第2章 悪夢

 ♢

 

 「あぁ、そうさ......君は利用されていただけだ。......初めから——ね」



 酸素濃度さんそのうどが薄くなるほどに燃え盛る炎の中、とても不快な、そして何よりも嫌いな男の声が耳朶じだを打つ。



 「さて。今君は改めて真実を知ったわけだけど———その感想を聞かせてもらえるかな?」



 何もできない俺を嘲笑あざわらうかのごとく、男はその表情を愉悦ゆえつに歪める。まるで、好奇心こうきしんに染まった幼子おさなごかのように。



 「今君が感じているものは、今後の参考資料として大変興味深い。個人的にもね。 

 そうだね————あえて名前をつけるのであれば......『愛』、かな?

 ......ククク、素晴らしい。実に素晴らしい衝動しょうどうだ!君と過ごした時間も無駄ではなかったようで、僕も安心したよ」



 色素の薄い髪を揺らし、何がおかしいのか、男はどこまでも可笑おかしそうにわらう。よほどこらえきれないのか、目端には涙すら浮かべていた。


 どこまでも不遜ふそんで、人の尊厳そんげんなんて微塵みじんも視野に入れていない。どこまでも醜悪しゅうあくで、どこまでも身勝手。

  

 ......俺たち家族を傷つける、ヒトの形をしているだけの、この世にいてはいけない存在。それこそが、今目の前にいる男だ。

 


 「———それにしても、全然答えてくれないね?いい加減、そろそろ話してくれてもいいと思うんだけどね。

 .......うーん、壊れちゃったのかなぁ?

 ———あ、もしかして、遠慮しているのかい?

 ハハっ、そんなことする必要なんてないのに。他の誰でもない、僕と君の仲じゃないか。......そう、僕たちは『愛』でむすばれているんだ。まぁ、今だけの話ではあるけれど———まだ、終わったわけでもないからね。互いを愛する者同士、何もかも、その全てを知っていなくてはいけないだろう?」



 そう一方的に言い放つと、男は今なお目の前で泣きくずれている俺のの髪を強引に掴み上げる。


 

 ———やめろ......!その人に触るな!!


 

 心のままに叫び、必死に手を伸ばす。

しかし想いは届かず、その手もむなしくちゅうを切る。


 それでも必死に足掻あがき、手を伸ばし続ける。伸ばして、伸ばして、伸ばし続ける。今あの人を救えるのは自分しかいない。それを分かっているからこそ、俺は必死に足掻き、足掻いて、足掻いて、足掻き続け———



 ドスン、という鈍い衝撃とともに、俺の意識は覚醒かくせいした。


 




 ♢


 「............?夢.......か?」



 ぼんやりとした感覚が薄れてきて、段々と視界が良好になっていく。

 

 視線の先には見慣れない天井。気がつくと、俺は仰向けの状態で、右手を上に伸ばしているような格好になっていた。

 白いベッドシーツが視界の両端に見え、真横にはベッドの足がある。ベッドとベッドの間?ということなのだろうか。腰のあたりや肩の部分には包帯が巻かれており、体の自由が制限されていた。

 未だ残り続ける微睡まどろみを振り払い、俺は必死に記憶を辿る。

 


 「.......そうか。俺、あの時気を失って」



 数分の時を得て、ようやく思い出す。

 

 そうだ。俺は今朝、あの少女を〈ハイ•ワイヴァーン〉から助けるために、決して軽くはないケガを負ったのだ。そして、謎の男が奴を倒し、

その後俺は———



 ということは、ここは病院なのだろうか?

にしては、なんか部屋の作りに違和感を感じるが......まぁ、この際そこまで気にすることではない。きっと誰かがここまで運んでくれて、処置を行ってくれたのだろう。まだ腰のあたりが痛むが、全く動けない状態というわけでもなかった。


 だが、



 「......っ......!久々に見たな、あの夢。今朝のことで影響されたのか?」



 ———体の方はとりあえず問題ないが、気分の方は最悪だった。一旦体を起こし、俺は荒い仕草で額に浮かぶ嫌な汗を振り払う。


 ......虚しく空を切る感覚。『お前は何もできない』と突きつけられる現実。脳裏に次々と浮かぶ感覚があまりにも生々しすぎて、俺は必死に目をそむけようとする。するのだが———



 「ッ.......!やめろ......!!やめろ!!やめろ!!!やめろ!!!!出て、くるな......!!

