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◆  202X年9月7日 午前6:00  ◆


◇   六甲山中公園   ◇




 季節は残暑。

 九月の朝六時ともなれば、まだ日が昇り始めたばかり。

 鳥の鳴き声が聞こえてくる以外は、まだ朝の気配はない。



 人影も少ない公園に、二台の車が停まっていた。

 廃棄したものとは別の車で一足早く着いていた俺は、もう一台の車から藤乃が出て来るのを確認した。




「お~~す♪ サッくん♬」

「……………………」

 子供の頃毎日のように聞いていた挨拶。

 当時元気に「お~~す♪」と返していたその挨拶に、今の俺は沈黙で返した。

 当たり前だが、記憶の中のメガネっ子だった元気な少女とは似ても似つかない。




「相変わらず時間には性格だね、車まで盗んで」

「……盗んだんじゃない、今カノのを借りた。合鍵も持ってる」

「ほんとかなー……ま、いいや」




 疑われたが、今カノの車で来たのは本当だ。

 藤乃との通話直後、圭子から借りた車に死体を乗せて俺はここまで来た。

 圭子にはラインで「車借りる」「今アニキの車がつかえない」「すぐ返す」と送っておいた。

 既読が付いていないが、まあ時刻が時刻だし無理もない。




「よくここで遊んだねー」

「…………メガネの趣味変えたな、お前」

「あっ、気づいた? やっぱり嬉しいな~、男の人に気づかれると」

 当時は赤いフレームだったり、ディ〇ニーキャラのマークが付いてあったりと、自我の芽生え始めた小学生らしいシャレ方のメガネをつけていた彼女。

 今のメガネは、ハーフリムの形にブラックの細いフレームと、エリートらしくフォーマルそのものだった。




 当たり前だが、今の彼女はキャリア組の警官でありながら警官の服装は着ていない。

 銀の腕時計にビジネスシューズ、白いYシャツに紺のコットンパンツ、縞模様のトートバッグと、どちらかと言うとオフィスワーカーのような地味な衣装。

 犯罪者を油断させるための、私服警官としての服装だった。




「……男としてなんか見ちゃいないくせに」

「……そんなに裏切ったこと根に持ってるんだ? ちっさいガキね、相変わらず」




 眉をひそめた顔で放たれた急な罵倒に、俺は黙った。

 言い返せなかったのが三分の一、こいつと話しても仕方ないというのが三分の一。

 本性を知っている今の彼女に少し魅かれていなくもなかったので、彼女と取引するのも悪くないかもな、とさっきまで思っていたけど、やはり無理だ、というのが三分の一。




「で、死体は?」

「…………確認しろ」

「銃とか隠し持ってないでしょうねー? ま、変な動きしたらそこのが速攻で撃ち返すけどかもしれないけどねー」

 拳銃の何倍も威力の高そうなショットガンを携えた、車の運転席から出てきた俺を殴った用心棒のほうを振り返りながら言う藤乃。





「……ハァ、あの日の時点ですぐに持ってくりゃあよかったのに、手間かけさせてくれちゃって」

 土くれまみれの死体袋が放り込まれた軽自動車のトランクを確認して、そう言う彼女。

「……ホラ、力仕事は男がやるもんでしょ。私たちのあのバンまで運んで頂戴な」

「……あのでかい奴にやらせればい」

「さっさとやれ」

 俺は黙って、死体を背負った。

 急に荒くなった藤乃の語調が、言外に、逆らったら全部ぶちまける、という意味を孕んでいた。




「…………君が殺させたのか」

 沈黙が恐かったのか、担いでいる途中俺は並んで歩く藤乃にそう訊ねた。

「そう言われてはいそうですって言うと思う? 今の私が」

「じゃあなんで死体に撃たれた跡があったんだ」

「……へぇ、そこまでは気づいたんだ。上出来だね、キミにしては」

 藤乃のこちらを見る目が、鋭くなった気がした。

 最早子供の頃の面影は全くない。




「もちろん私は警官だから、人の道に反することはしないけど。ま、情報屋さんが大事な大事なデータを持ち逃げしたから、取引先からしかるべき制裁を受けたって可能性もあるかもねェ。ま、泥棒だからって、撃っちゃいけないけどね。まして轢いちゃあねぇ」

