4-15 存在

 壮亮が考えていたよりも、研究所内は落ち着いていた。ほとんどの人間が知らないのだから仕方ないが、TCプロジェクトメンバーにも、緊急時のような雰囲気は一ミリもなかった。レシーバーのことは、警察に任せておけばいいとでも思っているのだろう。センダーの容体を気遣う者など、誰もいない。次のセンダーのことばかり考え、稲森湊斗のことには触れようとはしなかった。

 苛立ちを覚えながら、稲森湊斗が運ばれた病院を訪れた。病院の情報は、かろうじてチーム内にも共有された。

 だが、足を運んだところで、どうすることもできなかった。病室まで行くことはできない。安否確認すらできない。患者との関係について明かせない壮亮は、なす術がなかった。

 それでもすぐには帰ることができず、病院の前で時間を潰していた。

 稲森湊斗の容体はわからないが、彼から発せられる信号が消えていないことは確認されていた。しかし、それも今現在は——という話だ。いつ、その信号が消滅してしまうかわからない。

 稲森湊斗が刺されたとき、隣には緒方新がいたという。レシーバーに埋め込まれたカメラに、驚いている顔が映っていた。彼がそばにいたのなら、おそらく迅速に対応しただろう。そうであってくれ、と祈るしかなかった。

 どうして、レシーバーはセンダーを刺したのだろう。山のときもそうだが、居場所がわかったことも不思議だった。

 居場所に関しては、意識共有が影響している可能性があるが、刺した理由はわからない。

 事件が起きたときのことで、もうひとつ気になることがあった。駒田が嬉々として報告してきたことだが、センダーを刺した瞬間、レシーバーの脳波に乱れが生じたという。興奮状態にあったのではないかという本間に対し、

「興奮状態とは、また違った波形でした。今までにないことです。波形も、彼から得られたデータの中に類はありません」

 と、何か確信めいたような口調で言っていた。

 他のメンバーは、駒田ほど関心を示していなかった。そういうこともあるだろうと。夜ではなく昼間、しかも人の目がある状況で事に及んだという点で、いつもとはかなり違っている。精神状態も、おそらく違っていただろうと、相手にしなかった。

 しかし、壮亮には思い当たる節があった。駒田もそうだろう。

 モニターの前で不貞腐れている駒田に声をかける。

「センダーが刺されたときの映像を見せてもらえますか?」

 駒田は何も言わずにパソコンを操作し、再生した。手慣れているのは、その映像を何度も見ているからかもしれない。

 レシーバーが走り出し、センダーが刺されるまで、さほど時間はかからなかった。これまでに幾度となく、レシーバーが心臓にナイフを刺す映像を見てきた。いつでも迷いはなかった。

 ただ、今回に至っては異なる点がいくつかあった。メンバーも指摘していたように、時間も違えば、まわりの環境も違っている。今回は人の目もあった。さらに、いつもは背後を狙っていたが、センダーを刺したときは、前からナイフを突き刺している。これは、対面で遭遇してしまったため、致し方なくそうしたのかもしれない。

 三点目は、センダーにナイフを刺す瞬間の違いだ。レシーバーはいつもそうしているように、両手でナイフを持っていた。ブレることがないように、支えるように左手を添えていたのだ。だが、ナイフを刺す瞬間、その手が。ブレたように見えた。

「ここ、ちょっと巻き戻してください。ああ、そこです、そこ」

「三好さんも気づきました?」

 駒田の声は、心なしか嬉しそうだった。

?」

「ええ、僕もそう見えます。あの位置だと、多分心臓には届いてないんじゃないかな」

 しかもと、駒田は再び映像を巻き戻し、今度はスローで再生させた。

「センダーに刃物が刺さる瞬間に、ちょっとだけ手が動いたような気がするんです。ここです、ここ。ちょっと右に動いてると思いませんか?」

 目を凝らして見る。確かに言われてみれば、そう見えなくもない。ほとんど微妙な差だが。

 しかし、心臓に当たっていないだろうという意見には賛成だった。彼が心臓を刺せずに現場を離れるというのは、モニターを始めて以降、初めてのことだった。

「このことと、脳波に異常があったことと、何か関係があると思うんですけどね」

 駒田はいじけている子どものように呟いた。

「この前、駒田さんが話していた三人目ですけど。僕もあれ、あの説が濃厚なんじゃないかと思っています」

 彼は壮亮を見ると、再びモニターに目を戻した。

「……守ろうとしたってことですか?」

 独り言のような言葉に、壮亮は頷く。

 レシーバーの中には、芝浦陽翔の意識が存在する。彼はセンダーを守ろうとした。弟を守ろうとした。意識的なものなのか、無意識なのかはわからない。潜在的なものだろうと、壮亮は思う。

