4-12 嗤う
陽翔を最後に見た場所を訪れ、おかしなことなことがあってから二週間。湊斗はほとんど外出することなく、家にこもっていた。
新が居候すると言い出したときは、冗談だと思っていたが、どうやら彼は本気だったようで、パソコンや洋服など、必要なものを持ち込んでいた。ダイニング横にある部屋が空いていたので、そこを新にあてがったのだが、仕事は主にダイニングでしていた。時折、打ち合わせなどで外出することもあったが、必ずこの家に帰ってきた。今では合鍵も持っている。
湊斗が外に出ずに生活していたのは、新の過保護が発症したからだ。出先で何かあってはいけないからと、一人で外に出ることは禁止されていた。その代わり、買い物などはすべて彼が担ってくれた。新のセレクトで買い出しが行われたので、自ずと彼のリクエストに答える形で、メニューが決まることが多かった。
外出できないことに、不満はなかった。まったく外に出ていないわけでもない。新が一緒なら、散歩くらいには出かけていた。
一緒に生活するようになり、わかったことがある。新は仕事をしているときには、コーヒーを好んで飲む。砂糖は多め。酒は飲まない。飲めないのではなく、飲まないのだと、本人が言っていた。
夜は遅くまで起きていた。湊斗より先に眠ることはなかった。朝も湊斗よりも遅く起きてくることはなかった。いつ眠っているのか不思議なほど。あまりに謎だったので、新に訊ねたところ、
「ちゃんと寝てるさ。ショートスリーパーだから、そんな長時間寝なくても平気なんだよ」
と、言った。確かに目の下に隈のひとつも見当たらない。
朝食と夕食は、一緒に食べることが多かった。一日家で作業しているときは、昼食も二人で食卓を囲んだ。好き嫌いはないとのことだが、湊斗が料理に失敗した日は、正直にまずいと言った。それでも残さず全部食べていた。
私服で出かけた日には、時々薬品のような匂いをつけて帰ってくることがあった。微かにだが、消毒薬のような匂いが香った。どこか悪いのかと訊ねた湊斗を、彼は適当にあしらった。
「緒方さん」
食後のお茶を新の前に置き、そのまま目の前の席に座った。
「今日このあとって時間ありますか?」
「このあと?」
新はスマホを見ると、静かに頷いた。
「散歩に付き合ってくれませんか? この前外に出てから三日経ちましたし、多少歩いた方がいいかなと思うんですけど」
新は二つ返事で承諾した。最近、この近くにジェラート屋ができたらしく、ついでにそこに行こうという。結局、新の趣味に付き合うことになったことに、湊斗はそれを微笑ましく思った。
改札を出た昴は、不思議と懐かしい気持ちを感じていた。初めて訪れた場所のはずだ。昴が暮らしているところと、さほど空気が変わらないからかもしれない。違う点といえば、電車に乗り降りする人が多いことくらいだろう。
駅の建物を見上げる。大きく書かれた駅名を確認し、昴は頷いた。間違いない、ここだ。
深く息を吸い込み、思い切り吐き出してから、昴は足を一歩前に踏み出した。
歩いては戻り、戻ってはまた進んでを繰り返し、一時間ほど歩いたところで、迷っていることに気づいた。決して複雑な道はなく、大きなビルもないせいか、視界も開けている。だが、肝心の目的地が判然としないため、路頭に迷っていた。
駅に戻り、別の道を進んだ。反対側の出口にも行ってみた。しかし、結果は同じだった。
「ここじゃないのかな」
ぽつりとこぼした言葉に、返事はなかった。今日は終始、静かだった。
まさか、からかわれたのではないだろうか。手助けをするなどと言っておいて、昴が探索にあくせくする様を見て、楽しんでいるのではないか。
もしそうだとしても、不思議と腹は立たなかった。それならそれでもいい。見つけられなければ、それでもよかった。
この道の先に目的地を見つけられなかったら、今日はもう帰ろう——そう思って歩いていたときだった。目の前から二人の男性が歩いてきた。一人は背が高く、派手なシャツを着ている。もう一人は、反対にモノクロトーンだ。
彼だ——
瞬時、身体に力が入った。持っていたかばんを握りしめる。いつも使っているトートバッグだ。中には財布しか入っていない。——はずだった。
かばんを握りしめた昴の手は、財布とは違うものに触れた。形も硬さも違っていた。何が入っているのか確かめたかったが、前からは目的の人物が歩いてくる。距離はどんどん縮まっていた。
昴はどうしたらいいのかわからず、その場であたふたしていた。探せと言われただけで、そのあとのことは何も打ち合わせてはいない。
どうすればいいか訊ねようとした声を遮るように、「ご苦労」と声がした。その声が合図となったかのように、意識が遠のいた。ふらつきを感じる間もなく、目の前が真っ暗になり、そのまま意識を失った。意識を失う前に、あの濁声が嗤う声が聞こえたような気がした。
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