世の中の不思議の99パーセントは、単なる情報不足から来る誤解が原因

沙崎あやし

世の中の不思議の99パーセントは、単なる情報不足から来る誤解が原因

 ——数日前のことである。


 高校生限定の絵画コンクール、その受賞作発表会での出来事だった。銅賞で三作品、銀賞で二作品が受賞し、その都度疎らな拍手が贈られる。所詮は高校生の作品だ。それほど見るべきところのない、退屈な発表会だ。


 しかし。金賞の発表された時、ちょっとだけ場内がどよめいた。その油絵は、月光の下で輝く壺の絵だった。その壺はまるで二組の蛇が絡み合う様な形状で、なんというかとても艶めかしさを感じさせた。


 ボクは別に絵の専門家ではないが、ちょっと目を奪われた。たぶん技術的にはまだまだ稚拙なのだろう。だがなんというか、情熱を感じた。その絵の向こうに、画家の情熱が見える様だったのだ。


 描いたのは同じ清瀬高校の二年生、高梨純子だった。彼女は制服姿で壇上に現れた。すらりと長い脚で自分の絵の前に立った。そしてしばし自分の絵を眺めた後——事件は起こった。


「——あたし、受賞を辞退します。この作品、盗作なので」


 爽やかな笑顔で彼女はそう宣言した。事件は続く。その彼女の前に、一人の女子学生が駆けてきた。同じ制服——清瀬高校の二年、箱崎里桜(りお)。銀賞の受賞者の一人だ。


 里桜は純子の前に立つ。里桜の顔は真っ赤で、涙すら浮かべていた。そして係員が制止する間もなく、里桜は純子の頬をはたいた。つまりビンタした。


 会場が一瞬静かになる。


「……あんた、いい加減にしなさいよッ」


 里桜は噛み殺すような勢いで純子に告げた。純子は叩かれた頬を庇いもしないまま、じっと里桜を見つめていた。その瞳は、ちょっと笑っていた様にも見えた。


 授賞式はそのまま、なし崩し的に終了した。後日発表されたところに寄れば、純子の金賞受賞はなかったことになり、銀賞だった里桜の作品が金賞として発表された。


 ——以上が、事件のあらましである。



 —— ※ —— ※ ——



「……え? それでおしまい? それのどこが事件なんだい?」


 ボクが語り終えると、キトラは素っ頓狂な声を声を上げた。


 綺麗なソプラノボイス。整った目鼻立ち、短く艶やかな黒髪。あと身長が十センチ高ければ、有名な歌劇団で男役のトップを張れるだろう。そんな中性的な美少年が、流離川(さすらいがわ)キトラという女である。


 ——放課後。空き教室で二人きりのボクは、キトラに根気よく説明する。


「受賞作が盗作で、女の子が別の女の子を引っ叩いた。これは事件だよ」

「盗作なんてネットの海に漕ぎ出せば無数にあるし、女の子同士の喧嘩も日常茶飯事だ。そんなのにいちいち対応していたら、世の名探偵は全員過労死してしまう」

「一つ一つはありきたりでも、二つ同時に発生したのだから、これは事件だと思うんだよ」

「そうかなあ」


 キトラは納得しない様子で、その長い脚を組み替える。ちなみにズボン——キトラはいつも通りの、男子用の制服を着ている。清瀬高校に指定制服はあるが、男子が男子用、女子が女子用を着用すべしという規則はない。だから一定数、男装の女子生徒が存在する。逆は存在しないのだから不思議なものだ。


