいのだが、いざ入ろうと思うとかなり緊張する。


 それもそうだろう。どこまで事情が伝わっているかは分からないが、いきなり午前中の授業を全て休み、午後から突然登校した生徒がいれば、大なり小なり注目されるものだ。

 しかもそれが、学園唯一のデバイスを使えない落ちこぼれともなればさらに注目度は上がる。入室した後のことも容易に想像できてしまうだろう。



 「———って言っても、いつまでもここにいるわけにもいかないしな」



 よし、と。俺は意を決して教室の扉へと手を伸ばす。

 ガラガラガラと、そこそこ大きな音を立てて教室の扉が開かれる。


 瞬間、



 「「「「.............」」」」



 シーン、と、先程まで楽しそうに団欒だんらんしていたクラスメイトたちは、俺の姿を見るなり一斉いっせいに静かになる。今の今までスマホや話し相手に向けていた視線も、こちらへと全部向けられる。



 「.............」



 なるべく気にしないように、俺は自分の席に向かおうとするも、周りからの視線は非常に痛い。不審ふしんな目や奇異きいの目。中には、刺すような視線を送ってくる生徒さえもいる。

 いくら慣れているとはいえ、ここまでさらし者扱いされるとさすがにキツイものがある。



 「———お?かなでじゃねぇか!」



 そんな中ただ1人、俺の姿を見るなり、タタタタッと駆け寄ってくる男子生徒がいた。


 

 「なぁ、なぁ、大丈夫だったか?なんか色々大変だったんだろ?俺、超心配してたんだぜ?」


 「......まぁな。けど、この通りもう大丈夫だ。心配かけたな、てんどう



 そう返すと男子生徒———てんどう りんは「にへへ〜」と人懐ひとなつっこい笑みを浮かべる。


 この外ハネの癖っ毛が特徴的な友人は、落ちこぼれである俺の、この学園で唯一の話し相手だ。こんな最悪な空気の中でも変わらず話しかけてくれ、分けへだてなく接してくれるいいやつ。俺が学園で完全に孤立こりつしないでいられるのは、彼のおかげだ。



 「でさでさ、結局何があったんだよ?イリーナ先生、いくら聞いても教えてくれなくってよ〜」


 「ん?あ、えーと......そうだな......」



 さて、どう答えたものか。


 てんどうが話しかけてくれたおかげで緩和かんわされたとはいえ、それでもクラスメイトたちがずっとこちらをうかがっていることはなんとなく分かる。

 表面上ではなんてことない風をよそおってはいるが、しっかり聞き耳を立てている。下手なことを答えれば、面倒めんどうなことになるのは明らかだ。



 「実は———登校中に〈ハイ•ワイヴァーン〉に襲われて」


 「え!?〈ハイ•ワイヴァーン〉って、あの〈ハイ•ワイヴァーン〉か!?」


 「そうだ。他にどんなのがあんだよ」



 俺がそう答えた途端、ザワザワと、教室内がざわめき始める。

 

 当然だ。ただの学生でしかない、しかもデバイスを使えない俺が、〈ハイ•ワイヴァーン〉相手に生きて帰ってこれたと言うのだ。何も反応するなと言う方が無茶な話だ。


 だがだからこそ、こうなることは予想できる。故に、俺がり出す次の一手も決まっている。



 「———運がよかったのかな。一目散いちもくさんに逃げてたら、上手くけたみたいでさ。気づいたらいなくなってたんだよ」


 「なんだそれ。よく無事に帰ってこれたな」


 「俺もそう思う。ま、途中死にかけて、結局このザマだけどな」

 

  

 と、自重じちょう気味に肩をすくめる俺。

 

 それを聞いたてんどうは「ま、無事でよかったよ」と苦笑してくれるが、

他のクラスメイトたちの反応はまるで違う。


 

 「なんだよ......おどかしやがって」「自分だけ逃げてきたってことだよね?本当最低」「ま、さすがは無能って言ったところか」「期待するだけ無駄無駄」「早く退学すればいいのに」

 

 

 等々などなど、俺に対するクラスメイトの印象は最悪だ。

 

 だが、これは決してクラスメイトたちにがあるわけではない。この学園の生徒で1人逃げ帰って来たとなれば、印象が悪くなるのは当然だ。俺も逆の立場で聞いたなら絶対に同じことを思う。

 無論、真実を話せば、クラスメイトたちも別の感想をいだくと思う。......けど、だからといって、おさげの少女のことを言うわけにもいかないし、俺自身も英雄視えいゆうしされたいわけじゃない。

 


