3-4 知りたかったこと
湊斗たち三人は、駅から五分ほど歩いたところにあるカフェに入った。この店もまた、新が案内を担当している。
お茶の時間帯ではあるが、平日ということもあってか、混んではいなかった。すんなりと案内された席につき、注文の品が届くまで、男性は一言も喋らなかった。注文も新がまとめてくれている。
「あの、研究所にいた方ですよね?」
向かいに座っている男性を伺うように、湊斗は訊ねた。隣の席にいる新は、状況を理解しているかどうか定かではないが、ここに来るまで何も訊かず、頼んだアイスコーヒーにシロップを入れることに集中している。
男性から返事はない。急かしてもよくないと、湊斗は新に男性のことを簡単に紹介した。とはいえ、研究所で対応してくれていた人だということ以外、何も知らない。
短い話を終えた直後、湊斗は自分の失態に気づいた。先日、新が湊斗の家を訪れた際、今後のことについて話し合っている中で、研究所の人間にコンタクトを取るのはどうかという案を、新に却下されている。忘れていたわけではないが、失念していた。
目の前には、研究所の人間。しかも、わざわざ追いかけ、捕まえた上で連れてきている。捕まえたのは、新だ。彼は、湊斗の意思を汲んだだけなのだが。
どう弁解しようかと、一人あたふたしていたが、新は怒っているようでも、呆れている表情を浮かべているでもなかった。ただただ、静かに湊斗の話を聞いていた。
湊斗の話を聞き終えると、新は向かいの研究者を見た。湊斗も恐る恐る新から目線を外すと、前に座り直った。
二人の視線に、男性は沈黙を続けていたが、観念したかのようにため息をついた。
「今はもう、あそこにはいません。辞めました」
正確には辞めさせられたのだと、小声で加える。
そのことについて、追及はしなかった。代わりに、もうひとつ気になっていたことを訊く。
「あの、差し支えなければ、お名前伺ってもいいですか?」
「
もともと肉付きがいいタイプではなかったが、やはりあの頃よりも痩せたと思った。頬には影が落ち、シャツの上からでもわかるほど、骨が浮いている。まるで、研究所を出た直後の湊斗のようだった。
痩せただけではない。老けたようにも見えた。実際、顔にはあの当時はなかったしわができ、頭には白いものが混じっている。目がくぼんで見えるのは、肉が落ちただけではないのだろう。
「伊野村さんが研究所を辞めたのは、湊斗が研究所を出る前ですか? それともあとですか?」
口を挟んだのは新だ。彼がこんな言葉使いができたことに、湊斗は驚く。いや、失礼か。
「湊斗くんが研究所を出た具体的な日にちはわかりませんが、私の方が先だと思います」
「じゃあ、湊斗が研究所を出ることになった理由はご存知ない?」
「すみません、その前に、あなたはどなたですか?」
これもまた失念していた。新に伊野村は紹介したが、新を紹介するのを忘れていた。
しかし、なんと説明すればいいのかと悩んでいると、「緒方といいます。湊斗の友人です」と答えた。その言葉はどこかむずがゆかった。
「陽翔のことも知っています。彼とも友人です」
伊野村はまた黙ってしまった。心なしか、顔が青くなっているように見える。
新が先陣を切って質問していることにも驚いた。諦めたのか、湊斗に説教をするのはあとでいいと割り切っているのかは、このあとわかるだろう。
「何から」伊野村の声は震えていた。「何からお話しすればいいか」
伊野村は、湊斗が研究に関わり始めた頃まで遡り、詳しく説明してくれた。頭に埋め込んだチップと呼ばれるものから情報を引き出していたこと、陽翔にも湊斗にも同じものが埋め込まれていること、意識共有のための機械はほぼ完成しているということ、実験は次のフェーズに進んでいるということ、そしてその実験では、湊斗が意識を与えている側だということ。
彼らがつくった意識共有の機械は、共有する側の意識や見ているものを映像化し、受け取る側に見せることができる代物だという。しかし、映像を見ることができるのは、共有されている人間だけ。共有されたものを見るのに、チップが必要なのだと。だからこそ、湊斗が何を見たのか訊いていたのだ。
「それって映像だけですか? 全部じゃないけど、声や音を聞いたこともあったんです」
「声を聞いていたのは、いつのことですか?」
「初期の頃からです」
言ってから、湊斗はバツが悪そうに肩を丸めた。「すみません、黙ってて」
伊野村は笑った。眉は下がっていた。
「音声を拾えるほど発展はしていないので、別の理由でしょうね」
「別の理由?」
「たとえば、双子特有の何か、とか。湊斗くんたちが被験者に選ばれた理由も、双子だったからなんです。双子特有のテレパシーなどのデータを取得することも、実験の目的のひとつでした」
ただ、確認できないので、はっきりしたことは言えませんが、と呟く。
「たまに、頭が痛くなることがあるんですけど、頭に入れられているものが原因なのでしょうか?」
「頭痛ですか。湊斗くんたちの頭に入れているものは、身体に害があるようなものではありません。頭痛などの副作用があるという報告もないかと」
「子どもの頃に手術してるんですよね?」新が口を挟む。「成長につれ、頭の大きさも脳も変わってくるかと思うんですけど、それが負担になったということは考えられませんか?」
「その心配はないかと思います。チップといっても、マイクロチップのようなもので、かなり小さいものになります。触れているものが形を変えたとしても、ほとんど影響しないようなつくりになっているんです」