 なおボクは、今後一切女装はしないと決めている。中学生時代、学園祭の催し物で女装喫茶をやった。そして男からラブレターを貰った。あの恐怖は一生忘れないだろう。


「高梨が金賞を辞退した理由は察しがつく」

「え、どんな?」

「高梨と箱崎は同じ美術部だが、箱崎の方が上だ。だから譲ったんだろ」

「上って」

「スクールカースト」

「……ああ」


 そういえばそんなものが我が校にもあったなあ。なるほど、カースト序列に合った功績でないと、いろいろと問題が出るってワケか。


「でもさ、それって逆に箱崎からしたら屈辱的でない? 下のヤツに金賞譲られるっていうのは」

「だから引っ叩いたんだろ。まあ下だと思っていたヤツに噛みつかれたってワケだ」

「はー……」


 なるほど。それだと一通り説明はつくのかな? ボクは納得しかけるが、念の為頭の中でぶつぶつと再考する。


 その様子をちょっと呆れ顔でキトラが見ている。


「しかし、なんでそんなコト気になるのかね? お前、箱崎や高梨とは別に仲良いわけじゃないだろ?」

「え? だって何か問題があったら解決しておかないと。あとあと自分に降りかかったら嫌じゃん。火種は小さい時に消すに限るよ?」


 ボクは首を傾げる。例えばだ、もし不審火があったら、それが自宅の隣の区画であっても普通は消すだろう? 自宅まで延焼するかも知れないし。それと同じだ。例え縁遠い世界の出来事でも、もしかしたら自分に災いとなって降りかかるかもしれない。だからボクは極力首を突っ込むのだ。


「相変わらず面倒な性格してるね。ま、そこが可愛いところだけど」


 キトラがにまにまと気持ち悪い笑みを浮かべている。分かっている。きっとキトラの中では、ボクは愛玩動物扱いなのだろう。なにせ契約彼氏だからな。


『愛してはいないが、婚姻届を出せば法律上は夫婦となる。私は、恋人にそういう制度が無いのは法律制度上の欠陥だと思っている。なので私と一緒に婚姻届ならぬ恋愛届を出そう』


 未だにキトラが何を考えてそんなことをしたのか、ボクには分かっていない。まあ楽しいからいいんだけど。ボクは、ボクに友好的な存在には寛容なのだ。


「大体納得したけど、盗作宣言はどうなるんだい?」

「さてね、そこまでは何とも。単純に、金賞を辞退する為の方便か何かじゃないのか?」

「……ふーむ」

「まあそこまで気になるのなら、直接確認すればいいじゃないか」

「直接?」

「そうさ、高梨に聞けばいい。大体な、世の中の不思議の99パーセントは、単なる情報不足から来る誤解が原因さ。誤解が解けてしまえば、別に不思議でも何でも無いのさ」

「残り1パーセントは?」

「それはあらゆる名探偵を殺す、解決不能問題ってヤツさ。『我々は、その謎に、気づきもしない』」



 —— ※ —— ※ ——



「高梨先輩。盗作ってどういう意味なんですか?」

「は?」


 高梨純子が、今ボクの前で目を丸くしている。居場所はすぐに見つかった。美術室だ。放課後だから美術部の活動中で、彼女は油絵を描いていた。


「アンタ……舎方(しゃほう)くんだっけ?」

「あ、すみません。名乗ってませんでした。一年の舎方タカシです。」

「知ってるよ、有名人だもの。ジェネリック彼女くん」

「ジェネリック彼女?」

「そう、知らない? アンタ流離川キトラの契約彼氏なんだろ。だからジェネリック彼女」


 ボクは曖昧に頷いた。なんだろそれ? よく分からん。ただ本題ではないので無視した。


「盗作って……こないだのコンクールのこと?」

「そうです。偶然、あの場に居合わせまして」

「……あんまり、ゴシップ的にクチバシ突っ込まれたくないんだけど。なんで知りたいのさ」

「危機管理上の問題です」

「はい?」


 高梨先輩は首を傾げた。あれ? そんなヘンなこと言ったかな? ボクはただ、問題があれば解決しておきたいだけなんだけど……。


「んー、でもなあ。もう終わった話だし……」

「そうなんですか? それはめでたい。でも念の為、差し支えなければ教えていただきたいのですが」

「差し支えあるわよ!」


 突然浴びせられた罵声に、ボクは思わずびくっとした。気がつくと美術室の扉が開いていて、一人の女子学生がこちらに向かってきている。箱崎里桜だ。少し怒った表情をしている。