 なら、多少印象が悪くなったとしても、俺は真実を隠すことを選ぶ。どうせデバイスが使えない時点で、あつかいが悪いことには変わりない。結果的に、現状が少し悪化するだけの話だ。



 (だからこれでいい。余計な注目もびなくて済むし、がバレるリスクも減る。......まぁ、てんどうには、ちょっと悪いとは思ってるが......しょうがない。後でなんかおごってやるか)



 なんて呑気のんきなことを考えていた、その時だった。



 「それは違うよ!!!」



 ガタッと、立ち上がった1人の少女が突然大きく声を上げる。

 それに釣られ、俺も含め、その場にいた全員が少女の方へと視線を向ける。



 「......って、げっ、あいつ......」

 

 

 と、視線を向けた俺も思わず声を漏らしてしまう。


 小柄な体躯たいくに、優しげな顔立ち。そして、何よりも印象的なおさげの髪。ずっとどこかで聞いたことあるような声だとは思っていたが案の定だ。


 ———間違いない、あれは今朝のおさげの少女だ。



 「ん〜〜?珍しいな、鏡美かがみがあんな大声出すなんて」


 「鏡美かがみ?」


 「そ。鏡美かがみ 雛子ひなこ、今あそこで立ってるやつ。てか、同じクラスだろ?」


 「あー......」


 「あーって、お前、まさかクラスメイトの顔も覚えてないのか?」

 

 「いや、まぁ......俺、人の顔とか覚えるの苦手でさ......あははは......」



 嘘である。てんどうほどではないにせよ、俺も人並みに記憶力きおくりょくはある。

 ただ彼女、鏡美かがみ 雛子ひなこに関しては、単純に日が浅いのと、関わりがなかったというだけだ。本人自体、あまり目立つタイプでもなさそうだし。

 

 まぁ、まさか同じクラスだとは思わなかったが。



 「どしたん、ひなぴ?急におっきな声出して」


 「え?あ......いや、その......」



 そう鏡美かがみに話しかけてきたのは、近くに座っている派手めの女生徒だ。着崩した制服に、ジャラジャラとしたアクセサリーを身につける、まさしくギャルといった感じの少女だ。


 

 「ひ、人を悪くいうのは......よく、ないよ......!」


 「なんで?」


 「なんでって......だって———」


 「いや、だっても何も、1人で逃げ帰って来たんしょ?マジありえなくない?フツーにダサいし、サイテー」


 「......でも......危ない、し———」


 「危ないのは皆一緒でしょ?そんな中、1人だけ逃げてきたってのがありえないって話っしょ?擁護ようごする意味なくない?」


 「いや......でも———」


 「だいたい、なんでひなぴはさっきからアイツの味方なん?あんなやつの味方するとか優しすぎっしょ。天使なん?それともラブなん?」


 「それ、は———」


 「ラブなん?そうなん?やっぱり?あー、ひなぴ男見る目ないからな〜。しゃあない、今度うちが紹介してやるよ!」


 「だから......話を———」


 「んもぉ!ひなぴは可愛いなぁ!!こんな可愛い子をあんなクソ無能に渡すくらいなら、いっそうちが貰ってやるっての!一生守ってやるからな!!大好きだぞ!!!」

 

 「......あぅぅ」



 

 弱っ。

 

 〈ハイ•ワイヴァーン〉に1人で立ち向かっていった勇気はどこへやら、ギャル特有マシンガントークにあっさり撃沈げきちんする鏡美かがみ。目立たないタイプだとは思っていたが、やはり自己主張は苦手らしい。


 いや、まぁ、本来の目的を考えるのであれば負けてくれた方がいいのだが......。

 その......なんというか......ほら、なんか......ね?

 せっかく擁護ようごしてくれるなら、もうちょっと頑張ってほしいと思っちゃうじゃん。俺だって人間だもん。傷つかないわけじゃないもん。



 「......お前、鏡美かがみとなんかあったのか?謝るなら早い方がいいぞ?」


 「なんで何かやった前提なんだよ。何もあるわけないだろ」


 「本当か〜???」


 「......ねぇよ。大体名前も覚えてない相手と何があるんだよ」



 それを聞いたてんどうはジト目で、「まっ、そういうことにしといてやるよ」と話を切り上げてくれる。思いっきりうたがいが顔には出てるが、それを口にしないところが彼の良いところだ。よく『持つべきものは良き友人だ』と言うが、それはこういうやつをしているのかもしれない。


 ......ま、そんな友人に嘘をかさがさねつく俺は、あのギャルの言うように最低な人間なんだろうけど。



 (と、今はそれよりも———)



