4-17 彼の選択

 気づけば、男は家の近くに戻ってきていた。あたりを注意深く見回すが、張り込まれている気配はない。

 男は一旦、家の中に入った。いくら川に流れたとはいえ——いや、だからこそ着替えたかったし、風呂にも入りたかった。本当は、すぐにでも病院に駆け込みたかったが、手ぶらではどうすることもできない。ターゲットの息の根は、もはやか細くなっているだろう。焦る必要もない。

 着ていた服を脱ぎ捨てると、タンスから服を引っ張り出した。黒い方が汚れが目立たなくていいだろうと、黒のTシャツを選んだ。

 風呂に向かいながら、病院からここに戻ってくるまでに、警察に追われなかったことに気づく。いや、その前からだ。病院からではない。川から上がり、事件現場に行く道中でも、そしてそこから病院に向かう途中にも、身の危険を感じたことはなかった。

 ——なぜだ?

 何かがおかしいと思うが、男にとっては都合がいい。罠かもしれないが、それならそれでかまわない。追われたら、また逃げればいい。

 Tシャツを持ち、風呂に向かおうとした。が、テーブルに足を取られ、転んだ。弾みでテーブルもひっくり返る。

 ——痛えな。

 足をさすりながら起き上がると、テーブルの裏に何かがくっついているのに気づく。ガムテープで貼り付けられたそれは、拳銃だった。男が警察に捕まる前に置いておいた場所から、引き上げてきた代物だ。確か箱に入れて、押入れにしまっておいたはずなのに。

 どうしてこんなところに、こんな形であるのか。

 男はガムテープを剥がし、拳銃を手にした。

 重みがある。銃弾は入っているらしい。

 ——これは使える。

 声がした。またしても、同じ声。

 確かに使える、と男は思った。どうせ、ターゲットの鼓動はもう弱くなっているだろう。そんな脆弱なものを手に伝えるよりも、いっそ一思いに息の根を止めた方が優しさというものだ。

 ——そんなことよりも先に、やるべきことがあるんじゃないか?

 やるべきこと? 男は考えたが、何のことだかわからない。そもそも、この声は一体なんだ?

 男は面倒になり、考えることをやめた。

 拳銃を持ち運ぶために、何か入れるものはないかと立ち上がろうとしたが、できなかった。時が止まったように、身体が動かない。

 それも一瞬のことで、数秒も経たないうちに立ち上がっていた。しかし、男が動かしているわけではなかった。

 男の身体は、変わらず拳銃を手にしていた。銃を持った手が、ゆっくりと男の頭へと移動する。

 ——こんなものがあるからいけないんだ。こんなものお前がいるから。

 ——おい、やめろ。おかしな冗談はよせ!

 脳内に、男の声だけが響く。

 銃はこめかみに当てられた。セーフティレバーを引き、震える指先が、引き金に触れる。

 ——やめろ! 、邪魔をするのか……!

 叫ぶ声を掻き消すように、静かな部屋の中に銃声が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

贖罪の果て 小鳥遊 蒼 @sou532

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