「アンタ、なんでそんなことを調べているのよ!」

「いやボクは、何か問題があれば解決しておこうかなと思っているだけなのですが」

「アンタには関係ないでしょ?! これはわたしと純子の問題なんだから!」

「あ、そうなんですか。お二人だけの、ごく個人的な問題ということですか」

「ッ!? 出て行け!」


 口を滑らせたと思ったのか、顔を真っ赤にした箱崎先輩はボクを美術室の外へと放り出した。ボクの後ろでぴしゃりと扉が閉まる。中からは箱崎先輩の激しい声と高梨先輩の緩やかな声がしばらく聞こえてきたが、やがて静かになった。


 ボクは仕方が無いので立ち上がると、廊下の向こう側から見慣れたイケメンが歩いてきた。


「やあ、名探偵。事情聴取は終わったかい?」

「キトラか。ちょっとだけね。どうやら二人だけの個人的な事情のようだ」

「なるほど、それで追い出されたと。まあ当然の反応だね。いつの世も、出歯亀は嫌われるものさ」

「出歯亀なのかなあ」

「たぶんね——じゃあ、答え合わせといこうか」


 そういってキトラはボクの手を引いて、再び廊下を歩き出した。



 —— ※ —— ※ ——



 キトラに連れられてきたのは、普段立ち入ることの少ない地下一階だった。というか、この校舎に地下があったのか。


「ここは?」

「サーバー室だよ」


 キトラはボタン式の鍵を手慣れた風に押すと、サーバー室の鍵が開いた。


「よく番号知ってるね」

「まあ教師も物覚えのいい人間ばかりじゃない。十桁の数字が覚えられなくて、メモに書いて机に貼っている者もいるってワケ。ま、ザルさ」


 中に入ると少し寒い。何かよく分からない機器が並んでいる。なんとなくコンピューター関係なのだろうということだけは分かった。キトラとボクは一番奥まで進む。そこには一台のモニタとキーボードが置いてある。


「これは?」

「監視カメラの操作端末」


 キトラがぱぱっと動かすと、モニタに明かりがついた。画面は九分割されていて、それぞれに映像が映っている。よく見ると昇降口や教室の中の様子などを映している様に見えた。


「うわ、マジで監視カメラか? ウチの学校って、そんなのあったんだ……」

「昨今はいろいろ不用心だからね。まあメインの用途は、不審者の侵入があった場合とかに録画データを確保する為かな」


 更に画面が変化する。九分割していた画面が一つになり、見覚えのある教室が映し出される。


「……美術室だ」

「まあこうやってリアルタイムで見ることも出来る」


 モニタの中央では、こちらに背を向けた高梨先輩と箱崎先輩の姿が見える。油絵を描いている様だ。しかし……なんだか二人の距離が近い気もする。たぶん、普通の友達の距離感では無い。


 そしてキトラが操作すると、映像の中で時間が巻き戻っていく。二人が教室から消え、そして昼夜が忙しなく切り替わる。ものすごい勢いで時間を巻き戻している。


「キトラ、何か探しているの?」

「まあ多分、予想が正しければ……あった」


 キトラが映像を止めた。


「うわ」


 ボクは思わず目を閉じた。いけない。きっと見てはいけないものが見えている気がした。だがしかし……ここで確認しなければ、きっと問題は解決しない。そうだ、これは問題解決の為なんだ。


 そう言い聞かせて、ボクは目をゆっくりと開ける。


「ああ……」


 モニタに映し出された物。それは下着姿で抱き合う二人の女子生徒の姿だった。無論それは高梨純子と、箱崎里桜だ。


「まあ、そうなんじゃないかと思っていたよ。なんとなくね、そういう香りがしていた」

「二人は……そういう関係だってこと?」

「そういうことなんじゃないのかなー、これは」


 ボクはまじまじと映像を見つめる。いや、なんというか下心があって見ているワケではない。あくまで問題解決の為というか! というか……抱き合う二人、どこかで見覚えがあるな。なんだ、どこでだっけか……。


「あ」


 ボクはすとんと、腑に落ちた気がした。ああ、この構図……もしかして、あの金賞に描かれていた壺の形状と一緒なのか?


