4-3 推測

 頭が痛かった。痛みのせいか、頭が働かない。何が起きたのかも、何が起こっているのかもわからなかった。

「返してください!」

 肩を掴んだ手に力が込められる。その手が痛かったのか、頭痛のせいなのか、湊斗は顔をしかめていた。

 目の前にいる男性に見覚えはなかった。もちろん、「返せ」と言われる所以もわからない。

 呆けている湊斗に、男性は「返してください」と、さらに言葉を重ねる。湊斗を映す瞳は、赤く血走っているかのようだった。

「落ち着いてください」

 間に入ったのは、新だった。言葉通り、腕を二人の間に差し込み、湊斗の肩を掴んでいる手を上から握る。肩から外そうとしているのか、力が加えられるが、手は退く気配はない。

 男性は新を見た。声は出さなかったが、「邪魔をするな」と目で訴えているようだった。

 湊斗は怖くなった。単純に危害を加えられることも恐れたが、何より怖かったのは、新に怪我をさせてしまうのではないかということだった。

 不意に、肩に加えられた力が弱まった。そのまま手が離れる。手が離れると、男性は立ち上がり、そのまま後ずさった。

 距離ができてから、新は湊斗に「大丈夫か?」と声をかけた。湊斗は小さく頷く。

 目の前に佇む人物は俯いていた。口が動いているが、音は聞こえない。

 新は目線を男性へと移した。黙って様子を窺っているようだった。

 その人はまだ何かを呟いていた。声はやはり届かない。

 足がふらつき、転びそうになる。すんでのところで踏ん張っていた。相変わらず俯いているが、よろめいたせいか、顔の位置が少し変わり、覗き見ることができた。瞳にはもう赤いものは映っていなかった。

「突然おかしなことを……どうもすみませんでした」

 目の前の人物は頭を下げると、湊斗たちに背を向けた。新が声をかけたが、振り向きもしなかった。

「なんだったんでしょう?」

「わからん」新の声は通常仕様に戻っていた。「それより、大丈夫か? どこか痛いところは?」

「頭が痛いんですけど、ぶつけたせいなのか、そもそも痛かったものが続いているのかはわかりません」

「腕とか足は? 動くか?」

 腕をその場で曲げ伸ばしてみる。大丈夫だ。新に補助してもらいながら立ち上がる。数歩歩いてみたが、こちらも問題はなさそうだった。

「傷も腕の擦り傷くらいか」

「はい。すみません、ご面倒をおかけして」

「いいさ、無事なら。俺も不注意だった。悪かったな」

 新は汗をかいていた。森の中、さらに湊斗が落ちてきた場所は、より多くの木が重なり、生い茂っているので、どちらかというと涼しさを感じた。顔色はいまだに悪いので、やはり具合がよくないのかもしれない。

 下山すると、新は湊斗を病院に連れて行った。移動中、寝ているように言われ、おとなしく従った。車に乗り込むと、新の顔色はだいぶ回復していた。反対に湊斗は、目を開けているのもきつかったので、彼の申し出は正直ありがたかった。

 診察の結果、どこにも異常はなかった。骨も折れていなかった。さほど高さがなかったことと、がよかったらしい。素人でも見てわかるくらいの擦り傷があり、看護師による治療を施された程度ですんだ。それでも少し大袈裟な治療になったのは、新のせいだった。

「緒方さんって、少し過保護なところがありますよね」

 迷惑をかけた身分で、そんなことを言えた立場ではないが、腕に巻かれた包帯を見て、言わずにはいられなかった。

「そんなの言われたことねえよ」

 病院からの帰り道も、寝ていていいと言われたが、今度は起きていた。手当を受けていたときに、併せて点滴も打ってもらったので、おおよそ回復していた。

「僕、考えてたんですけど」

 新は前を向いていたが、話を聞いていることはわかった。

「さっきの人、もしかすると、僕たち兄弟が関わっている研究の関係者じゃないでしょうか」

 身体を返せ、と言われたときは、あまりに突然のことで状況を理解することはできなかった。山の斜面を落ちた衝撃も相まっていたのだろう。

 落ち着いて考えることができるようになったのは、点滴を打たれているとき——ぽたぽたと滴下している水滴を見ているときだった。

「伊野村さんが言ってたじゃないですか。被験者が見つかって、研究が進んでるって。僕が意識を共有する側なんだと。その被験者が、あの人なんじゃないでしょうか」

 車が止まった。信号が赤に変わったのだ。

「俺も同じこと考えてた」

 じゃあ、と新の方に顔を向けると、彼は前を向いたまま頷いた。

「ただ」信号が変わり、発進する。「あの場所がわかったってことが謎なんだよな。位置共有はされてないんだよな? 意識共有しただけで、場所が特定できるのか? そもそも、意識共有には機械を用いてるって話だったよな。機械にかけられてから、それからあそこに向かったのか?」