 今俺が考えるべきことは鏡美かがみ 雛子ひなこのことだ。

 彼女が今朝のことをどう思っているかは不明だが、さっきのようなことをされるのはこちらにとって不都合でしかない。無論、彼女に悪意があるとは到底とうてい思えないが、かといって注目をびるリスクがある以上、放置しておくというわけにもいかない。



 (......一度話をしておいた方がいいかもしれないな)



 かなり危険な行為だとは思うが、連絡先とかを知らない以上、方法はこれしかない。後でよくさくを考えておく必要があるだろう。



 

 「は〜い、皆さん。席についてくださいまし。授業を始めますわ〜」


 

 と今後のことを考えていると、元気のいい声とともに教室の扉が開かれ、1人の女性教師が入ってくる。

 

 ———もうそんな時間か。色々ドタバタしていて全く気づかなかったが、時計の針もちょうど昼休みの終了を示していた。


 生徒たちも各々おのおの自分の席へと戻っていき、騒がしかった教室内も、あっという間に授業の空気へと変わっていく。


 女性教師も教壇に立ち、満足げに生徒を見回す。



 「はい、それでは早速始めて———あら?」



 女性教師は俺のところで視線を止めると、こちらへと少し歩み出る。



 「あら、君。ごきげんよう。いつの間に来ていらしたのね。体調は大丈夫なんですの?」


 「ああ、はい、普通に生活する分には。ご心配おかけしました」


 「いえいえ、問題ございませんわ。どちらにせよ、午後は実戦じっせん科目ですし。ただし、くれぐれも無理は禁物きんもつですわ。その時は遠慮なくおっしゃっってくださいまし」


 「はい。ありがとうございます、イリーナ先生」



 そう俺が答えると、女性教師———イリーナ先生ははなのような笑顔を浮かべ、教壇へと戻っていく。



 イリーナ•ヘルシエル。この〈せいれいがくえんの教師にして、俺たちの担任だ。



 流れるような水色の髪に、恐ろしく整った美貌びぼう。モデルのような長身に、りんとした佇まい。大きく開かれた胸元も相まって、まさに大人のレディといったような雰囲気の女性だ。

 先程の五月雨さみだれ先生とは違い、こちらは完全無欠の美人といった感じで、男子たちからの人気も非常に高い。俺たちと同じ時期に新任してきたというのに、今や学園のマドンナとなっているとんでもない人物である。



 「———それでは改めて、授業を始めますわ。まずは、前回の復習ですの」



 そう言ったイリーナ先生は胸元からデバイスを取り出して操作すると、黒板へテキスト文章を映し出す。



 「皆様のご存知の通り、20年前に世界は大きく変わってしまいましたわ。〈大災厄〉......“大罪人”はくろう てんじゃによって引き起こされた、あの忌々いまいましい事件によって......」


 

 イリーナ先生がその単語を口にした途端、教室内に重苦しい空気が広がっていく。


  〈大災厄〉


 おそらく、この世界に生きているならば、知らない者はいないであろう忌々いまいましき事件の名称。世界を変えるきっかけとなり、おびただしい数の犠牲者ぎせいしゃを出したとされる、人類史上最悪とされる出来事だ。


 

 「“大罪人”が、異なる世界同士を繋げるというバカげたことをした結果、人間の世界は〈異世界よりの来訪者〉たちで溢れることとなりました。力無い人々は恐怖に怯え、日に日に犠牲者も増えていく一方ですわ。

 幸いにも、それを引き起こしたはくろう てんじゃは倒されはしましたが、それでも人類に対する被害は減りません」


「「「「............」」」」


 

 この事件が最悪と言われる理由は大きく2つ。

 

 一つは規模きぼすさまじさと、もう一つはそれがたった1人の人間によって引き起こされたという点だ。


 これほどのことをたった1人で成し遂げたという事実は、人類に対して大きく圧迫をかける。また、その元凶を取り除けたとしても、溢れ出した〈異世界よりの来訪者〉たちが帰ってくれるわけではない。イリーナ先生の言う通り、日に日に力無い人々が蹂躙じゅうりんされているのが現状だ。



 「———でも、そこで立ち上がった者たちこそが、あなた方の目指す召繋師リンカー———人類の希望ですわ」


 「「「「............!」」」」

 


 イリーナ先生は教壇へ身を乗り出し、声高々こえたかだかに語る。

 


 「〈異世界よりの来訪者〉たちは確かに強力です。普通の武力なんかでは、到底とうてい太刀たちちできません。そんな彼らに対抗できる唯一の手段を、あなた方はお持ちなのですわ」



