4-5 消えない疑問
湊斗は、新と二人、夕食の準備をしていた。
突然容体が変わるかもしれないと言って、新は帰らなかった。近くのコインパーキングに車を止め——その前に大きなスーパーで買い物をすませ——湊斗の家に一緒に帰ってきていた。
新は手を洗い、勇んでキッチンに立った。道具の使用許可を取ると、「座ってていいぞ」と言った。お言葉に甘えようかとも考えたが、ただじっと座っているのも落ち着かず、結局一緒に作ることにした。
新は初め、おかゆを作ろうとしていた。湊斗の体調を慮ってのことだろう。気遣いは嬉しかったが、山登りをしたり、おかしなこともあったりして、体力を消耗していた。そのせいか、空腹感は強かったので、どちらかというとガツンとしたものを欲していた。ならばと、夕飯のメニューはカレーに決まった。ルーではなく、スパイスから作るらしい。湊斗は野菜を切る担当にまわり、味付けなどは新に任せた。
甘党の新が作ったカレーは、舌に響く辛さがあった。辛いものが苦手でも得意でもない湊斗には、ちょうどいいおいしさだ。新が食べる方はさらに辛さを増しているらしく、色からして汗が出てきそうだった。
「あの人はまたやってきたりするでしょうか」
食後のおやつにバニラアイスを食べながら、湊斗が呟いた。
「わからんな。この場所が特定されてるって感じではない気がするけど。さっきも言ったけど、タイミングとか場所的に、湊斗に何かあって、それを察して駆けつけた感じっぽいけど」
言いながら、アイスの中に、いつの間にか買っていたチョコスプレーを回し入れる。
「湊斗に何か起きない限りは大丈夫だろ」
「だといいんですけど」
「不安か」
湊斗は、左肩に右手をのせた。つかまれたときの痛みは、つい先ほどのことのように鮮明に思い出すことができる。恐怖を感じさせるあの赤く血走った目も、脳裏に浮かぶ。
「不安がまったくないとは言えません。怖さもあります。どういうつもりで『返せ』と言ったのかが、わからないからなのかもしれませんが」
湊斗は一度口を閉じると、しばし考え、ひとつ頷いた。「そうですね。わからないから怖いんだと思います。どうすればいいのかも、どう対応したらいいのかもわからない」
「研究の関係者かどうかも、俺たちの予想だしな。もしあの人が被験者だったとして、どんな人なんだろうな。伊野村さんはそこんとこ知らんって言ってたけど。ああいう実験に協力するって、普通じゃないだろうし」
新はバツが悪そうに湊斗を見た。
「悪い。湊斗の場合は、お前に拒否権なんてなかったもんな。何も知らずに利用されてたんだから、お前のこととは話が別だからな」
必死に弁解する新がおかしく、湊斗は笑った。
「どんな人が被験者なのかはわかりませんけど、それでも僕の顔を見て、『身体を返せ』とはならないと思うんです」
「いや、それはどうかな。意識を書き換えることが目的なんだろ? それが成功してたんなら、湊斗を見たら、見ていた顔だってなってもおかしくはないと思うぞ。それで自分のだと勘違いしたんじゃないか? 書き換えがどんなものなのかはわからんし、あくまで成功してたらだけどな」
「顔とかは、僕の意識を通じて見ていたと?」
「ああ。鏡を見ることくらいあっただろ?」
もちろんあった。初めて自分の顔を見たときのことは、今でも覚えている。「彼」——陽翔とまったく同じ顔をしていたことに驚き、衝撃が走った。謎が解けてしまえば、同じ顔をしているのは当たり前で、間抜けな感想だったと、今となっては思うのだが。
「でも、共有されていた映像を見て、僕の顔とか姿を見ていたとしても、それが自分の身体だという認識にはならないですよね?」
「確かにな。でも、もし意識が完全に湊斗になりきっているとしたら? 身も心も湊斗だと思い込んでいるなら、湊斗を見て、それが自分だと考えてもおかしくはないと思う。——いや、おかしいし、現実離れはしてるけどな」
新は大真面目な顔をしていた。湊斗にも、そう言ってしまう新の気持ちがわかったので、ただ頷くだけで何も言わなかった。
新の言っている説が正しかったとして、もうひとつ疑問に思うことがあった。正確には、疑問が消えないというべきか。
身も心も湊斗になりきっているとして、果たして「返せ」となるだろうか。自分の身体を捨てることになってもいいということか。現状に何か不満でもあるのだろうか。
そういえば、他人の戸籍を買い、その人物になりすます、というような内容が出てくる小説を読んだことがある。その人は親の借金により、自分自身も借金取りに追われていた。書かれた時代背景の中では、本人でなくとも戸籍を取得することができたらしく、どこに逃げようとも、居場所が割れた。逃げても逃げても追ってくる借金取りに嫌気がさし、その人物は自分の戸籍を捨て、別の人間になることを決意する。
ふと、以前に読んだ小説を思い出したが、今回のことはそれとはまた違っている。別人になりすますことと、「身体を返せ」となることは、似て非なるものだ。
結局は何もわからなかった。
湊斗は時計に目を向ける。まもなく夜の十一時を迎えようとしていた。
「緒方さん、帰り大丈夫ですか?」
考え事でもしていたのか、新の反応はワンテンポ遅れていた。
「なあ、湊斗」
新は湊斗の方は見ず、宙に視線を投げている。
「ここって部屋余ってるんだよな?」
訊かれている意味がわからず、声が出ない。
「しばらく居候しようかなと思ってるんだけどさ、どうかな?」
「どうかなと言われても……居候ってどういうことですか?」
「色々心配だしよ。パソコンとか、諸々荷物持ってきたら、ここでも仕事できるし」
名案だとでもいうように、新の顔がパッと晴れた。
冗談かと思っていた言葉は、どうやら本気だったようだ。早朝に帰って行ったかと思えば、小一時間で戻ってきた。新の両手には、大きな荷物があった。
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