俺の中から消えろ.......ッ!!!!!」



 一度脳裏に出てくると、ソレはそう簡単に俺を解放してはくれなかった。

 

 焦げ臭い匂い。脳裏に何度も響く不快な声。何一つできない無力感。地面に流れていくあの人の涙。

 

 次々と、次々と、未だ忘れることのできない記憶の断片たちが、実体を得て俺に襲いかかってくる。

 

 血がにじむほど握りしめた拳。泣き続ける家族たち。忘れることのない後悔。日を得るごとに肥大化していく憎悪ぞうお。.......そして、むにゅん、とした温かく柔らかな感触。



 ......って、ん?むにゅん?


 突如思考の中に割り込んできた闖入物ちんにゅうぶつによって、俺の思考は強制的に中断させられる。


 

 「......???

 って、うぉわぁぁぁぁぁ!!!???」

 

 

 に気づいた途端、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう俺。

 飛び起きるように慌てて立ち上がり、改めて先程までいた場所をまじまじと見つめてしまう。



 端的に言うと、そこには白衣を着た女性が横たわっていた。年齢は20代前半くらいだろうか?意識があるのかは———ここからでは分からない。......というか、色んな意味で怖くてのぞきになんて行けない。


 

 「?????どういうこと......?というか誰?」



 そこにいるということは、さっきまで俺の下にいたのだろうか?というか、そもそもどこの誰なのか?どこまでも意味がわからない状況に、俺の頭の中ははてなマークでいっぱいだ。

 

 ......いや、落ちつけ。こういう時こそ一度冷静になるべきではないだろうか?よし、一旦いったんこれまでの状況を整理するとしよう。

 

 

 ———まず、俺は今朝の戦いで気を失ってしまい、おそらくここへ運び込まれた。で、目を覚ますとなぜかベッドとベッドの間にいた。そして、理由は分からないが、俺の下には謎の白衣の女性がいた。あの場を離れるまでずっと。となるとあの柔らかな感触は......うん、やめよう。この話はここで終わり。この時点で意味が分からないし、なんかこれ以上考えるのは危険な気もするし。



 と、俺が脳内で全力の現実逃避をしていた、その時だった。



 「..................!!」


 

 突如、ゆらり、と。横たわっていた白衣の女性が起き上がる。



 「え......?え?」



 突然の出来事に唖然とした声を漏らす俺。先程まで———というか俺が上にいる時ピクリともしなかったはずの女性は、なぜか突然、しかも嫌にゆっくりとした仕草でその場に立ち上がっていく。


 まず左手を脇にあるベッドに、その後は右手をベッドに、ゆっくり、ゆっくりと、体を徐々に起こしていく。

 


 (いや何!?何事!?怖い怖い怖い怖い、怖いんだけど!!)



 その仕草は、なんというか......かの有名なホラー映画に出てくる女幽霊のような、墓場からよみがるゾンビのような、なんとも不気味で、ただただ恐怖をそそられるようなシチュエーションだった。


 内心パニックになりながらも、俺は何とか状況を分析しようとする。この状況は一体なんなのか、なぜ自分がこんな目に合っているのか、そもそもこの女性は本当に人間なのか。


 様々な思考が頭の中をグルグルと回り続けるが、結局恐怖のほうがまさってしまい、結論は全くまとまらない。

 

 いや、全然分析できてねぇじゃねぇか!!とか自分自身にツッコミを入れている間にも、女性は嫌にゆったりとした動きでこちらへと近づいてくる。......って、え?いつの間にこっち向かって来てたの?というか、なんでさっきからそんなに動きがゆっくりなの!?


 ......ってダメだダメだ、冷静になれ冷静に。今考えるべきはそこじゃない。そうだ。授業でも言っていたじゃないか、物事は客観的に見るのが大事だと。 俺は改めて、状況を一から整理する。


 ......白衣の女性、病院のような部屋、ゾンビのようなゆったりとした動き———



「......あ!そうか、もしかして———」



 ようやくひらめいた一筋の光に、俺はその場で叫びを上げる。



 「“ゾンビ教師” 五月雨さみだれ 睡蓮すいれん!!」



 ———五月雨さみだれ 睡蓮すいれん。それは、我が〈せいれいがくえん〉における、保健医の名だ。


 非常に腕利うでききの実力者であり、どんな病気やケガでもたちまちに治してしまう“神の腕”を持つとされている女性。数々の功績こうせきたたえられており、噂では、難病なんびょうわずらっていてほとんど登校できなかった生徒を、皆勤賞かいきんしょうの常連にしてしまったとかなんとか。

 

 そうだ。よくよく見てみると、ここは病院じゃなくて学園の保健室だ。入学当初の学園の案内でうっすらと見覚えがある。

 

 その時五月雨さみだれ先生は不在だったため、俺も実際に会うのは今日が初めてなのだが、彼女の噂は有名だ。ここの生徒で、噂を知らない者はおそらくいない。じゃなきゃ、俺だって気づくことはできなかっただろう。

 

 ......ん?確かにすごい逸話いつわではあるが、それだけでここまで有名になってしまうものなのかって?

