3-11 綺麗事
地下から移動し、エレベーターを乗り継いで、壮亮は五階に戻った。
もうすっかり日も暮れ、研究所の中の人けは少なくなっていた。
エレベーターの扉が開き、口の中に入り込んできた空気はいつもよりおいしく感じた。それがなんだかおかしくて笑ったが、乾いた笑いしか出なかった。
「お疲れ、まだ残ってたんだな」
壮亮がデスクに落ち着いたタイミングで、コーヒーが置かれる。同僚の寺井だった。
礼を言ってから、コーヒーに口をつける。先ほどまで飲んでいたものよりも、味がするような気がした。それもまたおかしかった。
「寺井さん、今忙しいんですか?」
遅くまで残っている同僚は、論文をまとめているのだと話した。論文を書きながら、必要なら追加で実験も行う。再現をとるだけならまだいいが、このデータもあった方がいいということになると、時間はいくらあっても足りない。壮亮も何度か経験したことがあるので、苦労を察することはできた。
「俺より、三好の方が疲れてるな。大丈夫か?」
「大丈夫です」
口ではそう言ったが、その実、ギリギリのところで平常心を保っていた。
壮亮は先ほどまで観ていた映像を反芻した。モニターは目の前にないのに、鮮明に映し出すことができた。
男は犯行を続けていた。見た目に違いはないため、瞬時にどちらなのか判断することはできなかった。“ 行動 ” を起こせばすぐにわかったが、気づいたときに目を覆っても間に合わない。おかげで、おぞましい場面を幾度となく見る羽目になってしまった。
被害に遭った人、その関係者の絶望に比べたらマシな方だろう。比べられることでもないが。
相変わらず、上とやらのストップはかからない。人が殺されているというのに、だ。黙って見ているだけ。最初から想定された範囲なのだろう。実際、TCプロジェクトの話を篠崎から聞いたときに、そのようなことを彼が言っていた。だから止めない。篠崎もやめようとしない。
壮亮は納得できていなかった。犯罪を犯す者が、その性質を書き換えられるなら——たとえ、もともとの人格が消えてしまったとしても——おおよそ研究には賛成だった。だが、それも被害者が出てしまった時点で、取りやめるべきだと考えている。
壮亮の懸念を後押しするかのように、「昴」としての意識も消えかかっているように見えた。もとの人格に呑み込まれかけていた。
兆しが見えた時点で、やはり中断すべきだったのだ。次なる被害者を出さないためにも、壮亮は篠崎に訴えた。
「意識が戻ってきていると思います」
「いえ、意識の書き換え自体は成功しています」
篠崎の言葉に、壮亮の眉根が寄る。壮亮が口を開く前に、篠崎が「ただ」と続けた。
「身体が逸脱し始めているのでしょう」
「身体が逸脱?」
「三好くんは、彼が殺人を犯す理由を知っていますか?」
「取り調べ、裁判時に話していたことなら、資料で見ましたけど」
心臓の鼓動を感じたい、あの脈打つ感触が好きなのだと語っていた。そのために心臓を狙うのだと。殺すつもりはない。鼓動を感じるためにとった行動の結果、死んでしまうのだと、悪気もないかのように話していた。
「どう思われました?」
「異常だな、と」
篠崎は笑った。愉快な笑いではなかった。
「殺害の動機でよく聞くのは、憎い相手を殺したいとか、命に価値はないということを証明したいから無差別に殺すとか、そういうものですよね。もちろん、他にも色々理由はありますが、彼には彼なりの理由があった。よく聞くような理由で、殺していたわけではありませんでした。そこに “ 怒り ” という感情はない。いや、世間に対してとか、両親に対してという怒りは少しはあるのかもしれませんけど、一般的な殺人を犯す人とは違った怒りだと、私は思っています」
「それが今回の問題と何の関係が?」
「身体が覚えているんですよ、感触を。何度も人を殺めていたんです。その感触を得たいがためにね」
篠崎は壮亮から目を逸らし、呟いた。「忘れられないのでしょう」
理解し難い感覚だった。
篠崎はさらに笑みを深くした。「脳が命令を出していることにかわりはありませんが、結局命令を出させているのは身体ですし、動かすのも身体の方ですからね」
篠崎の言わんとすることは理解できたが、やはり納得はできなかった。結局、篠崎は最初から脳優勢の理論を否定したいだけなのでは、とも思う。
「事件が起きている事実は変わりません。人が亡くなっているんです。それについてはどうお考えでしょうか」
「それは依頼主に任せましょう。私たちの仕事ではない」
篠崎と入れ替わりで入ってきた駒田に笑われた。
「ずいぶん白熱してましたね」
駒田は、この研究に関してどちらのスタンスに立っているのかわからない人物だった。前のめりのようにも見えるが、単に好奇心が強いだけともいえる。壮亮が頭を悩ませている最悪の状況に胸を痛めているわけでもなく、面白がっているように見えた。顔合わせをしたときから、喰えないやつだと思っていた。ただ、壮亮にはない着眼点を持っていることも認めている。
今日は駒田と二人でモニターチェックかと、気づかれないようにため息をついた。