新は頷いた。しかし、納得はしていないのか、眉根を寄せていた。
伊野村の話によると、違和感すら感じない代物らしい。それなら頭痛の原因は他にあるということになる。気圧のせいかもしれない。
「それで、湊斗が意識とやらを与える側になったから、研究所から出てこられたということですか?」
「それは」伊野村は口を一文字に結んだ。
こめかみから汗も滴っている。店内は十分冷房が効いているが、暑いのだろうか。
伊野村は顔を下げたまま、目だけを湊斗、新の順に移し、また下へと戻した。
「あの、陽翔くんは今どちらにいらっしゃるんでしょう?」
汗が落ちる。身体は震えていた。
「陽翔は行方がわからなくなっています。連絡もつかない状況です」
伊野村は顔を上げた。先ほどまで青かった顔が、脱色されたように色をなくしていく。
湊斗は不安を覚えた。このまま話を聞いていても大丈夫なのだろうか。
「すみません」伊野村は再び頭を下げた。今度はより低く。「陽翔くんがいなくなったのも、湊斗くんが研究所から出てこられたのも、私のせいかもしれません」
湊斗は驚いて新の方を見た。新はまっすぐに伊野村を映していた。驚きの色は、表情からは窺えない。
「どういうことか説明してもらえますか?」
そう言った新の声は、いつもより低かった。
伊野村が再び口を開くまで、体感としては一時間ほど待った。途中、新が三人分、コーヒーのおかわりを頼んだ。伊野村は一口も飲んでいなかったが、先に頼んだものは下げてもらった。
ぽつりぽつりと語り、一通り話が終わるまでに、さらに一時間ほど要した。
伊野村は、以前陽翔と会ったと言った。実験の被験者を依頼するために芝浦家を訪ねたときではなく、最近のことだという。
「陽翔くんの方から会いに来てくれました。偶然なのかどうかはわかりません。ただ、声をかけられたのは、研究所の最寄駅の前でした」
ちょうど湊斗と遭遇したときのように、と自嘲気味に笑った。
大人になった陽翔と顔を合わせるのは、そのときが初めてだったという。しかし、彼が名乗るよりも先に、陽翔だとわかった。湊斗と瓜二つだからだ。
陽翔は、自分が被験者になっていることを知っていた。だが、詳しい内容までは知らないらしく、詳細について聞きたがった。伊野村は包み隠さず話したという。協力してもらっている以上、陽翔には知る権利があると考えていたからだ。
陽翔は、文句を言いに来たわけではなかった。単純に、研究の話を聞きに来たようだったと、伊野村は語る。
「今後の実験のことも、簡単にですが説明しました」
伊野村の表情に、さらに翳りが見えたような気がした。
「次のフェーズに進んでいると、先ほどおっしゃられていましたね。今後の実験っていうのは、具体的にはどういうものなんです?」新が訊ねる。
「双子と関係なく、まったくの他人に意識を共有できるかどうか、というものです。目的は、意識の書き換えだと理解しています」
「それは、湊斗たちのときと同じように、人を使うということですか?」
伊野村は一度口を閉じた。「私も被験者については詳しく聞いていないので、なんとも言えません。ただ、人を使うことを目標としていました。実際、被験者が見つかったとも聞いています」
「その実験自体、許可は取っているんですか?」
「私はそう聞いています」
前のめりになっていた身体を戻し、どっと背中をもたれさせると、新はため息をついた。深いため息だった。
「あの」重苦しい空気の中、それまで黙っていた湊斗が間に入る。「兄とは他にどんな話を?」
「研究の話で、私がお話しできることはそれだけだったので、説明自体はそれで終わりです。あとは、陽翔くんからいくつか質問があったので、お答えしたという感じでしょうか」
「質問?」
「ええ。陽翔くんは、湊斗くんのことを訊かれました。次のフェーズが始まったら、湊斗くんはどうなるのかと。意識を供給する被験者は、当初、今までと同じように陽翔くんの予定でした。湊斗くんは、そのまま研究所に残ることになっていたので、そのように話しました」
伊野村は水を一口含んだ。「ただ、陽翔くんはこんなことを言ったんです。『もし自分が、何らかの理由で意識が供給できなくなったとしたら、どうなりますか?』と」
湊斗も新も黙っていた。目で先を促す。
「私は笑い話にもなりませんよ、と言いました。陽翔くんは笑って、冗談ですよと言っていましたが」
伊野村はそれ以上は何も言わなかったという。
「先ほども言いましたが、兄は今、行方がわからないんです……それってつまり」
「わかりません。あなたは何かご存知ではないですか?」
冷や汗を拭きながら、伊野村が新に問う。切羽詰まったような声だった。
「俺は何も聞いていないし、何もわかりません」
伊野村はまた俯いた。「陽翔くんの行方がわからなくなっているのは、私のせいなのでしょうか」
「問題はそこではないでしょう。どこにいるのかわからないというのは事実ですが、わかっているのはそれだけです。落ち込むよりも前に、やることがあるでしょう」
新の言葉は鋭かった。伊野村は何も言えない。
聞きたいことはすべて聞き終えたのか、新は立ち上がった。が、すぐには店を出ず、伊野村を見下ろす。
「あともうひとつだけ。辞めさせられたとおっしゃっていましたが、それは陽翔に研究のことを話したからですか?」
またしても容赦のない言葉だった。伊野村は戸惑っていたが、もう隠すこともあるまいと、一度だけ頷いた。
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