 その目の前で映像は進んでいく。どうやら二人が抱き合っていたのは、それを写真に納める為だった様だ。三脚に立てられたデジカメを箱崎先輩が弄っている。


 そして映像を更に検索していくと、その写真をモチーフにした油絵を箱崎先輩が描いている姿も映っていた。二人が抱き合う裸婦像だ。なるほど、絵画のモデルとして抱き合っていたのか。


 ボクの中で思考が廻る。しかし、それがどうして壺の絵に? どうして箱崎先輩では無く、高梨先輩が自作として出展したのか?




『——あたし、受賞を辞退します。この作品、盗作なので』




「あー……」

「分かったかい? 名探偵くん」

「どうだろうねえ。真相は二人に聞くしかないんだろうけど、教えてくれないだろうしなあ」


 ボクの解釈はこうだ。高梨先輩と箱崎先輩はスクールカーストの差を乗り越えて付き合っていた。そして箱崎先輩はその思いを込めて、二人をモデルとした裸婦像を描いた。


 だが、何かトラブルがあったのだろう。痴話喧嘩かもしれない。高梨先輩は、裸婦の部分を壺に塗り替えて絵画コンクールに応募した。それに気づいた箱崎先輩が激情にかられて、そして高梨先輩を叩いた——。それがあの会場での顛末の原因。


 たぶん、少なくともそう考えるのが一番しっくりくる理由だ。


「どうだい、少しは納得したかな?」

「まあそうだね。とりあえず二人が原因で、それが今解消されているのであればボクは文句ないよ。世界は平和に限るからね」


 モニタには今の美術室の様子が映し出されている。二人の少女の間に、何かわだかまりがある様には見えない。たぶん。


 キトラはにっこりと微笑むと、再び端末を操作した。


「? まだ何かあるのかい?」

「いいや、うら若き乙女たちの秘めた思いを、こんなところに残しておくのは無粋だと思ってね。消去するのさ」

「ああー……」


 まあそうだな。恐らく誰も見ていないとはいえ、下着姿の映像が残っているのは彼女たちも本意ではあるまい。ささっとキトラは器用に操作し、映像を消去する。


「なあキトラ」

「なんだい?」

「……空き教室の映像も、ここに残っているのかい?」

「気になるのかな?」


 キトラは端末を操作する手を止め、ボクの方を見る。……聞かなきゃ良かった。すごい意地悪い微笑みを浮かべている。たぶん一週間はこのネタで弄られる。


 でも、問題があれば解決しないと済まないのがボクの性分だ。不審火があれば消すのが当然、しかもその不審火は今回、自宅の裏庭で燃えているのだ。


「出来れば三日前と一週間前と、先月の二十日のデータは消して置きたいと思うのだが、どうだろうか?」

「うーむ、まあ私としても君を困らせるのは本意ではない。ここは『それはボクと君の思い出のなかにだけ取っておきたいんだ』と宣言してくれるのならば、削除しよう」

「うっ……ぐむむ」


 そんな歯が浮くような台詞を言わなくてはならんのか。契約彼氏なのに。いや契約彼氏だからなのか。ボクの心の中で、羞恥心と羞恥心が激しい戦いを行い始めている。


 一難去ってまた一難。


 その問題の解決にかかった時間は、とてもとても長い——三分だった。



【完】

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