「三好さんは潔癖なんだな」
もとから寄っていた眉間のしわを、さらに深くする。
「どういう意味ですか?」
「何かの成果が得られるときは、必ず何かしらの犠牲がつきものなんですよ」
同じような話を、以前篠崎からも聞いていた。過去の薄暗い研究成果のことを言っているのだろう。
「確かに、僕たちは恩恵を受けているのかもしれないですけど、それでも過去の悲惨な出来事がなければ得られなかったのか、疑問は残ります」
駒田は声を出して笑った。「それって綺麗事ですよね。綺麗事だけじゃ、救われないものもあるんですよ」
反論しようとして、駒田に遮られた。彼の目はモニターを見ている。目を見開き、「ちょっとこれ見てください」と、手招きするような仕草をする。
苛立ちはおさまらなかったが、渋々モニターに目を向けた。
駒田は、男の部屋を映したモニターを指していた。男は起き抜けなのか、キョロキョロとあたりを見回している。そこが自宅だとわかったのか、安堵するように肩を落とした。
この映像の何に注目するところがあるというのか。からかわれたのかと、怒りが再燃しそうになるが、駒田は大真面目な表情でモニターを見つめていた。パソコンを操作し、巻き戻したり、スロー再生をさせていた。目的が、壮亮にはわからなかった。
「三好さん、これおかしくないですか?」
先ほどまで見ていた箇所まで映像を戻すと、駒田は言った。何度も繰り返し見ている映像だった。
映像におかしなところはない。仕事が終わり、家に帰って来たあと、家の掃除を始めただけだ。普段と違うといえば、念入りに掃除をしているということだろうか。ひとつひとつものを動かしながら掃除機をかけていた。押し入れや棚の中も拭いている。
至って普通だ。日常的な映像だ。人を殺していなければ、手を血で染めるということもない。
「何がおかしいんですか?」
駒田はモニターから目を離さなかった。「あ、ここ。ここです。意識が変わったような挙動が見られます」
見逃したと思われたのか、駒田はその地点まで映像を戻した。再び声を上げ、「ここです」という。
確かに、掃除を終えると、意識を失ったかのようにガクンと首をもたげてから、目が覚めたような動きをした。ようにも見える。
そのあと、周囲を確認するように顔を左右に動かしていた。
「家に帰ってきて掃除をしていたレシーバーと、今ここで目を覚まして状況を確認している人物は、中が違うと思います」
「確かに、これまでの動きを加味すると、そう言えると思います。が、だから何だというんですか?」
「本気で言ってますか?」心外だとでもいうように、駒田は目を見開いた。「おかしいと思わないんですか? レシーバーは、移し替えた意識でないときは必ず奇怪な行動をしてるんですよ? でも、これはどうです? ただ掃除してるだけ。それとも、この掃除をしている部分に、奇怪なことが含まれていますか?」
なぜこんなにも人を苛立たせる話し方をするのだろうかと、壮亮の疑問はそちらにばかり向かいそうになる。
「確かに奇怪な部分はありませんが、これだけで何かが言えるわけでもないでしょう? ひとまず記録として残しておいて、様子を見ましょう」
駒田は、それもそうですね、とおとなしく従った。
「僕、ずっと不思議に思ってることがあるんですけど」
壮亮は何も言わなかった。それでも、駒田は一人で続けた。
「何で彼、証拠隠滅しないんでしょう? 手を真っ赤に染めて、しかもご丁寧に凶器まで持ったまま家に帰るなんて。家が近いから? でも、誰かに見られるかもしれないのに」
「手を洗うところがないんじゃないですか」
「でも近くに公園があるじゃないですか」
駒田はぶつぶつと何かを言っていた。考えるときの彼の癖だ。
「意識が保たないのかもしれないな。証拠隠滅より、大事なことがある。彼にとって大事なのは、現場から離れることなんだ。きっと。そうじゃなければ、諦めてるのかもしれないですね。どうせ死ぬはずの命だったんだ。捕まってもいいから、自分の欲望に、忠実に生きているのかもしれません」
「野蛮な動物ですね」
「僕たちも同じ生き物ですよ」
その意見には賛同し得なかった。
気づけばため息が出ていた。
席は離れているが、他に誰もいない部屋の中では、寺井のところまで届いたのかもしれない。
寺井は席を立つと、壮亮のところまで近づいてきた。デスクにバラバラと何かを置く。チョコと飴だった。
「やる。甘いものも必要だろ」
壮亮は目を丸くしたあと、座ったまま寺井を見上げた。
「寺井さんは癒し系ですね」
頭上で寺井が吹き出す。「やめろよ、そんなこと言われたことないぞ」
それでも否定しない壮亮に、寺井は心配そうな顔を向けていた。そんな姿も癒し系だと思った。
きっと疲れているのだ。
ふと、明日碧と食事の約束をしていることを思い出した。
正直、気が重かった。どんな顔をして碧に会えばいい?
一考した結果、スマホを取り出すと、壮亮は断りの連絡を入れた。
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