「そうか。だから、三人目の意識が姿を出すようになったんだな。レシーバーの中にいるアフターの意識——あれも、にとっては弟のようなもの。守るべき存在だった。だから、わずかな意識の中、姿を見せるようになった」

 壮亮は再び頷く。「可能であれば、今回の事件に関しても、刺される前になんとかしたかったんだと思います。でも、できなかった。そうできるほど、身体のコントロールが効かなかったんでしょう。今は特に、ほとんどビフォーが占拠しているわけですし。あれが精一杯だったんでしょう」

 壮亮は、伊野村の話を思い出していた。芝浦陽翔の信号が突然消えたこと。山に行っていたこと。事故に遭ったこと。意識が戻らないこと。そして、稲森湊斗のことを気にかけていたということ。

 彼が事故に遭った理由に、確信めいたものを感じる。彼は、稲森湊斗を外に出すために事故に遭ったのだ。いや、事故に遭ったこと自体は故意なのか、本当にだったのかはわからない。ただ、彼が起こした行動に起因したことは間違いないだろう。

 彼は弟のことを想い、気に病んでいたのだ。

ただ、ひとつ、疑問に思うことがある。彼の信号はキャッチできなくなった。だが、生きている。だ。それは果たして偶然だろうか。彼は研究のことも、頭に埋め込まれたチップのことも知っていた。それが、この研究に必要なことも。

しかし、狙ってできるものだとも思えない。

まさか、と一蹴するように笑った。


 次の日も、壮亮は病院を訪れた。意を決して院内に入り、知人だと言って病室を訊ねるが、何も教えてはもらえなかった。

 どうにか知る方法はないだろうかと、病院を見上げていると、出入口付近で緒方を見かけた。気づいたときには、声をかけていた。

「稲森さんは無事ですか?」

 振り返った緒方は、怪訝な表情を浮かべていた。

「何あんた」

「僕は、稲森さんの知り合いのものです。稲森さんが事故に遭われたと聞いて、心配で駆けつけたのですが」

「どういう知り合いですか? それに、あいつが事故に遭ったこと、誰に聞いたんです? この場所も、それに何で俺に……」

 緒方は壮亮を見下ろした。「あんた、研究所の人間か?」

 壮亮が話しかけたときから寄せられていた眉間のしわが、さらに深くなる。彼は、不快感を隠そうとはしなかった。

「満足か?」凄みのある声だった。「二人を死の淵に追い詰めて、満足か?」

 怒気を含んだ言葉に、返せるものはなかった。

「あの兄弟をバラバラにして、家族まで崩壊させて——散々好き勝手利用しておいて、最後にはこれかよ。何が研究だ。あんたらがやってることは、人殺しと何も変わらないんだよ!」

 耳が痛かった。結果がすべてだ。そのつもりはなかった、は通用しない。

 そもそも、実験を始めた時点で、一人の命を奪っているのだ。消える命ではあったが、研究に利用したことに変わりはない——実際には、消し去れていなかったのだが。

 緒方は、センダーの安否を教えてはくれなかった。しかし、壮亮は、センダーは生きていると考えていた。彼の信号が消えていないこともだが、緒方が口にした「死の淵に追い詰めて」という言葉も、生きていると考える理由になった。「死に追い詰めて」ではなく、「死の淵」と言ったのだ。そして緒方はおそらく、芝浦陽翔が事故に遭ったことも、生きていることも知っている。どの病院に入院しているのかも、知っているだろう。

「ひとつだけ、これだけ教えてください」立ち去ろうとする緒方を引き止める。「先日、山に行かれましたよね? そこで、男に遭遇した」

「やっぱりあいつは、あんたらが差し向けたのか」さらに低くなった緒方の声が、壮亮の言葉を遮る。

「差し向けたわけではありません——いえ、結果そうなったのかもしれませんが。そのときに、彼はなんと言っていたのでしょう? 稲森さんに掴みかかったとき、何か言葉を発しましたか?」

「『身体を返せ』だってよ。あいつはそう言った。そして、返してほしかった身体を傷つけた。傷つけたのは身体だけじゃないけどな」

 わかるよな、と見下ろす目が言っている。

「あのときも、今回も、居場所が知れたのは、あんたらのせいか? あんたらがよくわからんものを頭に埋め込んで、よくわからん機械で居場所を知らせたんじゃないのか?」

 壮亮は勢いよく首を振った。「それは違います! 確かに、彼の頭にも稲森さんと同じものを入れてはいますが、あの機械は居場所を特定できるものではないし、何より彼はもう研究所にはいません。意識共有をしていたわけじゃないんです」

「どうだか」緒方は鼻で笑った。

「どうせもう、湊斗もお払い箱なんだろ。陽翔のときみたいに」

 緒方は、壮亮に背を向けた。「あんたらがやってることは人殺しだ。科学なんかじゃねえ」

 その言葉は、壮亮の心に深く突き刺さった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る