4-10 現場検証
土曜日朝の電車は、思いの外混んでいた。それでも、平日の通勤ラッシュほどではなかったし、目的地に近づくにつれ、乗客はどんどん減っていった。
リュックを背負い直し、壮亮は電車を降りた。
足元は履き慣れていないハイカットスニーカー。失敗だったかもしれないと後悔するが、他に適当なものがなかったので、致し方あるまい。
駅を出ると、タクシーをつかまえた。先日見た映像の再現をしているかのようだった。
壮亮は、先日レシーバーが訪れた山へと向かっていた。足を運ぼうと思ったきっかけは、研究ではない。休日に、人けもさほどないだろう山に向かっているのは、観月からの連絡があったからだ。
連絡はまたしても、前回の報告から一週間も経たずにやってきた。センダーの兄について調べてほしいと、依頼していた件についての返事だった。時間があるときに事務所を訪ねてほしいと言われ、連絡があったその日に訪問した。夜遅かったが、観月も神部も快く迎え入れた。
センダーの兄は、芝浦陽翔という。センダーとは双子とのこと。彼らが小学生だった頃、両親は離婚。陽翔は父に引き取られ、それ以来、センダーとは会っていない。
彼の経歴も、履歴書よりも丁寧にあげていた。大学卒業後、一般企業に就職している。父親を病気で亡くしているが、それ以外には何不自由ない生活を送っているように見えた。
経歴は途中で止まっていた。
「最近のものがないようですが」
「彼、消息がわからなくなっているんです」
壮亮は、資料から顔を上げた。
「知人に聞き込みを行っても、最近は連絡をとっていないとか、会っていないとかばかり。やっとのことで得た情報によると、どうやら事故に遭っていたみたいなんです」
「事故? 彼は無事なんですか?」
「一応、命に別状はないとのことなんですけどね」
壮亮はひとつ息を吐いた。杉下たちが考えていた最悪の事態は免れているようだ。
「大きな事故だったんですか?」
「山にいて、斜面から落ちたそうなんです。怪我自体は大したことないらしんですけどね。頭を打ったのか——その打ちどころが悪かったのか、意識が戻らないらしいんです」
観月の話によると、普段その山にはほとんど人が入ることはないとのこと。その日はたまたま、山の持ち主がたけのこ掘りに山に入っていたおかげで、発見できたのだという。ほとんど奇跡だったと。少しでも発見が遅かったら、助かっていなかっただろうとも言った。
それらの情報も、入手するのに苦労したという。
「以前、調査してほしいと依頼のあった彼ですが、その彼が頻繁に通っている病院がありまして」
緒方新のことだ。どこか悪いのだろうか。
しかし、通院しているということではないらしい。
「お見舞いに行っているようなんです。いつも花や果物を持っているので。そこに、芝浦陽翔が入院しているのではないかと踏んでいます」
得られた情報は、そこまでだという。
「事故に遭った山というのは、どこだかわかりますか?」
名前のない山だった。ただ、場所を聞いて、壮亮は驚く。
あの山じゃないか——
レシーバーが行っていた山。センダーと遭遇した山。あの山だ。
映像を見る限り、特徴もない山のようだった。観月の話にもあったように、みながこぞっていくようなところではない。
なぜ、レシーバーもセンダーも、そしてセンダーの兄も、その山に向かったのか。理由が気になり、貴重な休日を使って、山登りに馳せ参じたというわけだ。
「お客さんが今向かってるところって、何か有名なんです?」
タクシーの運転手に訊ねられ、壮亮は返答に窮した。なぜそんなことを訊かれるのですか、と返したくなった。
そんな壮亮の気持ちが伝わったのか、答える前に再び口を開いた。
「いやね、この前もこっちの方に乗せてってくれってお客さんがいたんですよ。山の麓みたいなところで降ろせっていうから、驚いちゃってね」
だから、覚えていたのだという。
「格好も格好だったし、何より登山なら、反対側に有名な山がありますからね。有名たって、この辺じゃあって程度ですけど」
壮亮は愛想笑いを返した。それしかできなかった。
タクシーを降りる前に、一時間程度待っていてもらえるかと訊ねると、承諾してくれた。サービスで、その間はメーターを止めておいてくれるらしい。ありがたいことだ。
リュックから懐中電灯を取り出し、スイッチを入れて、山の中へと足を踏み入れた。
薄気味悪さはあるが、なんてことない山だった。登山用ではないため、整備もされていない。途中、草木に足を取られたり、顔の近くに枝が刺さりそうになったりと苦戦したが、その程度のことだった。
途中、滑りやすい箇所があり、斜面も急になっていたので、確かに危ないなと思う。センダーの兄は、ここで足を滑らせたのだろうか。目印があるわけでもなく、どこが事故現場なのかはわからない。
実際山に登ってみても、得られるものは何もなかった。誰かに訊ねようとも、まわりに人はいない。気配もない。
なぜ彼らはこの山を訪れたのか。
行けるところまで歩いて、戻ってくると、ちょうど一時間ほど経過していた。タクシーの運転手は暇そうに車内でくつろいでいたが、壮亮に気づくと、ハッとしたように扉を開けた。
「おかえりなさい。目的は達成できましたか?」
「いえ、ああ、まあ」何とも間の抜けた返事だった。
「そういえばですね」走り出してすぐ、運転手がミラー越しに壮亮を見る。「お客さんが山に入ってすぐくらいに思い出したんですけど。ちょっと前に、これまた駅からここまでタクシーに乗せた人がいたんですよ」
「ちょっと前というのは、最近じゃなくて、ということですか?」
「ええ、ええ。ちょっと具体的な日付までは覚えてないんですけどね。ちょうどお客さんくらいの歳の、男の人でしたね。ああ、この前も男の人だったけど、その人よりかは若かったと思います。もとはかっこよさそうな感じなのに、何かちょっと疲れているというか、やつれているというか、イケメンが台無しって感じで。それに、何か思い悩んでいるような顔をしていましたね」
「その人は、確かにあの山に? 入っていくところまで確認されましたか?」
「ええ。めずらしいお客もいたもんだと思ったんでね。どうするのかと思って見てたんです。そしたら、その人、山に入って行ったんですよ」
「そのあとは?」
「そのあとのことは存じません。そのまま持ち場に戻りましたからね」
壮亮はかばんの中から、一枚の写真を取り出した。観月から預かっているものだ。
「それって、この人じゃないですか?」
駅につき、カードで支払いをすませながら、写真を見せた。運転手は領収書を切りながら、確認する。
「ああ、そう、この人です」
壮亮が見せた写真は、センダーの兄のものだった。
運転手が言っていた印象と、観月が調査してきた彼のそれとは大きくかけ離れていた。
壮亮は違和感を覚える。
何かあったのだろうか。父親を亡くしたと言っていたが、傷心していたのかもしれない。しかし、観月から聞いた話によると、父親が亡くなった日から事故に遇うまで、それなりの日数が経っている。とはいえ、特段おかしいとも思わなかった。壮亮もまた両親を亡くした経験がある。気持ちは同じではないかもしれないが、他の人よりも近い感情を想像することはできる。
父親の死に対する喪失感を引きずっていたのかもしれない。だが、違和感は拭えなかった。
考えながら家までの道を歩いていると、スマホが鳴った。観月からだ。
「続報です」電話に出るなり、観月の声が響いた。
「芝浦陽翔が事故に遭う前、人と会っていたようです」
「人? 特定はできているんでしょうか?」
ふふ、という笑い声が聞こえた。次いで観月の口から出てきた名前に、壮亮は驚きを隠せなかった。
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