 ......それは、彼女にまつわる噂の続きを聞けばよく分かる。



 ———美しいうすむらさき色の髪。長い前髪が邪魔しているためハッキリは見えないが、それでも分かるよく整った顔立ち。スラっと伸びる長い手足に、まるで現役のモデルを連想させるような長身。美人という要素を集めて固めたような、まさに『白衣の天使』という表現がよく似合う、全男子憧れの魅力的な大人の女性。



 ......とまぁ、ここまでなら良かった。良かったのだが、現実というのはそううまくはいかない。



 「..................」



 色合いは美しいのだが、伸び切っており、所々ボサボサの髪。せっかく顔立ちは整っているのに、チラリと見える目元にはハッキリとしたくま。アイロンをかけてないのか、白衣の下に着ているシャツはよれよれ。そして、せっかくの長身を台無しにしている猫背ねこぜ



 パーツだけなら『白衣の天使』、しかしその実態は『残念美人』。一体何を考えているのやら、覇気はきのない無表情で、校舎内をふらふらと彷徨さまようその姿から、“ゾンビ教師”なんて不名誉ふめいよなあだ名で呼ばれる、学園屈指の変人。


 ———そう。それこそが、今目の前で対峙たいじしている保健医。“ゾンビ教師”こと五月雨さみだれ 睡蓮すいれんなのである。



 「............」


 「............」



 沈黙ちんもく。結局、あれから五月雨さみだれ先生は、なぜかある程度進んだ位置から一歩も動いていない。その表情も噂通り覇気はきが無くボーっとしており、全くと言っていいほど意図がつかめない。

 

 結果的に、俺と五月雨さみだれ先生の間には奇妙な時間が流れ始めてしまうのであった。



 (うーん......どうすればいいんだろうか)



 正体が判明はんめいした以上、先程までの恐怖はないが、これはこれで非常に気まずい。さすがに悪人ということはないのだろうが、それでも変人であることは間違いない。しかも学園の誰しもが認める、れっきとした変人。初対面でいきなり対処できるわけがない。


 実際さっきから、



 「えっと......五月雨さみだれ先生———で、いいんですよね?」


 「........................」


 「これやってくれたの先生ですよね?ありがとうございます」


 「..............................」


 「それはそうと、さっきはなんであんなところに?ごめんなさい、俺気づかなくて......重くなかったですか?」


「......................................................」


 「あの......先生?聞こえてます?......もしもーし?大丈夫ですか?」


「...............................................................」



 ......とまぁ、こんな感じでなのである。

何を言っても微動だにせず、その場でぽけーっとしており、全くコミュニケーションが成り立たない。

 


 (ねぇ、これどうしろと?どうするのが正解なの?ねぇ、誰か教えてよ、ねぇ?)



 助けを求めて心の中で懇願こんがんしようとも、当然だがそれに答えてくれる者はいない。正直俺は自分の力不足(?)に、内心泣きそうにさえなっていた。


 と、なかば諦めかけていた、次の瞬間だった。


 


 「............................ぶ.......」


 「?今、なんか———」


 「...................ょ.........ぶ.......」


 

 の鳴くような、それこそその気にならなければ聞こえないかのような音量。けれども確かに、一瞬声のようなものが耳に入る。


 もしやと思い、前方に少し顔を近づいてみると、



 「.......だ......い............じょ.......う.......ぶ.......」


 「だ、い、じょ、う、ぶ......大丈夫?今『大丈夫』って言った!?」


 「............」



 間違いなく、間違いなく声だった。非常に辿々たどたどしい、けれども綺麗な女性の声。聞き間違いなどでは決してない。なぜか聞き返したら黙ってしまったが、今確かに言葉を発したのだ。あの変人、五月雨さみだれ 睡蓮すいれんがだ。



 「———先生、頷くとかだけでいいから答えてください。今、『大丈夫』って言いましたよね?」


 「.................................(こくり)」


 「......!そうですか!」



 俺の問いかけに対し、とてつもないスローペースで頷く五月雨さみだれ先生。

 