「わかりません。少なくとも、僕が意識を受け取る側だったときには、ありえなかった話です。外に出たことはありませんでしたから」

 新は少し黙った。「となると、おかしいよな。意識共有ってのは、機械を通さなくてもできるものなのか? それとも」

 バックミラー越しに、新は湊斗を見た。

「テレパシー……」

「テレパシー?」

「湊斗は、あの場所にいた陽翔を見たんだよな?」

 頷いて応じる。

「でも、その映像は途中で止まってるって言ってたよな。山に入っていった陽翔が、そのあとどうなったのかまではわからないって」

 もう一度頷く。

「研究所で、機械を用いて意識共有してたときにも、そんなことあったか?」

 問われて、湊斗は少し考えた。思い出せる限り、共有していた陽翔の意識、記憶を呼び起こす。頭の奥の奥にしまい込んでいた父の記憶も引っ張り出してくる。どれも最初から最後まで思い出せた。細かいところははっきりしなくても、忘れてはいなかった。父の記憶は、陽翔の家で思い出すまで、頭の奥底に眠っていたが、それも今では思い出せる。

「ありません。僕にとって嫌な記憶も、全部覚えています」

 納得したように、新は頷いた。

「じゃあ、湊斗が見たっていう陽翔の最後の姿は、おそらくテレパシーだ。意識共有じゃない。湊斗は声も聞いてたんだろ? 音までは聞こえないって、そこまで機械は発展していないって言ってたよな。そうなると、音とか声が聞こえていたものはすべて、共有じゃなくて、テレパシーみたいなもんだったんじゃないのか。そんでもって、さっきの人が湊斗と同じ被験者なんだとしたら、あっちにもテレパシーが伝わったってことだ」

 あくまで俺の考えだけどな、と足すように呟いた。

 湊斗は静かに、新の言葉を咀嚼していた。その間、新が声をかけてくることはなかった。

しばらく考えてから、口を開く。

「そんな感じがしてきました。それなら、あの人が僕たちのところにやってきた説明がつきます。テレパシーなんてものが実在するのかわかりませんが、僕が兄に感じていたものがそれなら、僕はそれを体験していたわけで……ただ、何がテレパシーの引き金になったかはわかりませんけど」

「それはお前、気を失ってたんだ。湊斗の危険を察知したんじゃねえの。どこから来たかは知らんけど、結構長いこと意識失ってたんだ。駆けつけるくらいの時間はあったろうさ」

「それなら、兄の行動の記憶が途中で途切れているのはなぜなんでしょう? 危険はなかったってことですかね? だって、何か危険なことがあったとしたら、僕にも伝わってるはずだから」

 湊斗は必死に訴えた。興奮が声になって現れる。

「すみません」

 気づけば謝っていた。反動なのか、声は小さい。身体も縮こまっていた。

「でも」気まずさを誤魔化すように、話を戻す。「身体を返せっていうのは、どういう意味なんでしょう?」

「難しい質問だな」

「それにあの人、何だか顔色が悪かったような気がします。僕よりもあの人の方が、よっぽど病院に行く必要がある感じでした」

 湊斗は新を盗み見る。顔色はだいぶよくなっているように見える。

「俺の顔に何かついてるか?」

「あ、いえ、すみません」バツが悪く、慌てていたせいで、思っていたことが口をついた。「緒方さん、今日具合悪かったですか?」

「具合? いや、別に。なんでだ?」

「顔色がよくなかったので、大丈夫なのかなって心配してたんです」

 結局そのときには口に出さず、迷惑をかけたのだから、面目ない話だ。

 新は何も言わなかった。車内は、行きと同じで、名前も知らない洋楽が流れていた。

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