4-2 報せ

 昴は電車に乗っていた。慌てて切符を買ったので、余分にお金を払っているかもしれない。乗り込んでから知ったことだが、目的地までには一度乗り換えも必要らしく、手元にある切符では、そのまま乗り換えられるのかもわからなかった。

 何でもよかった。そこにたどり着くことさえできれば、何でも。

 昴は気が動転していた。家にいたところ、突然、背筋に嫌なものが走った。不安が全身を支配した。そわそわして落ち着かない。

 昴はほとんど手ぶらで、家を出た。駆けつけなければいけないという、使命感のようなものが胸の中に湧いていた。

 無我夢中で駅に向かい、慣れない手つきで切符を買う。お金を持っていない、と焦るが、かろうじて財布は身につけていた。

 落ち着きがないのは、突如浮かんだ不安のせいだけではなかった。それよりも前に、家の中で見たものも間違いなく原因となっている。

 今日は休みだった。いつもより少しゆっくり起床した。それでも七時には布団を出ている。その後、いつものように顔を洗い、朝食をすませた。メロンパンと牛乳がゴミ箱に捨てられていたとき以来、買っても買っても、パンを食べられることはなかった。食べる前にダスト化するようになったので、ストックすることをやめた。代わりに米を食べるようになった。

 朝早く起きても、特にすることはなかった。誰かと遊びに行くこともない。一人で出かけることもほとんどなかった。仕事に出かける以外は、食材の買い出しの他に、外出する理由が見つからなかった。

 だからといって、昼寝をするという選択肢は昴の中にはない。いや、以前はうたた寝することくらいはあった。だが、眠ったあと、起きる度に不可解な状況に追い込まれることが増え、それが嫌で、可能な限り不要な睡眠は取らないようにしていた。

 となると、途端にやることはなくなる。

 掃除でもしようかと、さほど散らかっていない部屋を見回していると、押入れに目がいった。そういえば、あの包丁はまだそこにあるのだろうか。

 押入れを開けると、包丁をしまい込んだ箱を探した。箱は確かにそこにあった。ガムテープを何周も巻きつけた、しまったときと同じ状態で存在した。剥がされた形跡もない。

 ほっと胸を撫で下ろすと同時に、いっそなくなっていてくれた方がよかったのかもしれない、とも思う。

 悩みのたねでもある箱を、再び押入れの奥の方へと追いやった。奥へ奥へと押し込んでいると、そこには包丁が入ったものとは別に、箱がもうひとつ置かれていた。置いた覚えはない。

 昴はもうひとつの箱を取り出した。重さはさほど変わらない。いや、こちらの方が少し重いか。

 包丁が入っている箱とは違い、ガムテープは巻きついてはいなかった。

 恐る恐る箱を開けた。中に入っていたものは、紙で包まれていた。形はいびつで、紙を剥いでみないと中身はわからない。

 首をひとつ傾げてから、紙を剥がし始めた。最初に目についたのは、黒だった。それだけで、少し安心する。が、それも一瞬のことだった。

 紙の中から出てきたのは、銃だった。拳銃だ。あまりの衝撃に落としそうになり、慌てて両手を差し伸べた。途端、重みがぐっと増したように感じる。

 本物だろうか。それを判断できる術は持たなかった。ただ、銃の中に銃弾のようなものが見えていた。

 昴は怖くなり、またしても銃を落としそうになった。

 どうしてこんなものがここに?

 見なかったことにしたかった。そうして、記憶からも抹消し、最初からなかったものにできたらいいのに——

 現実逃避をしながら、銃を紙に包み直しているときに、虫の知らせのようなものが訪れたのだった。

 駅を出ると、タクシーに乗った。タクシーに乗るのは初めてだった。

 目指している場所の名称はわからず、口頭で説明しながら運んでもらった。出費は痛手だが、仕方ない。何が仕方ないのか、改めて考えてみると、わからなかった。どうしてこれほど急いで向かっているのかも、行ったことがない場所にも関わらず、道案内ができているということも不思議だった。

 タクシーを降りると、昴は山へと入っていった。タクシーの運転手は昴を降ろしてからも、しばらくその場に留まった。不思議そうに見つめていたが、しばらくしてその場を去った。

 あたりは暗かったが、昴は無我夢中で走っていた。舗装されているわけではない、でこぼこな道は歩きにくかったが、それ以上に道幅が狭かった。二人並んで歩くことはできないだろう。

 急いで出てきたので、足元はサンダルだった。何度も脱げそうになりながら、前へと足を進めた。

 しばらくすると、声が聞こえた。微かに聞こえる程度だった声が、どんどん近くなっていく。

「——と、大丈夫か?」

 男の声だった。緊迫したような声だ。

 昴は声をたどった。しかし、声は聞こえるのに、姿は見えない。

 足を止め、息を整えながら、暗闇に目を凝らした。どこかに光源があるような気がした。木漏れ日ではなく、下から照らされているような光だ。

 昴はしゃがみ込み、山道の外側を覗き込んだ。人がいた。二人いる。一人は倒れ込み、もう一人はその身体を支えるように抱え、声をかけている。

 ここから落ちたのだろうか。

 声をかけようとして、口を開きかけたとき、倒れていた人物の目が開いた。声をかけていた方が、さらに言葉を重ねる。「大丈夫か? わかるか?」と、言っている。倒れていた方は声が出ないのか、小さく頷いただけだった。それも辛いのか、顔をしかめている。

 その顔を見て、昴の中に衝撃が走った。あの顔、あの身体——

 気づいたときには、斜面を滑り降りていた。音に気付き、二人が昴の方を見る。

 二つの視線を、昴は気にしていなかった。一目散に倒れ込んでいる人物のもとへと駆ける。そして、肩を掴んだ。

「僕の身体です。返してください!」

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