 非常にぎこちない感じにはなってしまったが、ついに、ついにコミュニケーションが成立した!あの変人五月雨さみだれ 睡蓮すいれんと!嬉しさのあまり、俺は思わずその場で小さくガッツポーズを取ってしまう。


 


 そう。側から見たら、俺のやっていることは、バカらしいことかもしれない。

 .......というか俺自身もそう思ってる、うん。


 ———それでも、これは俺にとって大きな前進であることには変わりない。意思疎通いしそつうができないとされる相手と、コミュニケーションを取ることができたのだ。誰がなんと言おうと、これは俺の進歩しんぽだ。


 


 しかしここで一つ、俺の中で新たな疑問が生まれる。



 「......って、ん?『大丈夫』って、先生何が『大丈夫』なんですか?」


 「..............」


 「あ!ゆっくりでいいですからね。俺、ちゃんと最後まで聞いているんで」


 「.................................(こくり)」



 少しだけ驚いたような様子で、またもや、超絶ちょうぜつスローペースで頷く五月雨さみだれ先生。


 動きが全てゆっくりではあるが、反応を返してくれるあたり、相手の話をちゃんと聞いているようだ。もしかしたら、今までもこちらが分からなかっただけで、全部返事をしてくれていたのだろうか?

 

 だとしたら、悪いことをしてしまった。あろうことか、噂と見た目だけで相手を勝手に決めつけて、自分の方から遠ざけてしまったのだ。これは大いに反省すべき点だ。



 「.................上............」


 「『上』.......?あ、もしかして俺が先生の上に乗っちゃってたことですか?そのことに対する『大丈夫』」

 

 「.................................(こくり)」



 

 ようやく全ての合点がいき、俺は心底納得する。さっきのことは気にしなくていいと、五月雨さみだれ先生がずっと伝えたかったことはこれだったのだ。

 

 変人変人と皆は言うが根は善人のようだし、ちゃんと時間をかければちゃんとコミュニケーションだって成立する。やはり噂なんてものは当てにならない。全部鵜呑うのみにしてはいけないのだ。

 ......まぁ、変人であるのは事実だったんだけど。

 

 

 ———その後も時間をかけながら、俺は一つ一つ話を聞いていった。これによって、ようやく全ての謎が解明することに成功する。

 

 要約すると、ブロンドの男が気を失っている俺をここまで連れてきてベッドに寝かせる。その後、五月雨さみだれ先生が手当てをしてくれ、つきっきりで様子を見てくれていた。が、例の悪夢でうなされてしまい、俺はベッドから落ちそうになってしまう。異変いへんに気づいた五月雨さみだれ先生が急いで(と言ってもめちゃくちゃゆっくりなのだろうが)その場に駆けつけるも、支えきれずそのまま巻き込まれる。


 結果、五月雨さみだれ先生は俺の下敷きになってしまい、あの奇妙な状況が完成していた、ということだったのだ。



 「そうだったんですね......本当、何から何まですいません」


 「...................いい............気にして.......ない............それ............より.......も.............」



 そう言うと、五月雨さみだれ先生は近くのベッドに腰をかけ、改めて俺の方へと顔を向ける。



 「................だ.......だいじょう............ぶ..............?.............うなされてた......し

..........顔色.................良くない.............」


  「え?あっ......そうか、俺......」



 表情は相変わらず変わってないが、心底心配そうな様子でたずねてくる五月雨さみだれ先生。

 

 顔色......に関しては鏡がないからよく分からないが、ずっと俺の下にいたということは、おそらく寝起きの時のあれも聞かれていたことだろう。心配されるのも当然だ。



 「............悩み.............ある......なら.............

話......聞く.............よ.............?」


 「............」


 

ずっと言いよどんでいる俺に、辿々たどたどしくも優しげな気遣きづかいをかけてくれる五月雨さみだれ先生。心配そうな灰色の瞳が、俺の顔をじっと覗き込んでいた。


 ———先生の心遣こころづかいは本当に嬉しく、喜ぶべきものなんだろう。


 だけど俺は———



 「————ありがとうございます、先生。

......だけど、俺は大丈夫です。ちょっと———


 

 ヘラヘラとした笑みで、俺はやんわりと先生を拒絶きょぜつする。

 

 まだあのことを、誰かに話すわけにはいかない。

 心底心苦しくはあるが、真実を話すわけにはいかないのだ。



 何も言わずにずっと聞いてくれていた先生は、「...................そう............」とだけ短く相槌あいずちを打つ。どこか、少し寂しそうな様子で。


 ......これでいい、これでいいんだ。これは俺と、そして家族の問題だ。他人を巻き込むわけにはいかない。それが俺の絶対のポリシーであり、決意なんだ。


 ————と、思っていたのだが、



 「わぷっ!?」



 ふわり、と、甘い香りが鼻腔びこうをくすぐり、全身が温かく柔らかな感触に包まれる。俺が先生の胸に抱かれたことを認識したのは、それから少し時間が経ってからだった。



 「ちょっ......五月雨さみだれ先生!?

