スマイル

佐倉みづき

 職場の近くに大手チェーンのハンバーガーショップが新しくオープンした。せっかくなので、昼食をそこで買うことにした。

 オフィス街に程近い立地のためか、店内は疲れ切った顔のサラリーマンやOLで混み合っていた。おかげで注文と会計を同時に行うレジには長蛇の列ができていた。限られた昼休憩の中で買いに来ている者が多く、並びながら自分の番がなかなか回って来ないことに皆苛立っているようだった。かくいう私も休憩時間内に職場に戻れるか不安になり、苛々と貧乏ゆすりをしながら待っていた。

 十分ほどじりじりと待ったところで、ようやく私の番が回ってきた。そこで、私は運命の出会いを果たした。

「いらっしゃいませ、お待たせいたしました! ご注文は如何なさいますか?」

 短時間で何十、下手をすると何百人もの相手をしてきただろうに、彼女はくたびれた顔など微塵も見せずに輝く笑顔を向けてきた。職業意識の高さが伺え、眩しく映った。

 比べて、私はどうだ? 痴漢冤罪に怯えながら満員電車に揺られて出社し、ダラダラと言われた仕事をこなす日々。優秀な歳下の上司に些細なミスをあげつらえられて叱責され、女性社員からは白い目で見られる。家に帰っても労ってくれる家族はおらず、独り寂しく酒を煽って眠るだけ。充実した毎日とは程遠く、生きる意味を見失っていた。

 そんな無気力な中年男に、彼女は癒やしと希望を与えてくれた。誰からも疎まれる私に唯一優しくしてくれた。顰め面を見せる人が多い中、彼女だけは笑顔を向けてくれた。それが何よりも嬉しかった。

 その日から私は、毎日バーガーショップに通った。ジャンクフードで食生活が乱れる自覚はあったが、指摘するような家族はいない。それに目的はハンバーガーではなく、彼女だ。彼女と話すことさえできば、テイクアウトしたバーガーは食べられなくてもいい。カロリーも高く中年の胃には重たい代物だ。それでも足を遠ざけることはしなかった。彼女と会いたい。その一心で通い詰めた。

 レジは常に二、三台は稼働しており、別の店員に当たることも多々ある。その場合は後ろの客に順番を譲って調整したり、レジが空いたタイミングを見計らって必ず彼女に会計してもらえるようにした。

 毎日見ていると、些細な変化にも気づきやすい。彼女の元気が徐々になくなっていくのがわかった。馴染みの笑顔も強張ってきて、無理に作っているのが判るくらい不自然になっていた。何か悩み事でもあるのだろうか。できることなら相談に乗って、力になってやりたい。彼女を悩ませるものを取り除いてやりたい。そんな気持ちで連絡先を渡した。

 それが週末のことで、週が変わった月曜日。店に行くと、彼女の姿が見えなかった。風邪でも引いたのだろうか。心配だ。おかげで午後の仕事に身が入らず、いつも以上に嫌味を言われた。

 私は仕事帰りにいつものバーガーショップに立ち寄った。すると、彼女がカウンターに立って接客していた。なんだ、シフトの時間を変えただけか。彼女が無事なことに安堵した。心なしか浮かべる笑顔も自然なものに戻りつつある。悩み事は解決したのだろうか。まだ相談はしてくれていないけれど。照れているのかな。

 私はそれから、仕事帰りにバーガーショップに寄ることにした。すると、またしても彼女の元気がなくなっていった。いったい何が君を悩ませているのだろう。君に暗い顔は似合わない。弾けるような笑顔をまた私に見せてくれ。

 仕事帰りの夕方の時間帯、彼女が店にいることがなくなった。そこで思い立って出勤前にバーガーショップに寄ってみると、彼女がいた。遅番は夜遅くまで働くから若い女性には危険が多く、朝一の早番に切り替えたのだろう。懸命な判断だ。

 この店はモーニングサービスも行っている。私は朝食をハンバーガーに変えた。朝から胃はもたれるが、朝一番に彼女に会えるのは何にも変え難い幸福で、私自身の健康などどうでもよかった。

 彼女が笑わなくなった。私と目も合わせられないほど疲弊しているのが判った。何が君をそこまで追い詰めているのだろう。悲しませているのだろう。許せない。彼女から笑顔を奪っているものが憎い。彼女のためにどうにかしてやりたい。

 きっと彼女は他人に相談できないほど精神的に追い込まれているに違いない。そこで、彼女の家を訪ねることにした。彼女が以前夜のシフトに入っていた際、悪い男に襲われないようにボディーガードをしたことがあり、自宅の場所は判っている。居ても立っても居られず、私は早速仕事の帰りに彼女の家に向かった。

 お世辞にも防犯がしっかりしていなさそうなアパートの二階の一室。家賃の面で選んだのだろうが、若い女性の一人暮らしなのだから多少値が張ってでもオートロックの物件にすべきだ。そうだ、私が引越し費用と家賃を負担してやればいい。どうせ使い道のない金だ、彼女のために使ってやりたい。

 彼女はまだ帰っていないようで、玄関には鍵がかかっていた。私は玄関先で彼女の帰宅を待った。忠犬のようにじっと待っていると、やがて階段から家主が帰宅する姿が見えた。私は努めて明るく彼女に声をかけた。

「やあ。最近元気ないけど、何かあった? よければ相談に乗るよ」

 私の姿を認めた彼女は安堵に泣きそうな顔をした――のではなく、顔を蒼白にし、くしゃくしゃに歪めて苦々しく吐き捨てた。

「結構です。いい加減付き纏うのやめてください、迷惑です!」

 どうして君は私にそんな顔を向けるのか。他の人間みたいに、私を汚らしいものとして見るのか。私はただ、君の笑顔が見たかった。それだけなのに。どうして。

 ああ、愛しい君よ。また、私にとびきりの笑顔を見せてくれ。


 × × ×


『――続いてのニュースです。先日発生した女子大生殺害事件において、警察は自称会社員の中沢ナカザワ葉二ヨウジ容疑者を殺人の疑いで逮捕しました。捜査関係者への取材によると中沢容疑者は被害者に執拗にストーカー行為を行っており、警察は詳しい動機を調べています』

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