 イリーナ先生は再び黒板の方へ体を向け、胸元から取り出した(一体いくつ入っているのだろうか)レーザーポインターでテキストをす。



 「〈異世界よりの来訪者〉たちは、この世界にやって来た時点で力が半減はんげんされます。当然ですわ。人間だって、環境が変われば大なり小なり影響を受けますもの。それと同じことですわ。

 ただ、半減されるとは言ったって、強力であることには変わりません。少なくとも、生身の人間が勝利することなんて不可能ですわ」



 俺は1人、今朝の〈ハイ•ワイヴァーン〉のことを思い浮かべる。

 

 実を言うと、奴はあれでも力が制限されていたのだ。信じられないかもしれないが、あの怪物の本来の力はあんなものではない。その時点で〈異世界よりの来訪者〉たちが、どれほど強力な力を有しているのか、考えるだけでゾッとする。

 しかも、奴より強力な怪物だって何種類も確認されている。普通に考えれば人類に未来はない。なすすべなく蹂躙じゅうりんされていって、それで終わりだ。


 ———だが、



 「だけど、もしその強力な力を人類が手にしたら?もしも、〈異世界よりの来訪者〉たちが人間の味方をしてくれたなら?そんな空想くうそうを実現してしまう者こそが、召繋師リンカーなのですわ」



 そう。


 ———召繋師リンカーたちの持つ特別な力。


 それは、というものだ。



 「〈異世界よりの来訪者〉にも様々な種類がいます。動物のようなものや、ドラゴンのような怪物。はたまた、言葉を発することができるものや、ワタクシたち人間とほぼほぼ変わらないようなものまで、たくさんの種類が存在しておりますわ。

 もちろん、人間に害意がいいを持ったものや、被害をもたらすものもおりますわ。特に、怪物系統かつ言葉を発せないタイプは、ほぼほぼ意思いし

疎通そつうは不可能と思った方がいいですわ」



 いくら召繋師リンカーの力が特別と言えども、万能というわけじゃない。


 あくまで、彼らと絆を結ぶ力である以上、意思疎通いしそつうができない相手との契約は不可能だ。例を挙げるのであれば、今朝の〈ハイ•ワイヴァーン〉みたいなタイプ。普通に考えて、あんなのと絆なんて結べるわけがない。



 「しかし、中には人間に好意を持ってくれているものたちも存在しますわ。そんなものたちと絆を結び、契約し、パートナーとする。それこそがワタクシたち、召繋師リンカーの使命ですの」



 「そ•こ•で」と、イリーナ先生は目つきを少し鋭くし(といっても、元々が優しげな目つきだからあまり迫力はなかったが)、改めて俺たちの方へ視線を向ける。



 「ここからが重要ですわ。


 召繋師リンカーと絆を結び、契約した〈異世界よりの来訪者〉は、その召繋師リンカーの契約サーバントとなります。

 

 そして、そのサーバントは、



 「ゴクリ......」と、クラスメイトたちの息を呑む音が聞こえてくる。

 

 召繋師リンカーが特別やら希望やらと言われる所以ゆえん。それこそが、契約サーバントの力の制限の解除、という部分にある。


 無論、これには召繋師リンカーの技量や、相手との相性も関係してくる。一時的な制限解除ならばほとんどの召繋師リンカーはできるだろうが、それだって持続時間は少ない。ましてや常時発動など、熟練や天才でもない限り不可能だ。


 ———だがそれでも、一時的にでも力の制限を解除できるというのは、非常に大きなアドバンテージとなる。

 〈異世界よりの来訪者〉に対抗できるのは、同じ〈異世界よりの来訪者〉。そして、その力を使役し、最大限発揮させられる召繋師リンカーこそが、この世界の絶対の抑止力よくしりょくになっている———というわけなのだ。

 


 「召繋師リンカーの素質を持つ人間は限られます。ご存知の通り、この力は非常に危険な力です。一歩でも間違えれば、〈異世界よりの来訪者〉以上の被害を、ワタクシたち自身がもたらすことになりますわ。


 ......だからこそ、ワタクシたちはこの力を正しく使う必要があります。そのためのすべを皆様には学んで頂きますわ」



 イリーナ先生は教室内をぐるりと見回し、とてつもなく美しい、はなのような笑顔を浮かべ。

 


 「ここからは、皆様が待ちに待った実戦ですわ。優秀な召繋師リンカー目指し、頑張ってくださいまし。ワタクシも、全力でサポートいたしますので♪」


 

 ———かくして、俺たち召繋師リンカー見習い初の実戦じっせん形式授業が、幕を開けたのであった。

 


 

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