何してんですか......!?」


 「..................よし......よし...........」


 「いや、よしよしって!?俺もう子供じゃないんですよ!」



 必死に抵抗し続ける俺を、なおも優しげな手つきででてくる五月雨さみだれ先生。

 スキンケアを意識しているタイプには見えないのだが、頭を触れられるたびにふわりとした甘い香りがただよってきて、柔らかさやらなんやらとごちゃ混ぜになって襲いかかってくる。無論、女性経験ゼロの俺の意識は、この時点ですでにオーバーヒート気味だ。


 まぁ、幸い力はそんなに強くなかったため、俺はその拘束こうそくからあっさりと抜け出すことができたのだが、なんというか、精神的にドッと疲れてしまう。



 「ッ!はぁ、はぁ......い、いきなり何するんですか!?」


 「.............?..................男の子

......って..................ああ......すると............喜......ぶ..................でしょ..................?」


 「いや、違———くはないけど、誤解ごかいです!一体どこ情報ですか、それは」


 「...................学校......の...................先輩............」


 「なんてこと吹き込んでんだ、おい!」



 俺の反応を見て、未だきょとんとした(ように見える)顔をしている五月雨さみだれ先生。先生の様子を見る限り、どうやらその先輩とやらの言葉を本気で信じているようだった。

 一体どこの誰だかは知らないが、とんでもないことを吹き込んでくれたものだ。まぁ、それを素直に信じてしまうのもどうかとは思うが、タチの悪いイタズラであることには変わりない。

 

 ......というか、まさか他の男子にも同じようなことをしてるわけではないだろうな?あんな与太話よたばなし有言実行ゆうげんじっこうに移してしまうあたり、ちょっと心配になってくる。他にも何か吹き込まれてるような気もするし、これは今のうちに色々教えてあげた方がいいのではなかろうか。



 「全く......いいですか?今後ああいうことは絶対、軽々かるがるしくやっちゃダメですからね。———それと、今後先輩って人の言葉を全部鵜呑うのみにしちゃいけませんからね。分かりました?」


 「....................分かった.....................気を.......つけ......る............」

 


 俺がそう言うと、五月雨さみだれ先生は素直に了承りょうしょうを示す。二つ返事で済ましてしまうあたり、やはり人の言葉をすぐ信じ込んでしまう性格のようだ。

 無論、いいことではあるのだろう。あるのだが......いくらなんでもちょっと度が過ぎる。将来悪いやつに騙されないといいんだが......今回みたいに。



 「..................でも............何......か............ある......なら..........1人で......抱え込んじゃ............ダメ..........それだけは......守って............」


 「......分かりました。善処ぜんしょします」


 「.............ん..................約......束.............」

 

 

 と、俺の返答に満足したのか、相変わらずゆっくりした動きで、ふらふらと自分の机の方に戻っていく五月雨さみだれ先生。おそらく、自分の業務に戻るつもりなのだろう。元々仕事の途中だったのか、机には開きっぱなしになっている書類が散乱しているのが見える。


 

 (やれやれ......ま、そろそろ俺も、おいとまするとするか)



 肩を軽く回してみると、包帯が邪魔ではあるが、特に問題なく動く。腰の辺りに痛みがまだ残っているため、激しい運動をすることはできないだろうが、普通に生活する分には支障ししょうは無さそうだ。


 潮時しおどきだな。これ以上五月雨さみだれ先生に迷惑をかけるわけにもいかないし、自分の教室に戻るべき時なのだろう。


 ......というか、色々ありすぎて逆に疲れた。ここにいるよりも、素直に授業を受けていた方が気も休まることだろう。





 (でも———)



 ———でもいつの間にか、俺を飲み込もうとしていた、あの暗い衝動しょうどうはどこにもなく、綺麗さっぱりに消えていた。


 それが先生の優しさのおかげなのか、はたまた単にドタバタしてて忘れただけなのか、今の俺には分からない。


 それでも、あんな悪夢を見ていたとは思えない、どこか晴れやかな気持ちで俺は保健室を後にするのであった。

 

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