「じゃあ俺が轢いた時にはすでに死んでたんじゃ……お前らこそ殺人犯じゃねーかよ」

「それ今言って意味あるぅ? 大事なのは、キミが殺したって証拠を私が握ってるってことでしょ。運び屋のキミと、エリート警官でしかも証拠を持ってる私。事実がどうあれ、世間がどっちを信用するんでしょうねェ、ホラ置いて」




 トランクを指した彼女の言うがままに、俺は死体をバンの中に入れた。




「あの時キミが電話に出てから土下座して取引に応じるのに何分かかったか知ってる? 30分だよ」

「……………………それがどうした」

「素直にはいって言えばいいところを、キミのせいで30分も無駄にしちゃった。キミったら昔っから性格変わんないよねー、私の言うとおりに動けばいいってところを、プライドが邪魔して悪手に飛び込んでばかり。将棋でもオセロでもポケ〇ンでもスマ〇ラでも桃〇でもモン〇ンでも、キミ何回私のアドバイス無視して失敗したの?」

「………………………………………………………………!!!」




 その言葉に、俺はただただ俯いていた。

 目の前の女に戦慄・恐怖しているところを、見られたくなかったから。

 今彼女の口から出たゲームは、彼女が金持ちの警官と寝る前に一緒に遊んだものばかり。

 こいつ、先輩に寝取られたこときっかけで性格も変えられたと思ってたけど―――

 



「子供の頃からそういう風に見てたのか、俺を……」

「え、今気づいたの? 父親が汚職警官よ? そりゃ娘もそうなるでしょー」

 何を当たり前のことを、という風に無愛想に応じる藤乃。




「あ、何? まさかキミ、先輩と寝た時に初めて私が裏切ったと思ってたの? そっかー、気づかなかったんだ。中学の時告白された時点で付き合ったふりしてキミのことを駒として品定めしようって決めてたってこと…………フフッ」

 声を出して笑いだす藤乃。

「アハハッ!! やっぱりキミはバカだねー!!! キミが駒としての価値すらないくらいバカだっていう高校時代の評価、やっぱり正しかったなァ。高校の時キミを切り捨てて、先輩たちを駒にしたのも正解だったもねェ。キミよりも先輩たちの方がよっぽどもんなァ、男としても、駒としても」

「駒……? もしかして、あの巡査部長の詐欺罪って……」

「さぁ? ただ私の先輩ってみんな優しかったからね。後輩思いなところもあるのかも」




 闇組織内の噂で聞いたが、兵庫県警内では、彼女の同年代で、彼女と同じ部署に所属している男性警官の中は、全て詐欺罪、横領罪、公文書偽造などの汚職によって逮捕されている、というジンクスが存在しているという。




 この県では汚職警官は決して珍しくないし、偶然の連鎖かと思っていたが、今確信できた。

 こいつ、男を落として自分の罪を被せてやがったんだ……

 なるほど、今のフォーマルなメガネやスーツもおカタいイメージを持たせた後ギャップで魅せるためのカモフラージュか……

 なるほど。




 ……こいつ、悪魔だ……

 ……人を操り人形のように手玉に取ってやがる。

 ……人間ではかなわない。

 ……いや、悪魔と言うか、悪女というか……




「…………この、ヤ…………!!!」

「この、何?」

「………………………………」

 黙った。

 はっきり言ったら取引を反故にされる気がした。

「……ヤリ●ンとでも言いたかった? ま、事実だしそう言うのは自由だけど、忘れないでねー。本当にのがどっちかってことを」

 千里眼のように俺の心の内を見透かし、その上で余裕でそう返してくる藤乃。

 やはり今の俺が関係を続けたら、一生彼女のおもちゃにされることは確実だ。

 …………ならば、俺のやり方で取引を持ち掛けるしかない。





「事態が変わるようなことあったらまた連絡するから、じゃ」

「いっそ撃ってみろよ?」





 そのまま乗って来た車でこちらを一瞥もせずに去る筈だった藤乃。

 その女のどこまでも深い闇に、脳内で必死に練習してきた言葉を口にした。





「……は?」

「俺のこと、散々こき使ったあとブタ箱送りにするつもりなんだろ? 県警の先輩たちみたいに」

 立ちどまった後、ゴミを見るような目でこちらを振り返る藤乃。

 殴りかかりたくなるのを我慢して、今俺は取引のための言葉を口にした。

 プライドの様な何かが、そうさせていたのだと思う。





「だったら今ここで撃たれた方がマシだ。みたいにな……何よりそのした」




 パ

  ァ

   ン

    !

     !

      !





 しばらく、視界がブラックアウトしていた。



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