第3話 麻と母
…………それは、とても美しい夢だった。
薄らと開けた瞳で、天井を見上げた麻は、この世の終わりを願っていた。
*
ゆるゆると真白いセーラー服に袖を通した麻は、洗面台の鏡に映る、自分の青白い顔に苦笑いを浮かべた。
今年で十五になる麻は、エスカレーター式の女学校に通っている。そう、ただ通っているだけ。目的もなく、ただ惰性で。
胸の黒いリボンを結び終えると、麻は自室を出た。代わり映えのしない自身の部屋に、ぐずぐずいても仕方がない。もしそうしていたとしても、変わらなかっただろうから。
廊下に出ると、さぁと頬を撫でた冷気に、妙な納得をした。あんな夢を見たのは、幼い頃の幸せだった日々を見たのは、きっとこの景色のせいだ。足が重いのもすべて、そう。
麻はそう結論付けると、歩を進める。
「あっ………」
麻は、いつもなら俯きながら通り過ぎる中庭へ通ずる、たった一つの突っ掛けを見咎めて、思わず立ち止まった。
ここからいつも、姉の結の元へ向かった。それが昨日のことのように、思い起こすことが出来るのに、どうしてだろう。足が向かなくなって、五年も経つのに。
大して理由はなかったように思う。でも、姉の方へ向かうのを母に見つかって、すごく怒られてそれで、行かなくなった。そんな理由で行けなくなって、ずるずると来てしまったのだ。
(情けない)
背中の中ほどまで流れる髪が、麻の顔を隠す。そこで浮かべる表情がどんなものであるからさえも、全てから覆い隠してどれほど経つだろうか。
麻は根が生えてしまったようにそこへ、いつまでも立ち止まっていたかった。姉が姿を見せてはくれないかと、万に一つを願っても意味がないとは、分かっていても。
「お姉さま」
縋り付きたい気持ちが、口からこぼれ落ちる。今更すぎる。こんな都合のいい妹を結は許してはくれない。
麻は、一度上げた顔を再び伏せて、居間に歩を無理矢理進めた。動かさなければならない。今、ここで立ち止まってしまったらもう、立ち上がれなくなる。
這うような気持ちで居間に、辿り着いてもそこには、給仕をする女性が一人いるだけだった。いつもの光景だが、やはり悲しかった。
「奥様はお仕事で先に行かれました。旦那さまも、ご一緒です」
「そう。ありがとう」
毎日、同じ台詞に飽くことなく聞いて、答える自分を滑稽だと笑う人間は、ここにはいない。
自分の席に腰を下ろし、目の前に置かれた目玉焼きとウィンナーとポテトサラダ。ほかほかと湯気を立てる味噌汁とご飯。それを見ただけで、胸焼けがする。けど、麻は箸を取った。
縫宮家は神から与えたチカラによって、祓いを主として海外への輸出を手がけていた。
しかし大病をして体を悪くした父に代わり、麻の母が事業を任されることになった。それが転機となり、母の手腕は父が苦手とした対人関係を克服し、瞬く間に上客を捕まえ、そこからネットなどを駆使して、家を建て直した。
そして、主に手縫いで手染めが主だったものを、機械と少しの手作業を加えることによって、安価で大量に作ることに成功した。
成功した母は、そこで得た資金で会社を興し、自身が社長となった。業績は右肩上がり、国内トップの企業へと進化を遂げた。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせて、麻は椅子から立ち上がる。一度部屋に戻って鞄を取ってくる。それまで、誰一人として彼女に声をかける人間はいない。
興味が無いのだろうと思う反面、実は彼女たちが本当に声をかけて、世話をしたいのは。
玄関へ向かいながら、ふと顔を上げた先に映ったのは昔からいる女中だった。結い上げた髪を一つに結んだ和装姿。
彼女の足が若干、ウキウキしているのが分かる。
「も、申し訳ありません!注意してきます」
「いいの。必要ないわ」
自分と違って、好きに姉へ会いに行ける彼女を、心底羨ましいと思った。どうして、こんなにも隔ててしまったのだろう。幽閉している訳でもないし、姉がこちらへ来たければこれるようになっているのに。
母に止められているのは、知っている。だから、姉も来ないのだ。
(こんなところまで、似てしまったのね)
自嘲気味に薄く笑うと、麻は学校へ行く重い足取りを、玄関へ向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます